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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見(9) 日韓関係と従軍慰安婦問題の将来

2014年12月10日

「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」(「憲法十七条」)

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組織における権力的地位、門閥、学歴、社会的栄誉などのさまざまな文化的衣装が剥されたところに顕われる赤裸々な人間の情念を、聖徳太子は見つめていたと思う。そのような彼の赤裸裸の人間観が凡夫ということである。

ちなみに、ここで「聖徳太子」とは「十七条憲法」の各条の内容から帰納されるところの「ある理念的人格」のことである。聖徳太子の熱烈なる信奉者である親鸞は、そのような理念的人格を自らの精神生活のなかに実感して生きて、人間の社会的平等を自覚していた。

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聖徳太子は、高麗の慧慈、百済の慧聡を側近として大陸の政治情勢の情報を得ながら政治を行っていた。今日的に考えれば北朝鮮の地域と韓国南部の人々の中のエリートを政治の中枢に据えて、中国を中心とする東アジアの政情を観察していたのである。驚くべきことに慧聡は20年間の滞日後、615年に帰国を許されている。

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毎年のように日本人論が出版されているが、日本人が自らの出自に特別の関心を持ち続ける主な原因の一つは、古代史における天皇家の歴史的出自の経過が曖昧であることが一因であろう。

しかし日本文化の縁起的発展の歴史に理解のない一部の自称愛国日本人は、この出自自体に不自然な純粋性を勝手にいだいている。彼らは西欧コンプレックスの裏返しであるアジア人を見下すことで偏狭な愛国主義を生み出し自己肯定をしているようだ。

このような偏狭な思想傾向は徳川期のある時期から顕在化してきたものであるが、これが日本人の国際理解への障害となっているばかりでなく、日本文化の基本的情念を否定していることである。

古代において天皇家が朝鮮半島の人々と深く関わっていたことは当然のことである。この程度のことに神経過敏になることが、一部の日本人の “歴史認識”が根底でゆがみを生み出していて、かえって日本人としての自立的思考を失っている。

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東京生まれで下町育ちの過去70有余年のわたしのささやかな人生で、これまで韓国人とは挨拶程度の言葉を交わす機会さえほとんどなかった。

ところが今年の10月に、主として大学教員の韓国人だが、 はじめて韓国人と話す機会ができた。シンポジウム後の懇親会で意見の交換をしてみると、やはり “近しさ”を覚えた。

そして、この “近しさ” が、たとえば従軍慰安婦の問題では、対中国人よりもかえって敏感な心の問題となっているような気がした。しかし、この近しさは、在日韓国人を含む特殊な歴史的事情による、簡単には説明しがたい近しさであり、 “近づき難さ”と感じる人がいるかもしれない。

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中国も深く関わっているヤスクニ問題と従軍慰安婦問題に共通する単純な事実は、

1)戦時中に攻撃され戦闘が行われた場所は日本ではなく、 被害者本人たちとその関係者らは中国と朝鮮半島の人々であることだ。 沖縄は別として、大方の日本人には外国兵に占領された体験がない。

2)そして、その攻撃と戦闘に従事した旧日本兵のほとんどが戦地での体験を語っていない。

3)さらに、ヤスクニ問題と従軍慰安婦問題を議論している日本人のほとんどすべては、まったく戦争体験のない戦後の日本人である。

4)そして、もうひとつ共通することは、 ヤスクニ問題と従軍慰安婦問題は、とりわけ “日本的”な問題である。 靖国神社に相当する宗教施設は世界中のどこにもないし、従軍慰安婦(施設)の実体も、おそらくの世界軍事史のなかでも例外的なことだろう。

死の恐怖に直面せざるを得ない男性兵士たちの性欲処理の実体を世界史的規模で調べた国別の研究があるかどうか知らない。

現在、たとえばフィリッピンにおける米兵たちの状況はどうなのか。

なまじ従軍慰安婦施設をつくったから、その施設の責任の所在が問題にされたのだ、という人もいるだろう。

しかし仮定として、日本の国土に韓国兵が来て日本人女性を慰安婦とした同様の施設があったとしたら、どなのだろうか。

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ベトナム戦争でおこなわれた米兵による殺戮行為と枯れ葉剤等による爆撃で現在も苦しんで生きている多数のベトナム人の身体障碍者らは、もうすでに今日的な世界のマスコミの話題にならない。

