石原慎太郎 「震災は天罰」 発言
まことのことばはここになく…
(2011年3月24日)
敬愛する郷土の詩人宮沢賢治は、奇しくも明治三陸大津波の年(1896年)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933年)に没している。
詩人が生前に刊行した唯一の詩集が 「春と修羅」。その第二集は、構想だけで生前の発刊が実現しなかった。
賢治は、発刊予定の第二集にやや長い序を書いており、その最後によく知られた次の一節がある。
「北上川が一ぺん氾濫いたしますると
百万疋のねずみが死ぬのでございますが
その鼠らがみんな
やっぱりわたくしみたいな云ひ方を
生きているうちは
毎日いたして居りまするのでございます」
言うまでもなく、鼠は、災害に翻弄される東北の農民の暗喩である。そして疑いもなく、賢治は自らの身を百万疋の鼠のうちの一匹としている。
賢治は、生き方そのものにおいて、農民に身を寄せ、農民の苦悩を自らのものとした。ヒデリのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのだ。
岩手を郷土とする私には、鼠という賢治の比喩に、都会人や権力者の、あるいは富裕者の、
要するに百万匹の鼠の外に身を置いて見下す立場にある者の、冷ややかな視線を読み取らざるをえない。
民主社会の代議政治における代表は、百万疋の鼠のうちの一匹こそがふさわしい。その外にいて見下す傲岸な人物に権力を与えてはならない。
おそらく賢治もそのような思いであったに違いない。
「春と修羅 第二集」 を印刷する予定であった貴重な謄写版印刷機を第1回普通選挙に立候補した労農党・稗貫支部に寄付している。
津波の被害を天罰という政治家に賢治は怒るだろうか、はたまた嘆くだろうか。
「まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる」
|