石原慎太郎 「震災は天罰」 発言
野蛮な天皇制も 「天罰」 とは言わなかった
(2011年4月2日)
関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。
注目すべきは、両詔書とも 「天譴論」 に与していないことである。
震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
まず、震災11日後の 「関東大震災直後ノ詔書」 (1923年9月12日)。
「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」 と、天災は飽くまで天災、
全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。
そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」 と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。
大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
次いで、「国民精神作興ノ詔書」 (同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。
震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」 で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。
そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。
「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ
公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」…当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
この詔書には、「今次ノ災禍甚大」 の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。
天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、
震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
90年後、「震災は天罰」 と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、
しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう
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