石原慎太郎 「震災は天罰」 発言
社会不安を奇貨とした妄言を許すな
(2011年3月21日)
大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。
牽強付会(けんきょうふかい)に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。
混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の 「天罰発言」 もその例に洩れない。
彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」 と 「ポピュリズム」 にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、
天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。
日本人の心のあかをね」 ということになる。彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」 ことにある。
彼のいう 「我欲」 の内実は必ずしも明確ではないが、「我」 の 「欲」 とは、
「全体の利益」 「社会の調和」 「国家の繁栄」 などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。
「我欲を洗い落とす必要がある」 とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。
何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。
ささやかな庶民の願いを 「非国民の我欲」 呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
もっとも、「ささやかな」 と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、
政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。
現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。
石原を 「弱者に冷たい新自由主義者」 とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」 と評し直さなければならない。
恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。
これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」 を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
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