資料 2007年11月1日に最高裁判決がある、
韓国人被爆三菱重工元徴用工被爆者事件

「広島高裁判決を高く評価する」
2005年3月3日
弁護士 在間秀和

  判決は一九七頁に及ぶ大部のものである。最後まで読み終えると、裁判官の気持ちがひしひしと伝わってくるような内容であった。 私も三十年間の弁護士生活の中でこのような判決に出会ったのは初めてのような気がする……。 と言えば少々評価に過ぎるかもしれないが、ともかく望外の勝訴判決であっただけに、感動は今でも続いている。 とりわけ、一九九九年三月二十五日の広島地裁の判決と対比すれば、「裁判とは何か?」を考えさせてくれるのに十分だと思う。

  判決の結論は「一部勝訴」である。在韓被爆者に対する日本政府の政策の誤りを認めて慰謝料百万円の支払を国に命じた、というにとどまり、 私たちが訴え続けてきた様々な請求のほとんどは認めていない。その意味では「極めて不十分な判決」である。 しかし、今の日本の裁判の実情を考えるとき、今回の判決は希有のものとして高く評価されなければならないだろう。

  特に、高裁における訴訟の当事者となった控訴人全員に対し同じ結論を認めた、ということには、 裁判官が、三菱重工元徴用工被爆者の人たちがどのような目に遭わされ、今どのような状況におかれているか、という事実に対し、真摯に向き合ったこと、 そしてその上で、これまで日本政府がとってきた政策が非人道的なもので許されないことを正面から断罪した、ということを意味する。 控訴人の人たちの中には、被爆者健康手帳を取得できていない人もいれば、既に健康管理手当の支給を受けた人もいる。 この点においては状況は様々である。しかし、判決は一律に全員に対し慰謝料を支払うことを命じた。判決は当然に演繹的に論理的に組み立てられている。 結論から組み立てられているわけではない。私たちが提起した問題点をひとつひとつ検証し、ほとんどの点は認められない、という内容である。 しかし、結論として、国に対し、控訴人の人たち全てに同額の慰謝料の支払を命じたことだけをみても、裁判官が「被害者に対する何らかの救済の必要」をまず思い、 論を組み立てたように思えてならない。それは後に引用する判決の一節からも窺える。

《判決は何をどう認定したか?》
  私たちが、高裁段階でどのような判断が示されるかを注目していたいくつかの主要な点についてみてみる。 私は、高裁の審理が終結した段階で、控訴審でのキーワードとして敢えて次のように整理した。
@【事実認定】
A【国家無答責】
B【時効除斥】
C【供託】
D【郭貴勲判決】
  以下、判決はどのように述べているか、順次みていく。

@【事実認定】
  裁判の基本は、まず事実認定にある。こんな当たり前のことを言わなければならかかったのは、一審の広島地裁がそれをサボタージュしたからである。
  高裁での弁論でこの点を指摘したとき、「裁判長が頷いていた」と傍聴の人たちから教えられた。 しかし私たちはこれまで、裁判官の一挙手一投足に一喜一憂したり、ちょっとした一言に浮かれたり落ち込んだり…、その結果苦汁を飲まされたことを度々経験してきた。 一審が正にそうであった。裁判長は証言する原告の人たちに対し本当にやさしく接した。傍聴席からの拍手も制止しなかった。 ほとんど誰もが、勝訴とまでいかないにしても、判決の理由の中で何かいいことを言ってくれる、と期待した。しかしその期待は見事に裏切られた。

  この点高裁判決は本来の判決のあるべき姿を示してくれた。
  判決は、一九〇五年以降の日本の朝鮮半島の支配の歴史から、徴用の経緯に一般的に触れ、本件元徴用工の人たちがどのような状況で広島まで連行されたのか、 広島三菱重工における処遇はどうであったのか、そして被爆後どのようにして帰郷し、その後どのような辛酸を味わったか、等々ほぼ私たちが主張してきたことがらを、 事実として認定した。
  しかも判決は各控訴人のひとたち一人一人について、具体的に連行時の状況から帰国後の状況まで事実認定をした。 それはそれぞれの控訴人のひとたちが法廷で陳述し、また私たち弁護団が聞き取った内容を書面で提出したものに沿う内容であった。 その部分の判決は、実に三十五ページに及ぶ。
  私たちが一審判決を批判した重要な点の一つである「事実認定」において、地裁とは全く異なり高裁がこのような形で判断をしたことは、 ただ「丁寧な事実認定をした」ということにとどまらない。このように虚心坦懐に過去の歴史に向かい、個々の当事者の顔が見える形で事実を認定することは、 理論的に法的救済を図ることは困難な場面とはいえ,「何からの救済が図られるべきではないか」、 という本来あるべき人間としての心情を沸き起こさせる前提となったはずである。
  私たちはことに高裁における審理の後半この事実認定の重要性を訴えたが、裁判官がこれに正面から対応されたことに心から敬意を表したい。 裁判長の「頷き」は真実であった。

