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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見 
「ヤスクニ」問題の解決はいかに

2014年11月25日

8月15日は日本人にとって敗戦に結果した終戦記念日だが、韓国人には光復節で日本による朝鮮半島統治からの解放を祝う日であり、北朝鮮では祖国解放記念日である。

日本人は同期日を敗戦に結果した終戦記念日とするが、あえて永続的に敗戦日として自覚する必要はない。一部の知識人たちはともかく、敗戦と深く自覚させられれば一般国民は、次の戦争では勝利するぞ、となるだろう。

1946年、「東京裁判」によるA級戦犯28名の起訴は、昭和天皇の誕生日である4月29日におこなわれた。1948年、当時15歳の皇太子であった明仁天皇の誕生日である12月23日に、東条英機をはじめとするA級戦犯七名の処刑がおこなわれた。皇太子の誕生祝いは中止となった。

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勝者が敗者を物理的に抹殺するだけではなく、相手の慶事に対して弔辞、吉事に対して凶事を象徴的に仕掛け精神的打撃を与えるのが、特に西欧の、悪の政治学に含まれる支配情念の伝統である。

利害の異なる、または対立する複数の国家が同一の特定の期日に起こす行動が、互いに相手国に対して様々な意図のもとに影響を与えることも政治的世界では周知のとおりである。

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2013年4月23日の春季例大祭に「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という 超党派の議員連盟、衆参合計168議員が集団参拝した(衆議院議員139人、参議院議員29人。政党別では自由民主党132人、民主党5人、日本維新の会25人、みんなの党3人、生活の党1人、無所属2人)。

同年12月26日、安倍首相は靖国神社に参拝して、ある決意を新たにした。「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に哀悼の誠を捧げるとともに尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りした。不戦の誓いを堅持する決意を新たにした」(朝日新聞、2013年12月26日夕刊)という。

しかし安倍氏の参拝における決意は奇妙な内容であると思う。

どこが奇妙なのか。

まず御英霊たちが戦ったのは間違っていたかのように受け止められうる。

わたしは、西欧の複雑な政治情念に介入させられる可能性が高い集団的自衛権には反対で専守防衛を堅持すべきであり、外国が不当に侵略してきたら自衛隊は自衛の本分にもとづいて所与の能力を発揮して戦うべきだと考えている。

そこで「不戦の誓いの堅持」とはいったいどういうことかと不審に思う。

「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」に対しては、「不戦の誓いを堅持する決意を新たにした」ではなく、たとえば、あなたたち御英霊が守ろうとした残された国民のために、「未来に向かって平和な日本となるべく新たな決意をする」というのが国際的にも通用するメッセージではないのか。

しかし事実として靖国神社は「ヤスクニ」問題化されて、中国、韓国のみならずアメリカまでが総理大臣の靖国神社参拝に失望感を表明するまでになってきている。

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ところで安倍首相が靖国神社に参拝した 2013年12月26日、この日は故毛沢東主席の生誕120年の記念日である。

アヘン戦争以来西欧に支配され、 一説に四人に一人がアヘン中毒患者にさせられ、さらに中華文明内の東夷の列島小国に国土を荒らされた中国が、今経済的に新興して世界を見返してやろうと考えている(と推測される)中国主席の心中に去来する感情はいかなるものであろうか。

安倍首相の心理劇のなかで「集団的自衛権」と「不戦の誓い」は、中国やアングロサクソンの戦略家たちにも推し量れない深謀遠慮であるという自負でもあるというのか。

どう考えても日中両者のみならず日韓両者の信頼関係も崩れているようにみえる。

日中両者の歴史認識はますます決定的にずれてゆくのではないのか。

安倍政権は、中国政府や中国漁船の不法な操業なをの様々な海洋進出で日本には緊張が生まれ、中国に屈服するなという国民感情が時に沸騰する現状の中で、結局アメリカの軍事戦略の一部隊となる流れを作っているのではないか。

