石原慎太郎 「震災は天罰」 発言

弁護士 澤藤統一郎  目次

再び、民主主義とは何なのだろう
(2011年4月11日)

  私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。 この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、 なんという僥倖。

  しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。 憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。

  裁判所が、毅然と 「日の丸・君が代」 強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。 裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」 という教科書の第1ページの理解があれば、 そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。

  もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。 震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。 恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。

  それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。 「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」 と問い続けなければならない。 問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。 心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。

  そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。

  最後に。
  自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。

   新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
   地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
   人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ
   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
   慾ハナク
   決シテ瞋ラズ
   イツモシヅカニワラツテイル
   一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
   アラユルコトヲ
   ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
   ソシテワスレズ
   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
   東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
   西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
   南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
   北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
   ヒドリノトキハナミダヲナガシ
   サムサノナツハオロオロアルキ
   ミンナニデクノボートヨバレ
   ホメラレモセズ
   クニモサレズ
   サウイフモノニワタシハナリタイ