〈「事実認定」その後〉
  判決は,「事実認定」の後に、「果たしてそれが『不法行為』といえるか?」、いえるとして「『国家無答責』論によって国の責任を免罪することができるか?」、 国や三菱は「時効や除斥により現段階で責任は負わないということになるのか?」の検討に移ることになる。
  また一方で、「安全配慮義務に違反していたといえるか?」、いえるとして同じく国や三菱は「時効により現段階で責任は負わないということになるのか?」 の検討が必要になる。
  結論的には、判決は「時効・除斥」と日韓請求権協定に基づく財産権措置法(法律一四四号)により、この点についての国と三菱の責任を否定した。
  しかしながら、判決は次の点について、国にも三菱にも「不法行為」「安全配慮義務違反」の「成立する余地がある」と認定した。
  それは、「徴用の実施に際しては、実際に行われるかどうかも明らかでないのに賃金の半分を家族に送金するとか、 徴用に応じないと家族までもが逮捕されたりするなどといった欺罔や脅迫とも評価されるような説明が徴用に当たった官吏等によって行われ、 各人の居住地から広島までの連行の際も、警察官や旧三菱の従業員等が監視して、事実上軟禁に等しい状態で押送されたことが窺われる。 控訴人らが徴用に応じたものであるとしても、このような行為は国民徴用令等の定めを逸脱した違法な行為というべきものと考えられ…」との認定である。 強制労働に関しては違法を認めなかったが、強制連行の違法を認定した意義は大きいといえる。 そして判決は、私たちが注目していた「国家無答責」の問題については次のように評価できる判断を示した。

A【国家無答責】
  明治憲法下における「国家の権力作用については国は責任を負いません」という「国家無答責」の理屈は、 一連の戦後補償裁判において国の責任を追及する上で大きな障害になっていた。
  この壁が二〇〇三年に至ってようやく崩れだした。中国人強制連行の裁判における東京地方裁判所の二〇〇三年三月十一日の判決と、 朝鮮半島からの強制連行被害者の賠償請求についての裁判での東京高等裁判所の七月二十二日の判決である。 しかしこれらの判決においては、最高裁判決もあることから、少々ためらいがちに「国家無答責」論は適用できない、と述べていた。
  この点について、広島高裁は明確に次のように認定した。「行政裁判所が廃止されて司法裁判所に一元化されたことや、 国家賠償法のような特別法が存在しない状態においては、民法の不法行為規定は、 公務員の公権力の行使に伴う不法行為も含めて不法行為に関する一般法ともいえる存在であると解すべきこと、 明治憲法下においても限定された範囲内ではあっても個人の尊厳は尊重されていたものであり、少なくともこれを否定することは許されないこと、 そして、国家無答責という考え方に一般的な正当性を認めることはできないこと等からすれば、本件強制連行にかかる国の不法行為については、 民法に基づいて不法行為による損害賠償責任が認められるべきものと判断する。よって、被控訴人国の国家無答責を内容とする上記主張は採用することができない。」

実に明解である。
  今回の判決は、「国家無答責」という国にとっての「特効薬」は既に過去の遺物であることを、判例の上で定着させてくれたものと評価できる。

B【時効除斥】
  問題は、「時効」「除斥」である。
  今回の判決ではこの点を乗り越えることはできなかった。誠に残念というほかない。
  他の戦後補償裁判の中で、「時効」や「除斥」を責任否定の根拠にすることは信義に反する、という判決もあることを考えれば、今回の判決の大きな不十分点である。

  裁判という場でこの「時の壁」を乗り越えることはやはり非常に困難を伴う。
  アジアにおいて何千万の人たちが日本の戦争の被害から立ち直れないでいるにもかかわらず、日本においては「戦後民主主義」が謳歌され、 「奇跡的復興」がもてはやされていた。その間に時は非情に過ぎていっていたのである。 日本の戦争責任をアジアの視点で捉えることをしてこなかった私たち日本人の大きな過ちが、現在の困難を導いているのだと思う。
  しかし私たちは最後まで叫ぶ積もりである。「戦争被害者は,権利の上にあぐらをかいてきたのではない。 時効・除斥など姑息な責任回避は少なくとも戦争を推し進めた当事者に認められるべきではない!」

