石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

江戸っ子の心意気
(2011年4月1日)

  べらんめい、江戸は町人の街よ。人口の半分は侍だというが、ありゃあ、どいつもこいつも国許からぽっと出の浅黄裏。 権力はあっても、所詮は粋の分からぬヤボどもよ。リャンコが恐くて田楽が喰えるか。

  「たが屋」 という噺を知ってるだろう。「たがを締める」 ことを商売としている職人と、むやみに威張った侍のあの話。 両国の川開きのごった返しの橋の上、供を連れた騎乗の侍と、商売道具を背負ったたが屋とがぶつかる。 侍は、「とも先を切った無礼者」 と、たが屋を手討ちにしようとする。平謝りのたが屋が、どうにも助からないと知るや開き直って胸のすくような啖呵をきる。 ここがハナシの聞き所。たが屋捨て身の大立ち回りを口先ばかりの江戸っ子が応援する。

  さて、その結末。文化年間の寄席の記録では、花火が打ち上げられる中、切られたたが屋の首が飛ぶ。 その首に 「たがやーー」 と哀惜の声がかかるのがサゲ。ところがこれでは面白くねえやな。この話、幕末には逆転する。 隅田川に落ちるのは、たが屋の首ではなく侍の首となったのよ。この侍の首に 「たがやーー」 という喝采がサゲとなる。今も演じられているとおりさ。

  この首のすげ替え。天と地の差だろう。最初に侍の首を飛ばした噺家の名は残っちゃいない。町人の心意気が、たが屋を救って、侍の首を飛ばしたのさ。
  たが屋が身分を超えて侍にこう言うんだ。「情け知らずの丸太ん棒め」 「おまえなんぞは人間じゃない。このあんにゃもんにゃ」 「血と涙があって、義理と人情をわきまえていてこそ人間ていうんだ」 ここがこの噺の真骨頂だとおもうね。

  江戸っ子だい。いつまでも、はいつくばってはいられない。威張り散らして、「災害は天罰」 だの、「地方の原発推進は東京に必要」 だのと言ってる御仁に、 いつまでも江戸を任せるわけにはいかないね。それこそ、江戸っ子の恥じゃないか。
  俺たちは一人ひとりが 「たが屋」 さ。血も涙もなく義理と人情をわきまえぬ権力者と、首をかけたやり取りを余儀なくされていることは、昔も今も変わらない。