2011.10.23更新

シリーズ 原発


[報告] 第15回原子力損害賠償紛争審査会
「区域外(自主的)避難に賠償を求める文科省前集会」

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」 宍戸隆子

  10月20日に行われた原子力損害賠償紛争審査会に自主避難者としてはじめて出席しました。 16時からの会を前に、 文科省前では市民グループの要請行動。 私も2回発言させていただきました。

  会場に入ると、四角に組まれた委員席。そこに、説明者が順次入れ替わって話をする形式です。 後ろの傍聴席は300人ぐらいは座れるのかと思います。資料の印刷部数は500部だと言っていました。
  今日は 「こども福島」 から中手代表と私、福島市長、福島県弁護士会の方が自主避難について意見を述べることになっていました。

  16時になり、まず最初に東電から賠償請求の現状の説明がありました。 委員の方から何度か質問があがりましたが、その受け答えは官僚答弁そのもの。 のらりくらりとして要領を得ません。それでも、指摘に対して若干気を悪くしたような感じをうけました。
  びっくりしたのは、退席する彼が、控え席に戻らずそのまま会場を後にしたこと。私たちの発表がこれからあるのに。 しかも控え席にいた福島市長に一瞥もくれず、挨拶すらせず。

  次に、文科省の事務方さんよりの発表。 事前に審査会から求められていた資料の説明です。 それは、事故以前の放射線管理に関する国の定めた基準でした。 この段階で私は、? となりました。 なぜ今、事故前の基準を出してきているのか…。 彼も、さっさと退出。

  ついで福島市長です。
  いよいよ対決しないといけないかな。 私はそう覚悟していました。
  ところが…
  「福島から自主避難者がでるのは仕方がない」
彼はそう言いました。
  私も中手さんも一瞬何がおきたのかわかりませんでした。 彼は怒りをこめて福島市の置かれた状況を説明しました。
  「福島にはもう住めないところもある。」
  「除染にかかわる市民から、なぜ自分たちがしなければいけないのかと怒りの声が上がっている。」
  「自主避難者だけでなく、福島に残る人たちにも同様に補償を、そうでなければ市民の中で分断が起きてしまう。」
傍聴席からは何をいまさら的な野次もとびましたが、彼は本当に怒っていた。
  「国からは何の指示もない。私たちが自分で考えねばならなかった。」
その迫力におされ、すべての委員がだまりこみました。なかでも顔を真っ赤にして、頭を抱える原子力ムラの委員。 会の運営を任されている事務方の人が、信じられないというような顔で私と中手さんの方を見ました。

  控え席に戻ってきた市長に思わず、
  「ありがとうございました。」
と声をかけたら
  「本心だ!」
とはき捨てるように言いました。
  彼は 「市長」 なんですよね。 市民と同時に行政機関としての 「市」 も守らないといけない。 それが彼の立場。 さまざまなバッシングを受けても、守らなければならないものを守ろうとしただけ。

  ついで福島弁護士会からいわき在住の弁護士さんです。 彼も怒っていました。
  ご家族を避難させて、自分はいわきに残ってたくさんの人たちの相談にのっていました。 市民の声はどれも悲痛。 一時避難して戻ってきた人と、ずっと残ってがんばってきた人たちの間の溝。 逃げるに逃げられない人たちの想い。 早口でまくし立てられた言葉の向こうに、今の状況をどうにかしたいという強い意思を感じました。

  ついで私たちです。
  ちなみにこの時点で閉会予定時間はとっくに過ぎてました。 私たちは二人で15分の持ち時間といわれていましたが、前の人たちがぶっちぎっているのでそれぞれが15分ぐらいしゃべることに。 何せ前の二人に、言いたいことのほとんどを語りつくされてしまったので、私たちは自主避難者の4月22日問題に力点をおくことになりました。
  避難の選択の合理的な判断材料を明示する中手さんと、避難の選択にいたる感情的な理由を話す私。 科学的な数値がどうのこうの、安全基準がどうのこうの、そういわれたときのために、避難者が直接体験した身体の異常の資料を持っていきま した。 あわせて自主避難しているのは福島の人たちだけではないこと。 その人たちにも補償が必要。加えて福島に残る人たちにも同様の補償を! と訴えました。 命を守りたい、その一点において私たちはみな同じ立場だからです。 ほとんどの委員の人たちは、真摯にお話を受け止めてくださいました。 涙ぐんでらした方もいました。

  最後に審査会の能美会長から
  「自主避難は、賠償しなければならない対象である。残っている人たちへの賠償も検討をしながら解決をはかっていきたい」 という趣旨の発言がありました。
  私は心の中で快哉を叫びました。自主避難だけでなく、初めて、福島に残る人たちの賠償にも言及された。 いままで一番ないがしろにされていたところです。 あの場の空気を、どうにかして皆さんにお届けしたい。 原賠審は、ちゃんと私たちのことを気にかけてくれていた。 事故以前の法律を出してきてくれたことを考えても、その流れをちゃんと用意してくれていたんです。

  どうか、よろしかったらぜひ審査会の録画を見てください。 3時間あります。見たい ところだけ抜粋してくださっても結構ですが、3時間通してみると見えてくるものがあります。
  これからも課題は山積みです。どこかで線引きは必要になってくる。満足のいく補償内容になるとも思っていません。 ですが、私たちは見捨てられていたわけじゃない。 それがわかったことがいちばんの収穫です。

   動画 【10月20日16時〜18時】
  [写真報告]
  10月20日 15時〜15時45分
  「区域外(自主的)避難に賠償を求める文科省前集会」
  第15回原子力損害賠償紛争審査会

写真:NPJ

区域外(自主的)避難に賠償を求める避難者ら。 なお、185人の避難者の意見・聞き取り内容を文科省及び東電に提出したとのこと。


写真右は北海道に自主避難をされている 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」 宍戸隆子さん


参加者は、避難者、支援者、報道陣等併せて150人近くに上った。



第15回原子力損害賠償紛争審査会・開会前の様子。
場所:文科省3階講堂 10月20日午後4時