石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

民主主義とは何だろう
(2011年4月10日)

  先日学生時代の同級会があり、気のおけない昔の仲間と楽しいひとときを過ごした。その圧倒的多数が都立高の出身者。 彼らが高校生の時代には、「都立の自由」 が横溢していた。都立の出身ではない私などにはまぶしいような、自由のエピソードの数々に、 羨望の念を禁じ得なかったものだ。

  ところが今、事情は様変わりである。「都立の自由」 は、教育行政によって根こそぎ奪われた。かつての自由の土壌は、管理主義の放射能に汚染されている。 放射線の線源は 「震災は天罰」 と言ったあの知事。事態はその2期目からのことである。

  2003年4月、この知事は 308万票を得て再選された。その直後から、都の教育行政は暴走を始めた。都の教育委員は知事の 「お友だち」 で固められた。 本来、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有する」 (地教行法4条)者から選ばれるはずの委員が、およそ人格高潔とは言い難く、 右翼的識見で凝り固まった人物で占められた。

  同年6月、教育庁内に 「卒業式・入学式対策本部」 が設置され、その年の10月23日、悪名高い 「10・23通達」 発出にいたった。 各校で工夫を凝らしたこれまでの個性的な卒業式は全面禁止となり、式の主役は生徒ではなく 「日の丸・君が代」 となった。 以来、全校長が全教職員に、文書による 「起立・斉唱」 の職務命令を手交するという異常事態が続いている。

  「日の丸・君が代」 の浸透度は、学校の自由度のメルクマールである。文科省の調査では、 1998年度入学式における都立校の 「国歌斉唱実施率」 は 3.4%に過ぎない。もちろん、起立・斉唱の強制などはありえない。 その以前、60〜70年代の都立校出身者は、高校生活で 「日の丸・君が代」 のカケラと出会うこともなかったであろう。

  今、「日の丸・君が代」 実施率は 100%。かつて行われていた、「憲法19条によって起立しない自由も保障されます」 という、 出席者への 「内心の自由」 についてのアナウンスも禁止された。日の丸の貼り方、参加者の椅子の並べ方までこまごまとした指示がなされる。 そして、起立斉唱の職務命令違反者には、過酷な懲戒処分である。昔々の話ではない。どこかの独裁国の話しではない。 日本の首都の公立校の現在進行の事態なのだ。

  この異常事態は、知事の 308万票獲得から始まっており、都民の意思によるものとの擬制が可能である。 謂わば、民主主義がもたらした異常事態なのだ。民主主義は衆愚政治と紙一重である。ファシズムもナチズムも、熱狂的な大衆の支持によって成立した。 天皇制の侵略戦争も国民の支持あればこその側面を否定しがたい。今、またナショナリズム鼓吹者を都民が支持し、 この知事が教育現場で 「日の丸・君が代」 を強制している。放射線被害にも似た危険このうえない事態である。

  民主主義が正常に作動しないとき、司法は 「人権」 侵害を救済する立場から、これに歯止めをかけなければならない。 10・23通達関連の訴訟は 18件に及ぶ。提訴者数の合計は延べ 726名(都立校 702名、小中校 24名)である。

  先陣を切った訴訟が、懲戒処分前に提訴した 「予防訴訟」 (原告数 402名)である。2006年9月21日にみごとな一審全面勝訴の違憲判決(難波判決)となり、 知事をはじめとする都庁内右翼の心胆を寒からしめた。「日の丸・君が代」 強制を違憲・違法という根拠は、 憲法 19条(「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」)、憲法 20条(「信教の自由の保障」)、 教育基本法 10条(「行政による教育内容に対する不当な支配の禁止」)である。

  しかし、この流れは 10・23通達以前の事件である、「ピアノ伴奏強制拒否訴訟」 最高裁判決(2007年2月27日)によって断ち切られた。 君が代のピアノ伴奏強制を合憲としたこの最高裁(第3小法廷)判決は、オーソドックスな憲法論からは極めて評判が悪い。 「ロースクールの学生がこんな答案を書けば、到底合格点をやれない」 という憲法学者もいるほどの代物。 ところが、その後の下級審判決は、ピアノ判決のコピペ同然の言い回しで、教員側の請求を棄却するようになった。今度は当方が切歯扼腕する事態。

  長い暗闇を抜けて、本年3月10日、東京高等裁判所第2民事部が 168名の懲戒処分を全部取り消すという勇気ある判決を言い渡した。 震災前日のことであり、あの知事が4選出馬の正式表明に先立つプレゼントでもあった。

  周知のとおり、現実の司法は行政に甘い。行政裁量の範囲を極端にまで寛く認める。行政に対しての批判に過度に臆病であるというべきであろう。 しかし、東京都の 「日の丸・君が代」 強制は、その大甘の裁判所から見ても見過ごせない。少なくとも、良心的な裁判官は、これを断罪している。 知事と教育委員会、その事務局である教育庁は猛省すべきである。

  都は、敗訴判決を不服として、上告(受理申立)をした。10・23通達関連の訴訟については、これで6件が最高裁に係属している。 最高裁判決で確定した訴訟は、まだ一件もない。憲法訴訟として、そして教育訴訟として、その成り行きが注目される。

  とは言え、「震災は天罰」 と言った知事の乱暴さは、「日の丸・君が代」 強制をして恥じない乱暴さと結びついている。 人権感覚欠如のしからしむるところなのだ。このような人物を4期も知事に据え置いた都民の民意を理解しがたい。いったい、民主主義とは何なのだ。