石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

東 北 の 鬼
(2011年4月6日)

  私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
  この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の 「原体剣舞連」 に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、 あの異形の舞である。私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。 そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。

  わらび座の十八番の一つ、歌舞劇 「東北の鬼」 では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。 鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。

  「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」 というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」 として 「征伐」 の対象とされた。 鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は 「征夷大将軍」 である。 坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、 勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。 だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。 その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。

  そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。

  「なに。震災は天罰だと?」 「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」

  さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。 東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』 だと?」

  賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」

  都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。