石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。
(2011年3月17日)

  君には、「天・罰」 の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。 君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に 「天・罰」 の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に 「天・罰」 の二文字を読み取る。 君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」 の二文字が君から離れることはけっしてない。

  みんなが心得ている。君の 「被災はやっぱり天罰」 「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」 という言こそが君のホンネであることを。 翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。

  唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、 君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。 しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。

  民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。 その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。

  震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に 「我欲を洗え」 と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、 自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。 その信頼喪失の象徴が 「天・罰」 の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても 「天・罰」 の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。

  民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。 知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。 それがせめてもの、君ができる償いであろう。