石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

石原慎太郎君、君こそ 「天罰」 を甘受したまえ。
(2011年3月15日)

  敢えて敬称を 「君」 としよう。   石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、 すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
  君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。 被災者を我欲者として 「津波で我欲を洗い落とせ」 とも言った。その君の罪は限りなく重い。
  君の 「天罰発言」 は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。 権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。 このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。
  君は、いとも簡単に 「言葉が足りなかった」 として、「謝罪し、発言を撤回した」 と報じられている。 君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
  君の 「天罰発言」 は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。 発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
  君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度 「天罰」 と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
  このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。 天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。 それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。