石原慎太郎 「震災は天罰」 発言
失言・放言・暴言・妄言
(2011年3月31日)
「津波をうまく利用して 『我欲』 を洗い落とす必要がある」 「これはやっぱり天罰」 とは失言であろうか。
失言とは、「不注意に本音を漏らす」 こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」 という認識が決定的に欠けていた。
日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」 とも、「不注意に本音を漏らした」 とも言わない。
傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。
「うっかり言ってしまった」 のではなく、確信犯としての発言なのだから。
彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。
むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。
記者から 「被災者に配慮を欠いた発言では」 と指摘を受けて、直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。
翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。
放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。
今回の彼の 「天罰発言」 はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。
失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。
むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。
思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。
天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。
|