石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

首都の教育行政の暴走
(2011年4月8日)

  古今東西を問わず、権力は従順な被治者を欲する。時の政策に無批判な民がお望みなのだ。 できることなら、国民の精神の内奥にまで立ち入って支配し、従順な精神構造に作りかえたいとの衝動を常にもつ。

  そのための手段が、権力の立場からする 「教育」 と 「メディア」 と 「宗教」 である。戦前の天皇制国家は、そのすべてを手にしていた。 皇国史観注入の場としての極端なイデオロギー教育、検閲制度による直接的な言論統制、そして国家神道による宗教支配、すべてが実効性をもっていた。

  周知のとおり、天皇制国家が臣民の精神を支配し操作して推し進めた国策の行き着く先には奈落が待ち受けていた。 奈落の底から這い上がって日本を再建した国民は、当然のこととして権力による精神の支配を拒否した。 こうして日本国民は、ようやく20世紀中葉にして、権力による教育への介入の禁止、表現の自由、政教分離原則という制度的保障を手に入れ、 これを日本国憲法に書き入れた。敗戦という高価な代償を支払って購った、国民の精神的自立を支える大原則である。

  戦後民主主義の高揚期を過ぎて、今その珠玉の原則にかげりが見える。 「君のため国のため」 に滅私奉公することが美徳とされた、あの時代の国家主義復活の萌しが現実化している。

  首都の教育行政は、都内の全公立校の教職員に対して、「卒業式においては、国旗に正対して起立し、国歌を斉唱せよ」 と職務命令を出している。 これを受容しがたいとする者には、過酷な懲戒処分が待っている。既に430名を超える大量の被処分者が出ている。 思想弾圧、思想差別と指摘せざるをえない異常事態だ。

  この異常な事態をもたらした元凶が、「震災は天罰」 と口にした人物である。この事態を批判すべきジャーナリズムは、骨を抜かれて在野性を失っている。

  また、この人物の靖国参拝は続いており、4月3日には 「救国祈願」 に靖国神社と明治神宮、日枝神社を参拝したという。 その上、「神に守ってもらわなきゃ、日本はなかなか立ち上がるの大変だよ」 と話した、と報じられている。嗚呼。