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戦争で市民の安全は守られない

寄稿:飯室勝彦

2022年4月3日


 ロシアによるウクライナ攻撃は収拾の見通しがつかない。プーチン大統領は、国際社会の厳しい批判、制裁にもかかわらず、軍事行動をやめようとしない。多くの都市がロシア軍の砲弾で破壊され、既に何千人もが命を奪われ、あるいは負傷させられている。国外へ脱出した難民は400万人を超えた。勝手な理屈をつけて主権国家である他国を踏みつぶそうとするかのようなプーチン大統領の振る舞いは、侵攻というより侵略と表現するのがふさわしい。正常な判断力が失われたか著しく低下しているのではとの観測が生まれるのは当然だろう。

◎改憲論者が元気に
 ここへきて改憲を叫ぶ人たちの声が高まっているという。「だから憲法第9条を廃止しなければならない」「非武装非戦は非現実的だ」国家の安全を他国頼りにするのは独立国として無責任だ」「自衛のための武力行使、戦力保持について憲法に明記すべきだ」などである。
 ウクライナは非軍備国家だからと言わんばかりだが勘違いしているのではないか。ウクライナは丸腰だから攻撃されたのではない。強大なロシア軍が苦戦するほどの軍事力を保有していた。ロシアの侵略が始まってからの各国の武器援助などを差し引いてもそれなりの戦力は保有していたのである。侵略はもっぱらロシア側の勝手な理屈による。
 あるいは言う。「ウクライナは徹底的に戦うことで国家としての尊厳を守っている。それができたのは武力を保有していたからだ。自衛隊という武力組織が “日陰者” 扱いされている日本の憲法では国家の尊厳が守れない」

◎尊厳では守れない市民の安全
 ウクライナ軍はロシア軍の攻勢を各地で食い止めている。多くの市民が「民間防衛隊」として武器を持って戦い、軍をバックアップしている。軍の頑張りや市民の戦線参加の裏には「国家の尊厳・誇り」を守り抜くという意識がうかがえる。
 しかし困難にもめげないウクライナ軍、市民の戦いには敬意を表するが、残念ながら尊厳、誇りでは市民の生命、財産は守れない。
 「だから降伏しろ」とは言わないが、国家は国民のためにあるのであって国民が国家のためにあるのではないということは指摘しておきたい。

◎繰り返された歴史
 歴史を振り返ると正義や尊厳を理由に侵略戦争は繰り返されてきた。プーチン大統領も歴史から得られる教訓を生かすどころか、ナチスや旧日本軍と同じような蛮行を繰り返している。国際社会はそれを許してしまった。これ以上繰り返してはならない。

 そのためにいま日本がなすべきことは、「ひとたび戦争になれば市民の安全は決して守れない」という教訓をあらためて再確認することだ。そして困難ではあっても国際社会の先頭に立って戦争のない世界の実現を目指すことである。膨大な国土を焦土とされ、何百万もの人が犠牲になった日本がいうからこそ説得力が生まれる。
 戦争で市民の安全が守られなかったことを我が事として知っている日本人がなすべきは、憲法前文と第9条に掲げた非戦、非軍備の理想実現に向かってたゆみない歩みを重ねることであって、憲法を骨抜きにしたり軍事力をちらつかせたりすることではない。

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