石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

啄木の怒り
(2011年3月26日)

  郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」 として知られていた。

   平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
   赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日
   「労働者」「革命」 などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
   友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
  など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。

  没後十年(1922年)で建立された 「柳青める」 の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ 「無名青年の徒之を建つ」 と刻まれているのは、その故であろう。
  彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の魅力である。

   わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
   はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
   友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき

  このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。

   頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
   砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
   たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
   一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
   天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり

  あるいは、次の 「一握の砂」 所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。

   くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
   秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
   誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
   かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり