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平和の祭典

寄稿:西村 修一 (馬術家・エッセイスト)

2021年5月31日

 西村氏は競技馬術の元選手。オリンピックはクーベルタン男爵の提唱に戻り、平和の祭典として、メダル獲得至上主義をやめるべきとアピールしてきた。東京オリンピックの開催に慎重であるべきとNPJにも原稿を寄せて頂いている。コロナ禍の中、西村氏の率直な東京五輪中止論を掲載する。
 
 
 2003年 8 月号に「オリンピックに未来はあるか」と題して書き始めた「馬耳東風」の近代五輪批判も今月で40回を迎えるのを機に、今度の東京五輪及び将来あるべき五輪像について述べてみようと思う。

( 1 ) 古代五輪の起源
 紀元前 8 世紀、エリスのイフィトス王はデルフィの神のお告げに従いスポーツを通して都市国家間の絶え間ない紛争を鎮圧する事に成功した。
 即ち、五輪開催中に高度な政治論が戦わされ都市国家間で平和同盟の条約が交わされた例も数件ある。
 又、大会開催中は争いを中止するとしたにも拘わらず、その争いを止めなかった国に罰金を課したという記録も残っている。
 然し現在の IOCは国家間の争いに全く無関心でありその件については次の章で述べることとする。

( 2 ) 五輪は断じてスポーツの祭典に非ず
 古代五輪は「エケケイリア」と呼ぶ大会開催に伴う休戦を設けており、5 日間の大会の為に二ヵ月間も戦闘を中止した例もある。
正に、人の意思で止められぬ戦いの無いことを古代の人は示してくれていたのだ。
 現代の五輪憲章には「オリンピック精神に基づいて行われるスポーツを通して、青少年を教育することによって平和でより良い世界づくりに貢献し、そのオリンピック精神に基づくスポーツ文化を通して世界の人々の健康と道徳の資質を向上させ、相互の交流を通して互いの理解の度を深め友情の輪を広げることによって住みよい社会を作り、ひいては世界平和の維持と確立に寄与することをその主たる目的とする」と明記されている。
 その趣旨によって結成された IOCは考えようによれば全世界共通の一大宗教であり、その御本尊は「世界平和」である。
 然るに現在の IOCは「国際オリンピック休戦財団」なるものを設けているにも拘わらず2008年北京五輪の開会式当日、グルジア軍とロシア軍の軍事衝突に際して、その件は国連と当事者で解決すべきだとして IOCはその責任を回避してしまった。

( 3 ) スポーツとは

 ラテン語でスポーツとは「すべてを忘れて熱中する」という意味である。
 「なすことの一つ一つが楽しくて 命がけなり遊ぶ子供ら」。(楢崎通元老師)
 遊ぶという行為は、子供自身の心象や興味を満足させようと、その全能力を振り絞って真剣に、正に命がけで自由な運動、自由な活動を示すものであり、その行動自体は無目的で誰に要求されたものでも又強制されたものでもない。それは優越感を伴わない自己満足以外の何ものでもない世界なのだ。
 そして五輪スポーツは絶対に競技 (技を競い合う) スポーツであってはならない。
 「吾人に勝つ術を知らず 吾に勝つ術を知り得たり」。 (柳生宗矩)
 オリンピックに於いて大切なことは勝つことではなく参加することであり、人生に於いて最も重要なことは相手を征服することではなく正しく奮闘することである。 (クーベルタン男爵)
 スポーツでの勝ち負けは主目的ではない。
 勝って驕らず、負けて悪びれず、相手を重んじ、苟も不当な事情によって得た有利な立場によって勝負を争うことを潔しとしないスポーツマンシップこそスポーツをするうえで最も重要なことであり、その精神を抜きにしてスポーツはあり得ない。
 今度の五輪に於いて、日本選手は選手村に入らず、強化施設「味の素ナショナルトレーニングセンター (NTC) を拠点とし、その環境は外国選手よりあらゆる面に於いて遥かに有利な立場にある。従って今大会で日本選手が手にするメダルの価値は従来のそれより遥かに低いものと思わねばならない。