本年はじめてベトナムを訪問したが、現在も ベトナム全土で8,000万人超の人口の中の100万人以上の人びとが枯れ葉剤による外形的障害、遺伝疾患やがんなどの後遺障害に苦しんでいるといわれている。

しかし、かっての従軍慰安婦施設がいつまでも問題化されるのは、なぜか。

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ある国際法学者は、領土問題の解決に関しては、事実上の「抗争」(conflict)と法的な「紛争」 (dispute)とを区別する視点が必要であるという。そしてコントロールされない形の国家間の争いで、場合によっては「戦争」に発展しかねない危険性を持っているのが「抗争」であるいう。

さらに領土紛争を国際裁判での解決を目指すということになると、裁判 所が最初に決めるのは、その「紛争」は、いつ発生したのかという時点、つまり「決定的期日」(critical date) がなければ国際法における裁判は開始しないという。

では、従軍慰安婦問題に「決定的期日」(critical date) はあるのか、さらにこの問題について「抗争」(conflict) か法的な「紛争」 (dispute) かの分別ができるのか?

従軍慰安婦問題は「抗争」でもあり「紛争」でもありうるだろう。

法律問題、ましてや国際法にはまったく素人の自分には判断しかねるが、領土問題と従軍慰安婦問題とは、基本的に性格を異にする問題であるようだ。

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11月28日に民団韓国中央会館で日韓問題についてのシンポジウムがあったが、鈴木邦男氏も出席した興味ある集まりであった。彼はヘイトスピーカーたちは右翼ではないとはっきりと発言して、会場の韓国人たちにはある種の感動が流れたようだった。

その後の懇親会には鈴木氏も参加して数名の韓国人学者と活発な意見交換が行われ、有意義な日韓友好のためのシンポジウムであったと思う。

わたしは、その懇親会の席で、国籍と文化を超えた、いわば “ 国際的普遍的人情”があるを信じている、これは、ガザ、シリア、アフガニスタン、ウクライナなど流血の起きている状況では意味をなさないだろうが、日韓の間では可能ではないかと思う、と吐露した。

“国際的普遍的 人情”とは、凡夫の自覚ということである。

従軍慰安婦問題には、特に様々な独立系の信頼できる欧米の情報源などから推測すると、すでにこの問題を利用しようとするグループもあるようにみえる。

従軍慰安婦問題の解決には、欧米人の一部の人々の、特に軍事政策における巨大な偽善性を洞察すると同時に、欧米の人々の果敢な批判精神を学びつつ、 まず日本人が、特に政治家が、アジア人の共生に対する肯定的な信念をもつことが必要であろうと思う。

法治国家をめざして苦悩している中国と、法治の内部で巨大な法の悪用が露呈されつつある米国の間にあって、日本は非覇権国を国是としてアジアにおいて共生の生き方を求めてゆかなければならないと思う。

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日韓問題に話をもどすと、わたしは若者たちに期待している。

若者たち、とくに大学生には是非、板門店にいってほしい。

そこで彼らは国境とはなにか、休戦体制とはどういうことか、そして日本が朝鮮半島にいかに関わってきたかを、実地に学ぶことだろう。

強制的、誘導的な教育はいらない。それぞれの若者たちが自主的に歴史認識を深めることだろう。

このことをある韓国人の大学教員に話したところ、まったく賛同してくれた。

「ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」の心がけをもって、どうしたら共生できるのかを、前向きに持続的に話し合うことが大切であると思う。

東アジア諸国は、タイを除いて欧米の植民地になった国々である。それらの国家の様々な問題に理解を深めつつ、まず共生していくという覚悟をして、国際的人情レベルでの民間交流の拡大がますます必要である。

(2014/12/05 記)

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