石原慎太郎 「震災は天罰」 発言
グスコーブドリの生き方
(2011年3月25日)
「グスコーブドリの伝記」 は、賢治の生き方の理想の一面を表している。
イーハトーブの森に生まれた木樵の子ブドリは、幼くして父母を失う。寒さの夏に続く飢饉ゆえの不幸。
その自然の災害に加えて、妹ネリとともに人の世ゆえの辛酸にも遭う。
長じたブドリは火山局の技師となり、火山の噴火を抑えたり、窒素肥料の雨を降らせたりと働く。
イーハトーブは豊かになったが、寒さの夏の再来が予報される。
その対策として、ブドリは一計を案じる。火山島を爆発させ、大気に二酸化炭素を噴出させ温暖化効果で冷夏を克服しようというのだ。
その危険な仕事はどうしても犠牲を伴うのだが、ブドリは敢えて志願してなし遂げる。
ブドリの犠牲で、多くの人を不幸にした寒さの夏はなくなり、「ちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、
たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、
明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。」 と、お話しは締めくくられる。
ブドリは災害を天罰とするごとき非科学的な思想のカケラも持ち合わせない。科学的な思考なくして災害を克服することができないことを知っているから。
また、ブドリは災害を他人事としない。災害の克服への献身を惜しまない。自らが、災害の不幸を背負って生きてきたのだから。
ブドリを通して賢治は語っている。ブドリの自己犠牲が、「たくさんのブドリやネリと、たくさんのおとうさんやおかあさん」 に幸せをもたらしたように、
自分も農民に幸せをもたらす生き方をしたいと。ブドリのようなかたちの自己犠牲を肯定できるか賛否はあろう。
しかし、農民の立場に身を寄せて、災害の克服に全身全霊を捧げた賢治の生き方には、誰もが襟を正さざるをえない。
これに比較するも愚かだが、被災を他人事とし被災による苦悩を天罰と言ってのける、無神経で傲岸な生き方もある。
賢治の対極に位置して、醜悪そのものと指摘せざるをえない。
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