シリーズ 原発
泊原発で何が問題か
プシネネット 小林芳子 2011.4.2
2009年10月、東洋大学渡辺満久氏が地震学会で発表した泊原発の沖合の海底活断層について、北電は認めようとはしていない。
渡辺氏は、海底活断層はながさ70km、泊原発まで15kmと近く、地震の規模はM7.5以上と指摘している。
さらに海底活断層について、我々の要請で北電は二度の調査をおこなったが活断層の存在を認めず、国もそれを鵜呑みにして、
プルサーマル実施の認可をおろし、現在は2012年の定期検査時に実施がきまっている。
北電社長がプルサーマルに関しては国の指示に従う旨の発言をしているが、はっきりと 「撤回」 のことばを聞くまで安心できない。
泊原発が建っている場所は、積丹半島の付け根であるが、積丹半島そのものがとても地質的に軟弱である。
なぜなら、積丹半島は海底火山によって海底から盛り上がって出来た半島として地質学者の間では世界的に有名である。
となると地層そのものの傾斜が約45度で、堅い層と柔らかい層が交互に積み重なり、サンドイッチ構造となっている。
地層的に最悪の場所に建設されていることになる。
北電の言い分
泊原発は地震の規模、M8.2まで耐震性があるとして、安全であるといっている。
また、福島原発事故の後は津波防波堤を高くするなどといっている。
反論
いかに泊原発そのものの耐震性が良くても、建っている地層そのものが軟弱である。
そのためM8.2の地震に耐えられるといってもそんな単純なことでないのは福島原発をみれば明らかだ。
地震の規模が小さくとも地層が崩れ、原発が傾くことも想定される。
活断層が近くに存在するので、ほぼ直下型地震となると被害は甚大だ。
地震、津波、原発の3つの危険条件をそなえている泊原発周辺住民は、毎日TVに映る悲惨な状況を──あすは我が身──と捕らえている。
これからの運動
「プルサーマルを知ろう」 後志住民ネットワーク(通称ぷしね)は、2009年2月に同志が集まり設立された会である。
プルサーマルの燃料にプルトニュームを使用する恐い真実を周知させる目的で活動をしてきた。
この度の福島原発の大災害による被害者に対しては痛恨の思いである。
全国民的にこの犠牲をムダにしないため、何をするべきか呼びかけていきたいと考えている。
まず第一に、原発に変わる自然エネルギーに大きくカジを切って、国全体の目標を持続可能な社会をめざすこと。
そして──原発がなければ電気がなくなり暗く不便な昔の生活にもどる──と考えている人たちに、説得力を持つ代替案を具体的に提示すること。
20世紀は戦争に明け暮れた世紀だった。
原爆の被害を被った唯一の国日本として核廃絶をめざしていくべきところを、いつの間にか核の平和利用という言葉のもとに原発大国になってしまった。
核兵器こそ造らなかったが、その原料のプルトニュームを造り続けてきたことにやっときずかされた。
この世界的な地震国の17カ所に55基の原子炉がひしめいている日本。原発列島と化している日本を救うことができるのか。
経済最優先の路線をつっぱしって来た日本を止めるのはこのような審判しかなかったのか。
この尊い人命を失うことで我々は気づかなければならない。人間の幸せとは何か。経済の発展とともに失ったもの。
足るを知ることなく、ひたすらもっともっとと欲望を果てしなくふくらませて来た。
人を思いやることも忘れ、自分さえよければ…と競争を煽ってきた教育、お金さえあれば学歴さえあれば幸せになれる…との神話を疑うこともなかった。
というよりは時間に追われ考える余裕すらなくなっていた。時間の奴隷と化した人間、これがGNP世界第二位の経済大国の姿だった。
日本は借金大国だ。さらにこの大災害で経済はひどいことになる。国民総貧乏人になる。
でもそれによって人々が助け合う精神を持ち、思いやりに充ちた社会ができるなら今より幸せで住みよい社会ができる。
実はそれは昔あった社会だ。第二次大戦後の日本はゼロからのスタートだった。皆一生懸命働いた。助け合った。楽しかった。
希望があった。価値観がお金、物から心の充実へと変われば幸せは向こうからやってくる。そんなことを考えながら明日に向かって歩くつもりである。
日本が全く世界になかった違った国として再生したら世界中が日本を見直すだろう。
世界中の目が21世紀の新しい生き方を模索している折から日本のはたす役割は非常に大きい。
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