ブックレビュー 






『北朝鮮へのエクソダス』

テッサ・モーリス-スズキ著 田代泰子訳 朝日新聞社

  1959年からの25年間日本から北朝鮮に帰国した93,340人の人たちがいた。それは棄民だった。

  悲惨なその現実を著者は情報公開によって明かされたアメリカ、オーストラリアの公文書や、ジュネーブの国際赤十字委員会に保存されたファイル、 関係の地への旅、体験者たちのインタビュー、そして、断片をつなぎあわせる想像力と情緒によって解き明かしていく。

  日本という国の成り立ちを知るのに、在日朝鮮人とニューカマーの在日外国人問題を一つの像として結ぶのは大切なことなのだが誰も取り組んでいない。 私はあえてそのことに挑戦して 『在日外国人』 (筑摩書房 2000年) を上梓した。その執筆過程で率直に言って驚かされる事実に出会った。

  それは、戦後の出発にあたり、朝鮮半島に帰還せずに日本列島に残った朝鮮人を、日本の多数派権力が邪魔者扱いにして、 日本を占領するアメリカ当局に対してその全員を強制送還することを願い出たことである (吉田茂のマッカーサー宛書簡)。

  日韓併合(1910年)後の植民地支配の時代にあって強制連行、戦時労働力強制動員など、さまざまの態様で多数の朝鮮人が日本に移動させられた。 その数は二百万人にも及ぶ。戦後それぞれの個別の事情もあって帰国せずに日本に残った人がいたのだが、その人々は生活の困窮を余儀なくされた。 そのため生活保護をうける人々が少なくなかった。それは10万人以上に上ったという。 また、戦争直後の労働運動、平和運動の中できわめて戦闘的な一翼を形成していた。

  日本の支配層は社会保障の負担とこの人々の社会的存在を嫌悪して、先のような行動に出たのである。
  それは実現に至らなかった。しかし、形を変えて、岸信介政権の下で人道的措置の美名のもとに棄民は実現した。
  誰が始めたことなのか。

  本書によれば、日本の権力機構の一部が1955年には帰国事業を認めており、そのメッセージは頻繁に北朝鮮に送られた。はじめ北朝鮮政権の反応はなかった。
  このメッセージに、北朝鮮側が明確な反応を見せたのは、1958年9月8日になってのことである。
  この日、金日成が日本からの大量帰国歓迎を世界に向かって発表したのである。
  それは、大躍進政策推進のため北朝鮮に在留して戦後の再建を手助けしていた、 三十万人の中国人民解放軍が大量に帰国するその労働力の穴埋めを構想したものだった、と本書は論証する。

  そして、この大量帰国受け入れは、正常化しつつある日韓関係へのヒビ割れを企図するものでもあったというのである。 国力の向上を宣伝し、人道的に優位を主張し、日本と韓国との関係を混乱させることができる。
  日本、北朝鮮、ソ連はそれぞれ国家としてこの事業を推進、援助し、アメリカは沈黙によって対応した。

  本書に一貫しているのは、それぞれの国の支配層の野心の下で、情報を与えられずに人生最大の困難に直面させられた、多数の人々の酷薄な運命への共感である。

  板門店を北側から訪ねた作者が、顔は子どものようで、体の小さい兵士たちと出会ったときの情景。
  「兵士たちを見てこみ上げた (私の) 笑いは、すぐに消えてしまった。通り過ぎる自動車に青年の一人が顔を上げて、目と目が合った。 悲しげな、わずかに問いかけるような、つかの間のまなざし。

  あらゆる苦難に直面しながら、過去の世代の抱いていた、よりよい世界を築くのだという確信はない人の表情──土埃が巻き上がる道を、 どうなるかわからない未来に向かって、どこまでもトボトボ行くしかない現実に直面している人の表情だった。」

  否応なく、私たちは本書に登場する人々、とくに帰国させられた人の人生と同じ時代を生きてきた。
  この人々の運命を左右した多数派権力をそのままに在位させ、同時に、人道的事業として積極、消極のいずれかの態度で事業を支えた以上、 私たちの世代は、真実を知る責任がある。

  本書が 「知られるべき真実」 に貢献することは間違いない。


評 梓澤和幸 (弁護士)