シリーズ 原発
「避難」 か 「移住」 か
井桁大介(弁護士)
2回目のフクシマである。
福島県にはこれまで5回ほど来たことがあった。
3.11以前の福島県にはもう行くことができない。
今回は、福島市と郡山市を訪れた。
1度目のフクシマは5月上旬のことだった。
いわき市と郡山市を訪れた。
3月11日以降、フクシマでは時間の捉え方と放射線量の数え方が同義のように扱われるようになった。
1ヶ月の経過とは1ヶ月分の放射線量の積算と同義であり、これにより郡山市の雰囲気は変化していた。
現実的な危機感が漂うようになっていた。
最も印象深い言葉は、「避難か移住かで迷っている」 という若い女性の言葉である。
まれに、小さな子供を抱えながらフクシマを離れない人々を非難する人々がいる。
乏しい想像力からは、「避難」 と 「移住」 の違いで迷う人々の苦難は理解できないかもしれない。
フクシマは、「避難」 か 「移住」 かを人々に迫るに至っている。
まれに、フクシマがいまだに一人の死者も出していないことを強調する人々がいる。
被害をデジタルに捉える感性からは、「避難」 か 「移住」 を余儀なくされる人々の絶望は共感できないかもしれない。
既にフクシマは、「避難」 か 「移住」 かを人々に迫るに至っている。
多くの人々が、20km圏内であろうと 「強制退去」 ではなく居住か移住を 「選択」 させるべきだと主張している。
福島市は、危険区域にも避難勧告区域にも指定されず、住民は 「選択」 を余儀なくされている。
もはや行政という他人に決断を委ねることは出来ない。
自律が日常生活の必須要素になろうとしている。
空前の公害を前に、過去の経験はむしろ自律の妨げになりかねず、これからの日本が全く新たな歴史を歩み始めたことを改めて感じた。
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