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「長いお別れ」中島京子著 ( 文春文庫 )

2018年11月7日

                                     評者 : 梓澤和幸(NPJ代表・弁護士)

 この本は、記憶力が極端に衰えた父を介護する家族とご本人の10年の物語である。

 妻は看病と日々の生活がもたらす疲労が原因で網膜剥離にまでなってしまい手術のため入院する。失明の危険さえあった。
 一方自宅で過ごしていたが、容態が急変した夫が救急車で同じ病院に担ぎ込まれる。目の手術後で絶対安静を命じられた妻だが医師の許可を得たうえで一階下の病棟にいる夫に会いに行く。同じベッドに倒れこむようにした女性を妻なのかどうか、夫ははっきりと認識できない。記憶も定かではないが自分に優しくしてくれる人、無条件に自分の味方である女性だと夫は無意識の意識で思う。そして夫は妻の肩を抱擁する。この場面が美しい。

 人はどのような状態であっても、決して侵されない、侵してはならない尊厳がある。
 作家のこの想いは全編に一本の棒のように貫かれている。

 自宅に来てくれるヘルパーさんの人物像が面白い。中学校校長の経歴をもつ主人公昇平に先生と呼び掛け、敬意をもってかける言葉に、そう、そのように言ってほしいと言いたくなる。
 女性ヘルパーさんはレスリング部をでて身長172。力持ちの新人だ。
 薬を簡単には飲まないという昇平に認知症が進行しない薬の効能を説明する。詳しすぎ論理的すぎるくらいなところにユーモアが漂う。
 「宇田川笑子(ヘルパーさんの名前)には、認知症老人を子ども扱いしたり、何もわからない老人として扱ってはならないという信念があって」という本文のくだりがある。への字に口を結んで薬をのまなかった昇平がふと薬を飲んでくれたりする。
 自分で心身をコントロールできない病状に至っている人をどうみるか、どう対応するか、は否応なく介護、看護、医療に取り組む人々の内面を語ってしまうのだ。
 襲ってくる日々の多忙、疲労、戸惑いの中でこればかりはごまかしようがない。

 主人公昇平のいう言葉には思わず笑いを誘う諧謔がある。滞在している孫が何かを探している祖父に声をかける。
  「何を探しているの」
  「うん、そうだな。あれを持ってきてくれないかな。学校だ」
  「学校って。学校は持って来られないよ」
 寒そうに腕をさすっている祖父をみて孫はカーデイガンを渡す。
  「おじいちゃん。寒かったんだね。学校じゃなくて、上着がほしかったんだ。」
 症状が進んで意味がよくわからない言葉を発する昇平だが家族が辛抱強くそれに付き合い暖かみが醸し出される。
 自宅から「帰る」といって戸外に出た父に次女が声をかけた。
  「ね。かえろうよ」
  「モソにね。そういうところがあって」
 モソ?なんだろう。
  「どんどんあろってきて」
 あろうって何?
  「そりゃあんた とぼるってことだろ。」
トボトボ歩くってことか。

 症状が進んで意味の通らない言葉が多くなった父に娘は言葉を荒げることもない。
 何か言いたいことがあるのだろう。しかしそれが意味の伝わる言葉にならないのだ。
  「つながることができないって悲しいね。」
 このつぶやきに、父に寄せる尊敬が決して壊れることのない娘の、芯のようなものがあらわれていて心を動かされる。
 これほどまでに自らは老いた親に対していたか。「しっかりして」と声を励ます自分の母の言葉が聞こえてくるような気がした。

 衰えが進み、周囲がやさしさと尊敬をもって時間をかけて包んでくれるとき。それが高齢者にとって受け入れることのできる終末期であり、別れなのだろう。
 この世の中で、介護のために家族の払う身体的、精神的犠牲と経済的負担は決して軽くはない。親たちも子どもたちもそのことに恐怖ともいえる不安を抱いている。

 その不安の中にもかすかに見えるわずかな、救い、笑い、幸福感はあるはずだ。本書が表現する人物たちの生き方はそれに至る道筋を示してくれるようだ。
 
 この物語は誰かの、どこかの家族の、実際の人生なのだろう。それを生きた登場人物と作者に感謝したくなる作品だった。

                  「長いお別れ」中島京子著 ( 文春文庫 2018/3/9 )

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