石原慎太郎 「震災は天罰」 発言
「天は誰を咎めているのか」
(2011年3月28日)
地震・津波・原発と続く災害のさなかに、「天譴」 という言葉を知った。辞書を引くと、漢籍では宋書(5世紀)に用例があり、
和書では九条兼実の 「玉葉」 (12世紀)に見えるという。
譴とは、譴責の熟語から推察されるとおり、咎めるということ。「天帝による咎め」 は、為政者が過ったときに凶事としてあらわれる。
ここには、権力批判のニュアンスが濃い。つまり、譴責は時の権力者に向けられる。
関東大震災後後にも、多くの人が 「天譴」 を論じた。このときの天譴論の多くは、時の権力を譴責するのではなく、国民や人類を批判するものだったという。
例えば、内村鑑三。「時々斯かる審判的大荒廃が降るにあらざれば,人類の堕落は底止する所を知らないであろう」。
あるいは山室軍平。「此度の震災は、物慾に耽溺していた我国民に大なる反省を与える機会であった。堕落の底に沈淪せる国民に対して大鉄槌を下した」。
あるいは北原白秋。「世を挙り心傲ると歳久し天地の譴怒いただきにけり」 (以上、仲田誠 「災害と日本人」)など。
さらに警戒すべきは、自然の力に萎縮する人々の心理に付け込んで、強力に人心を誘導しようとの、権力側からの天譴論である。
都立高の歴史の先生から、陸軍のトップエリートであった宇垣一成が綴った日記の一節を教えられた。
「物質文化を憧憬し思想壊頽に対する懲戒として下されし天譴としか思えぬ様な感じが、今次の震火災に就いて起りたり。
然り、かくのごとく考えて今後各方面に対する革新粛清を図ることが緊要である」
権力による人心の支配への災害利用の意図を読み取ることができよう。
かくて、「関東大震災を機に大正デモクラシーが終焉して、ファシズムの時代に向かう」 との図式を描くことが可能となる。
首都の都知事が言った 「震災は天罰」 は、その亜流である。しかも、国民による権力批判という本来の天譴論とは正反対の、権力による国民批判である。
これを新たな全体主義への第一歩としてはならない。
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