C【供託】
  三菱重工は、控訴人の人たちを徴用した当の主体であったのであるから、その人たちの朝鮮半島における住所は当然把握していた。 しかし、三菱は「居所不明」として、「未払賃金」を広島法務局に「供託」した。
  私たちは、このような「供託」は無効であって、三菱重工と日本政府が共謀の上で、徴用工の人たちの未払賃金についての権利を亡きものにしようとした、 と国と三菱の責任を追及した。
  結論的には、判決はこの「供託」についての賠償責任は国についても三菱についても否定した。
  しかし、高裁判決は地裁判決とは異なり、次のように認定している。 「徴用工らは、国による徴用の手続を経て旧三菱の広島機械製作所及び広島造船所に配置されたのであるから、 旧三菱が徴用時の控訴人らの住所を把握していないことは考えられず…」「(供託書には郡までしか記載がなかった)ために、 控訴人らは、被供託者本人であることが証明されていないなどとして、供託関係書類の閲覧すらできなかった」 「そうである以上は、この供託を有効として弁済の効果を認めることはできない。また、少なくとも、旧三菱がそのような不十分な供託手続を行っている以上は、 三菱や菱重が供託の効果を主張することは信義則上許されないというべきである。」
  ここにおいても、裁判所が私たちの主張を一定程度正面から受け止めて判断をした、と評価することができる。

D【郭貴勲判決】
  日本政府は、一九七四年七月二十二日,いわゆる四〇二号通達を発して、被爆者健康手帳を取得した人が一歩でも日本国外に出ればその手帳の効力はなくなる、 という扱いをとってきた。原爆医療法(一九五七年)原爆特別措置法(一九六八年)のいわゆる「原爆二法」も、 それに続く一九九四年の被爆者援護法も国籍要件が定められていないにも関わらずである。
  周知のように、この法の趣旨を無視した日本政府の対応が違法であったことは、郭貴勲さんが大阪において、そして李康寧さんが長崎の地において、 それぞれ画期的な判決を勝ち取り、在外被爆者に対する日本政府の政策は根本的な見直しを迫られ、 極めて不十分ではあるが遡って健康管理手当の支給等が始められている。
  この点、本件の一九九九年三月の広島地裁判決は次のように述べていた。 「国民の税によって賄われる国の給付を外国居住の外国人が権利として請求することができるといった法制度は、通常では考え難いのであるから、 当該法律がそのようなものであるとするためには、明確な根拠を必要とすると考えられる」 「原爆二法等にはいずれも右に述べた意味での明確な根拠規定は存在していない。」
  郭貴勲さんについての大阪地裁での判決が二〇〇二年六月一日である。これによって地裁判決のこの判断が全く誤っていたことが明らかとなった。

  私たちは、広島高裁が地裁の判断を改めざるを得ない、と確信していた。しかし、この点について私たちが本件の訴訟で求めてきた具体的内容は、 必ずしも郭貴勲さんの訴訟とは同じではない。私たちは、四〇二号通達等により、被爆者法の海外在住者への適用を拒絶してきた日本政府の対応により、 韓国在住の被爆者に対し本来なされるべき救済措置がとられてこなかった、ということに対し、控訴人全員に対し慰謝料を支払うよう求めてきた。 この点について、郭貴勲さんと李康寧さんの判決においては、地裁も高裁も慰謝料の支払請求を退けている。 控訴人の人たちの中には被爆者健康手帳の取得もできていない人もいる。高裁が、郭貴勲さんの大阪高裁判決にいう「被爆者はどこにいても被爆者」 という基本的視点を更に進め、国に慰謝料の支払いを命じるか否か、これが控訴審における最大の焦点であった、といえる。

《高裁判決は何故に画期的であるか?》
  広島高裁は、結論的に「国には、国家賠償法一条一項により違法な四〇二号通達の作成、発出と、これに従った行政実務の運用の結果、 控訴人らに生じた損害について賠償すべき義務があるものと認められる。」として、 全ての控訴人に対し百万円の慰謝料と二十万円の弁護士費用を国が支払うことを命じた。
  マスコミは、一斉に「戦後償裁判で、高裁段階で初めての賠償命令」と報じた。正にその点において画期的であった。
  勿論、「日韓請求権協定に基づく法律一四四号により強制連行等の不法行為に対する賠償請求権は消滅した」等の判断は到底受け入れられない。 しかしそれでもなおかつ判決は画期的≠ニの評価がなされるべきと思う。
  私たちからすると、更に画期的であったのは、郭貴勲さんと李康寧さんの判決において明確に否定されていた「慰謝料」の支払を国に命じた点と、 冒頭に触れたように、控訴人全員に対し慰謝料の支払を命じた点である。
この点において、高裁判決は実に慎重に、且つ綿密に論を展開し、日本政府の四〇二号通達に象徴される対被爆者行政の誤りを断罪した。 その量は二十七ページに及ぶ。