いったい何のための「自主」憲法改正なのか。

本日、NHK BS1で東西冷戦終結前に、ゴルバチョフ大統領とレーガン大統領の間でおこなわれた両雄の信頼関係構築の映像を観た。

もっとも大切なことは首脳同士の信頼関係の地道な積み上げである。

アングロサクソン流の戦略国のモノマネは、非覇権国であるべき「和」国にふさわしくない。

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英BBCの記者が、2013年12月26日の安倍総理の靖国神社参拝は中国との関係を悪化させるとの報道のなかで、 Jeff Kingston 教授の解説を引用する。

「安倍氏は中国を挑発したのだ、それに中国は安倍氏が望むように反応した。ここには抜け目のない緻密な政治的計算が働いている。」(”Abe has provoked China, and China has reacted just as Abe wanted  it to,” says Prof.Kingston. “There is a shrewd political calculus at work here.”)

そして、ねらいは恐らく憲法改正である、と指摘する(But there is perhaps a bigger goal that Mr Abe  has in mind. He wants to radically revise Japan’s post-war constitution.).

なるほど、集団的自衛権を閣議決定して、それに反対する勢力に憲法の手続きを無視したといわせて、憲法改正への流れを作ったわけだ。

次は選挙年齢を引き下げて若者たちをインターネットを駆使して味方につけるかもしれない。

とにかく多くの国会議員を靖国神社参拝という空気の中に引き込むことが様々な利害関係をもつ国会議員の情念の一体化に有効なのだろう。

この空気は超党派の空気であって、議員たちに主義主張を超えた一体感を与えるのだろう。

そして、総理大臣が参拝しないほとんどの日の靖国神社の境内は、鳩が餌を食むのどかな風景である。

「ヤスクニ」問題とは、いったい何ものなのか?

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「ヤスクニ」問題の主な争点は大方の識者の考えを参考にしながら整理すれば以下の五つのようだ。

(1)政教分離の原則

(2)信教の自由

(3)諸外国との歴史認識

(4)A級戦犯合祀、特に東条英機の合祀

(5)分祀の意味(これは宗教学的理解を要する)

さらに(1)から(4)の争点に、天皇制、東京裁判史観、東条英機の評価、などなどが絡み合ってくると終始のつかないほどの複雑な問題群となる。そして、さらに君が代斉唱、国旗掲揚を考慮にいれると、靖国神社というボタンを押すと、明治維新以来の近代日本の様々な政治、社会的争点が一つ一つ点滅をはじめてくるようだ。

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「靖国神社」規則、その社憲および靖国神社社務所の分祀にかかわる靖國神社の見解( 平成十六年三月三日)をまとめれば、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、その「みたま」を奉慰し、その神霊をお慰めし顕彰する、のが靖国神社の宗教的主たる目的である。

ここには、本居宣長の定義する、<みたま ⇒ 神>の神道的生命観が認められ、これがこの宗教法人のいわゆる教理の根幹であるから、この教理の変更を宗教観を異にする外部から変更させることはできない。

特定の宗教法人の基本的教理を外部の者が変更をせまるのは信教の自由に反するから、分祀にかかわる靖國神社の見解も靖国神社の宗教的立場であるから外部の者が変更を要求できない。しかし、このような教理や神道独特の微妙な生命観を諸外国の人々に理解を期待するのは極度に困難である。

***

どうしたら「ヤスクニ」問題を解決できるのか。

以下、任意の順に「ヤスクニ」問題にかかわる争点、事実関係などを簡潔に列記してみた。

・ 靖国神社と「ヤスクニ」問題とを整理して考えなくてはならない。現在の靖国神社に問題はない。神社自身に問題が    あれば、具体的に靖国神社の法人自体の認可に関わることになる。

・ 靖国神社は、現憲法下の日本の法律に則った宗教法人であり、この神社をさまざまな人々が参詣者として訪れることになんらの問題はない。このこと自体をイデオロギー的に問題化してはならない。

・ 靖国神社には、いわゆる国家神道なる思想・情念が背景にあって天皇・国家のために忠誠を尽くして戦った人々を祀るために建てられた過去をもつからといって、現在の靖国神社の存立を否定することはできない。 世界宗教史の規模でいえば、十字軍、異端審問、魔女裁判など大規模で凄惨な事件を引き起こしたからといって、現在のキリスト教会を否定できないのと同じである。