( 4 ) 聖 火

 3 月末、米国内で東京五輪の放映権を持つNBCは「リレーの聖火を消すべきだ」との寄稿を電子版に記載した。「新型コロナの世界的大流行の最中、公衆衛生を犠牲にする危険を冒している」とし、更に「聖火リレーの出発地に福島を選んだことは、この儀式の偽善や害悪、ばかばかしさを際立たせたのみならず、五輪に向けて突き進む日本の問題の縮図でもある」と手厳しく批判し、「もとは『復興五輪』をうたっていたのだが、現地の多くの人は復興の遅れを理由に五輪を非難している。即ち復興の財源は五輪の準備のため東京に振り向けられたと指摘、又五輪はパンデミック (世界的大流行) を悪化させかねない。
 開幕時にも日本国民はワクチン接種を終わっていないだろうと述べているが、私はこの意見に大賛成だ、現に宮城、岩手、福島の復興率は60%台で、新型コロナの感染拡大に加え 2 週間に 1 回の割合で変幻自在に形を変える変異株も拡がりをみせ、それに適応するワクチン開発との鼬 (いたち) ごっこは恐らく五輪閉幕後も続くことだろう。そして出来れば無意味な田舎芝居興行の客寄せちんドン屋擬 (もど) きの聖火リレーは中止すべきだ。

( 5 ) 開会式
 開閉会式の演出を務めるクリエイティブディレクターが女性タレントを侮辱するような演出プランを提案したため辞任し、今後どのような演出になるか不明だが、1984年のロサンゼルス五輪以降の商業化路線を反映してか、最近は大がかりなショー的要素が強く、開催国の威信を誇示するような演出が目立っているが、アメリカのアンドリュー・ジンバリスト教授は、五輪はかなり宣伝され、人の目に触れているが、それは結局浪費とも思える高額な費用に人々の注目と軽蔑が集まる結果に外ならない。と言う如く開閉会式等に莫大な経費を使うのは無意味である。

( 6 ) 五輪の内容
 出場選手に運動の各種目毎の五輪基準を設けたり、又、各国何人と割り振るのは止めて各種目の世界ランキング上位30位によりエキジビション大会を開催する。
 恐らく各選手は勝敗に関係なく自由に伸び伸びとその芸術的演技を披露し観客を魅了することだろう。勿論金銀銅等のメダルは廃止。そして、クーベルタン男爵の熱望によって1912年から1948年まで実施された絵画・彫刻・音楽・文学・建築の新進気鋭の若手芸術家を招待し、文化芸術イベントを実施する。
 世界各地で起きている人種・宗教・領土問題等に起因する紛争は、あまりにも複雑に絡み合い容易なことでは解決するとは思えない。然し、芸術は国境を越え、民族意識を超越し、お互いの文化と伝統を尊重し合い理解し合うことが出来、芸術家達の視野も広がり彼等は間違いなく世界平和の使者としての役目を果たしてくれるだろう。
 五輪のスポーツは勝利至上主義によってあまりにも毒され最早平和の祭典には相応しくない。五輪の起源の章でも述べた如く、五輪のスポーツは本来、平和の為の一手段として採用したにすぎず、その本来の目的が達成不可能となれば競技スポーツは除外する以外にない。勝利至上主事は世界選手権等で大いに発揮すればいい。

( 7 ) 閉会式
 閉会式は長い戦いが終わり、選手も役員もスタンドの観客も、テレビを観ている世界中の誰もが融合しあい世界が一つになる瞬間なのだ。
 1964年の東京五輪の閉会式はメインスタジアム中央の芝生の広場を使って午前中は馬術の大障碍飛越競技の一次予選が行われ、昼の休憩時間には前日馬事公苑で行われた馬場馬術競技の優勝者の供覧馬術 (模範演技) があり、午後からは障碍飛越競技の決勝戦が行われ、それに引き続き入賞人馬の表彰式が挙行され、メインポールに優勝者の国旗掲揚があり会場にその国の国歌が流れた。
 そして夕闇迫るメインスタジアムに、これから閉会式が行われるとのアナウンスにつれてなんの前触れもなく外国選手達が肌の色に関係なく日本選手達とも一緒に手をつなぎ肩を組むなどして入場してきた。中には日本選手を肩車してともに喜び合い、まさしくこれは世界が一つになった瞬間だった。
 このような閉会式は人間が作為してできるものではない。競技を終えた人間の喜びと悲しみ、満足感と哀愁がどっと一時に爆発したのだ、各国選手一人ひとりが名優以上の巧まざる名優となって五輪が世界一の平和の祭典であることを、まざまざと演出してくれたのだ。私はあの時の感激を今でも忘れることは出来ない。
 今回の閉会式は出来れば1984年ロサンゼルス五輪以降の商業化路線を反映して大がかりなショー的要素の開催国の威信を誇示する如き演出は避けて1964年の東京大会の閉会式を見習い、それに加えて、会場一杯の大スクリーンに今や8,000万人を超える世界の難民の現状や、嘗ての戦争の悲惨さやアウシュヴィッツでのナチスのユダヤ人に対する残虐行為の映像、更に広島・長崎の原爆の惨状を大写しにして、戦争というものは同じ人間同士が、このような暴虐と蛮行を行い、非人道的な行為を平気で行うことが出来るということを大スクリーンに映し、五輪はこの様なことを二度と起こさぬ為の平和の祭典であることを全世界に知らしめる必要がある。何故なら、現在第2次世界大戦を生で知っている人が少なく、バーチャルと現実との境目が曖昧になっているからだ。
 そしてどうか復興五輪と銘打った関係上、被害を受けた現地の極一部の復興された映像や日本の御神楽、御神輿やお祭りの風景、そしておさだまりの芸者と富士山、尻丸出しの男の太鼓叩きだけはスクリーンに流さないでもらいたい。

( 8 ) まとめ
 平和は平和よりきたる。
 平和の為の戦いという名目からは決して平和は訪れない。
 この原稿を書いている 3 月下旬では中止か決行か定かではないが、決行すれば恐らく無観客で規模も小さく記録も低調で淋しい大会になる反面、大赤字になるだろう。その結果世界中で五輪離れに拍車がかかり本当の五輪終 (ごりんじゅう) になりかねない。きっとクーベルタン男爵は彼の世でほくそ笑んでいることだろう。男爵の最後の言葉「もしも再びこの世に生まれたら、私は自分の作ってきたものを全部こわしてしまうだろう」。
 “二度とない人生だから戦争のない世の実現に努力し、そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう 私が死んだら あとをついでくれる若い人たちのためにこの大願をかきつづけてゆこう” 坂村真民

以上

 2011年 日本体育協会・日本オリンピック委員会より功労賞受賞

第六話 五輪 (ごりん) 終 (じゅう) (勝利至上主義) 2020.6.11
第五話 オリンピック東京大会中止の決断を下す勇気 2020.2.16
第四話 五輪霧中 2019.4.6
第三話 メディアの使命とIOC改革 2017.7.19
第二話 2020年東京オリンピック (平和の祭典元年宣言) 2017.7.12
第一話 オリンピックの意義(オリンピックはあくまでも平和の祭典、
スポーツの祭典に非ず)
 2017.7.5

 西村修一 (にしむら しゅういち)

1930年  東京に生まれる
1950年  全日本学生馬術選手権個人優勝
1952年  慶應義塾大学経済学部卒業
1953年  NHK杯受賞
1955年  日本スポーツ賞受賞
2000年  社団法人馬術連盟より功労賞受賞
2001年度 馬場馬術世界ランキング第82位
2011年  日本体育協会・日本オリンピック委員会より功労賞受賞

前社団法人日本馬術連盟理事
前社団法人日本近代五種・バイアスロン連合 常務理事
前関東高等学校馬術連盟会長
前全日本馬場馬術選手会会長
前社団法人日本彫刻会会員
現社団法人日本ペンクラブ会員
全国各競馬関係諸施設に馬の銅像20基設置

ホームページ 馬の彫刻作品集とエッセイ

 

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