  私はこの判決の部分を何度か読み返して、今回の「思い切った」判断を裁判官が決断した根底には、 在韓被爆者の人たちに対し「何とかせねば」という真摯な気持ちと、一方で、「在外」を意図的に排除してきた日本政府の被爆者行政の在り方に対する、"憤り" のようなものがあるように思えてならない。
  それは、判決のいくつかのところで感じる。たとえば次のような認定である。
  「四〇二号通達の内容やそれが出された経緯等からすれば、そこには在外被爆者からの被爆者健康手帳の交付や各種手当の支給に係る申請の増加が予想されたことから、 在外被爆者に対して、被爆者健康手帳の交付等を受けることの意義が限定されたものにとどまることを認識させる意図があったものと認められる。」
  「控訴人らは、原爆の被爆という被害を受けて以来、被爆に対するいわれのない差別を受けながら、適切な医療も受けることができずに募っていく健康や生活への不安、 そのような境遇に追いやられ、在韓被爆者であるが故に何らの救済も受けられずに放置され続けていることへの怒りや無念さといった様々な感情を抱いていたところ、 孫振斗訴訟等を契機に在韓被爆者にも被爆者健康手帳が交付される途が開かれ、 ようやく被爆者法による救済が期待できる兆しが感じられた途端に本件の四〇二号通達が発出され、以後これに従った行政実務が継続して行われることによって、 従前にも増して、一層の落胆と怒り、被差別感、不満感を抱くこととなった。さらに、年月の経過と共に高齢化していくことによる焦燥感も加わって、 本件訴訟を提起して在韓被爆者援護の必要性、相当性を訴えるとともに、四〇二号通達及びこれに従った行政実務の取扱いの違法性、 不当性を主張するという具体的な行動にまで出ざるを得なくなったものであり、控訴人らが、 このような精神的損害というに足りる多くの複雑で深刻な感情を抱かされてきたことが認められる。」
  「控訴人らの精神的損害については、被爆者健康手帳を既に取得している者と、そうでない者との間で、本件四〇二号通達により被ったであろう上記のような失望感、 不満感、怒り、無念さ、被差別感、焦燥感等の感情に差異はなく、また、この点は各控訴人ら相互の間においても同様であって、 その精神的損害の程度に違いはないものと認めるのが相当である。」
  「現在の、多様化した社会の中での生活においては、他者から内心の静謐な感情を害されることがあっても、一定限度では甘受すべきものとは考えられるものの、 社会通念上その限度を超えると認められる場合には、人格的な利益として法的に保護されるものと解すべきである。 本件は、原爆の被害という他に例を見ない深刻な被害を受けた被害者の救済に関して、 被控訴人国の発出した通達が法の解釈を誤ったものであったという特殊な事案に関するものであり、 これにより訴訟の提起にまで至った控訴人らが被った上記のような精神的損害の深刻さ、重大性、 特異性に照らせばその甘受すべき限度を超えて法的な保護の対象となるものと認められるのが相当である。 現在、控訴人ら在外被爆者自身の叫びに加えて、多くの人々の協力もあって、ようやく、在外被爆者の救済の必要性が認識され、少しずつではあるが、 改善の兆しが見えてきているといえる。しかし、被爆者らの高齢化を考えると、救済は急がれるのであって、早急に可能な限りの保護、援護が望まれるところであるが、 このように救済が遅れてしまったことについても、 結果として在外被爆者を形式的に切り捨てることになったとも評価し得る本件四〇二号通達の存在が大きく影響しているといわなければならない。」

  少し長い引用になったが、私は実に血の通った判決と率直に思う。
  ここまで提訴以来正に十年を要した。多くの徴用工被爆者の人たちは、この判決に触れることもなく、無念の思いのまま世を去った。 私たちの課題は、多くの無辜の戦争被害者の人たちに対し、少なくとも存命中に、加害者にその償いをさせることが第一だと思う。
  そして、私たちがアジアの隣人と共に、真に平和な社会を築いていくことを目指すことだと思う。
  国は、高裁の判決に対しためらいもなく最高裁に上告した。いつまで被害者を苦しめるつもりであろうか。
  今政府に求められていることは,高裁判決の言わんとしたことを真摯に受け止め、自らの政策の誤りを率直に認め、司法による解決に固執するのではなく、 自らの責任で早期の解決策を講じることである。

  私たちも最後まで全力を尽くしたい。

2005・3・3 付 「イギジャ」 支援する会ニュース第30号より