・ 靖国神社に祀られている「みたま」には、当時様々な宗教を信じていた人々がいる。

・ 日本人の間で“日本人の問題”であるという視点を持つかぎり「ヤスクニ」問題をかかえて前向きの日本の未来を考えることにならない。

・ 靖国神社に祀られているおおかたの「みたま」が、日本の国土で戦闘をした兵士たちではなく中国大陸や朝鮮半島で戦闘したということ、さらに普通の中国人や朝鮮半島の人々に多大な困難を与えたことは事実である。しかし、日本国土に中国兵が過去1500年間侵入してきたことはない。

・ 世界の民主国家の一員として日本が名誉ある地位を改めて世界に示すには、国際的視点で日本を相対化してみる歴史観がなければならない。

・ 遊就館があって、それは過去の軍国主義を賛美しているのではないか、との批判がある。一方、それは戦争観の立場の相違であって相対的にそれほどひどい展示内容とはいえないという反論もある。

シンガポールのある識者は、遊就館こそ靖国神社の神殿そのものよりも問題で第二次世界大戦における日本の役割に対する認識が欠如している、と指摘している。(Museum even more disturbing than Yasukuni Shrine; Barry , Desker S. Rajaratnam,  School of International Studies, Nanyang Technological University For The Straits Times; Monday, Nov. 24, 2014)

この識者の意見の妥当性に疑問があると考える人がいれば、堂々と反論すべきである。世界の軍事博物館には様々な展示方針があるだろう。遊就館の展示方針については、適宜に神社側の対応に一任する。

・ 長年にわたり、この神社をめぐってさまざまな肯定的と否定的な評価が「ヤスクニ問題」として現れているが、事実上の宗教法人としての靖国神社に問題はないのだから、「問題」は靖国神社にかかわる「われわれ」にある。

「われわれ」は、ほぼ二分化されて一方の「われわれ」は親疎の程度は異なれ政権に関係している「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」やそのシンパなどで、他方の「われわれ」は、いわゆる知識人たちを含むさまざまなグループが組織化もなく活動している。そして靖国神社参拝に積極的に関心のある前者と、靖国神社に消極的か否定的な関心しかない後者の間に、大多数の国民が置き去りされている。彼らは中国側が尖閣諸島に対する主張や中国漁船によるサンゴの不法操業などのニュースを聞くたびは、靖国神社参拝グループに感情的に同調されるだろう。

***

靖国神社から「ヤスクニ」問題をなくして、参詣者らにとっての静寂の境内地とするために、以下、単純な提案をして、大方のご批評を乞いたい。

1 一般の日本国民が、他の神社仏閣と同様に、任意に靖国神社に自由に参拝することに問題はない。

2 総理大臣と閣僚は在任中は、靖国神社に参拝しない。官邸から毎日遥拝はすることができる。しかし信教の自由に則って、国会議員は任意に一般の人々に混じって参拝する。

以上の2点について中国および韓国と十分に協議して了解を共有する。

3 「武」王でない「文」王としての天皇の伝統維持のために、天皇の靖国神社参拝を期待や要請をするような心がけを国民一同はもつべきではない。

4 「日本軍国主義は日中人民共通の敵」といういわゆる周恩来テーゼを了解する。日本は軍事的覇権国にならないとの覚悟の下に、中国、韓国やアジア諸国の一般の人々と信頼関係を築きつつ、相手国に対しても異論があれば未来志向で意見をいう。

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わたくしであり彼であり雲であり岩であるのはたゞ因縁であるといふ

そこで畢竟世界はたゞ因縁があるだけといふ

雪の一つぶ一つぶの

質も形も進度も位置も時間も

みな因縁が自体であるとさう考えると

なんだか心がぼおとなる・・・

(宮沢賢治「五輪峠」;作品第十六番)

ヤスクニ問題を「五輪峠」に佇んで考えていると、日米の兵士たちが死闘を演じて海岸近くの海が血で染まったといわれたペリリュー島のことが思い出されてきた。総理大臣と閣僚たちが偉容を誇るように靖国神社に参拝する光景の背後に大勢の旧日本兵たちが茫然として立ち現れてきたような気がした。 (2014/11/24 記)

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