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【NPJ通信・連載記事】色即是空・徒然草/村野謙吉

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( 2 ) 麿赤兒の大駱駝艦、虚無の荒海に遊ぶ

2022年8月16日


 清志郎のスローバラード聴きながら崩れゆく日々愛しさ募る

 本年 (2022年) は、終戦以来、地球の各地で未曾有の大事件が起こっている。

 2 月24日、ロシアの軍隊によるウクライナへの軍事侵攻があった。

 3 月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領が、日本の国会議員を前にオンライン演説。
 ゼレンスキー大統領は日本の援助に感謝を述べたほか「核物質の処理場を戦場にした」などとロシアを非難。彼の演説後に日本の国会議員らは、反ロシア、ゼレンスキー賛美のスタンディングオベーション。
 しかしゼレンスキーは米国議会に向かっては「真珠湾攻撃を思い出してほしい」などと言っていた。

 7 月 8 日、安倍元首相が遊説中に銃撃を受けて死亡。
 安倍元首相の殺害は、英字紙では暗殺 (assasination) と表記されている (RT: 9 Jul, 2022; Possible motive behind Shinzo Abe’s assassination revealed) 。

 どのように意義づけてよいのかわかりかねる安倍長期政権の多面的かつ明暗を帯びた性格が、様々な意味合いを帯びて露呈してきた。

 7 月10日に参院選挙が終わって、安倍元首相の劇的な死は、通時的には、岸信介に連なる戦後の歴史を想起させた。共時的には、韓国発の宗教団体・世界平和統一家庭連合 (旧名統一教会) による韓国・日本・米国を横断する、マスコミでは公開されない、綺麗事の国際政治学では扱いきれない様々なCIAなどの諜報活動などを浮かび上がらせた。

 挑発的パフォーマンスを得意とするペロシ米下院議長が、8 月 1 日にシンガポールに到着後、マレーシアと台湾、韓国を訪れ、 4 日夜、都内の米軍横田基地に到着。

 沖縄の日本人とは異なる本土の日本人は、 GHQの占領政策が、現在の日本にいまだに具体的に機能していることを改めて感じさせられるかもしれないが、そんなことには無頓着なのが大方の日本人だろう。

 当然、中国が激しく反発。4 日、日本のEEZ内を含む近海に弾道ミサイルを発射(防衛省発表)。

 そして、ウクライナの戦闘も安倍元首相の銃撃死も米中の激しい対立をも横断して、世界中の人々の日常生活と身体に影響を与えているのが現在も進行中のコロナパンデミックだ。

 しかし、米国、中国、フランスなどの先進国が生物化学兵器の開発を永続的におこなっている事実を考えれば、そして戦前の日本の731部隊に視線を向ければ、コロナパンデミックは、特に近代西欧政治の暗部に連なる奥深い問題を孕んでいるだろう。

* * *

 10年前ほど前からか、これまでの様々な価値観が液状化したような世界史の転換期の中で、日本の崩れゆく日々を感じるような気分になった。そして、なぜかロックミュージシャン・忌野清志郎さんのパフォーマンスを懐かしく思い出して、彼への挽歌として最近物したのが冒頭の一首。

 そのような気分の中で、何年ぶりか定かでないが、7 月14日と24日に東京の世田谷パブリックシアターで「麿赤兒・大駱駝艦」による「舞踏」の舞台を観た。

 今回の公演は7月14日から17日の演目が「おわり」で、21日から24日の演目が「はじまり」で、私は初日の「おわり」と千秋楽の「はじまり」を観た。

 「おわり」が「はじまり」で、「はじまり」が「おわり」は、色即是空の円環的時空の世界でもある。

 観たこともない人に、麿赤兒氏の「舞踏」を簡潔に説明できる能力がないので残念だが、ともかく演劇と音楽と映像と舞踊とが舞台上で渾然一体となった裸体芸術とでも言おうか。

 男性は全員丸刈りで、女性の髪は短く纏めている。

 基本的に、全身白塗りの裸体は、男は局部を三角巾で、女は乳房をこってりと白粉で覆い、局部は男性同様に三角巾で覆っている以外ほぼ全裸であるが、衣装をつける場合も白が基調だ。

 白塗りの裸体は自体が色即是空、形態と色彩がそのままに空の隠喩のようだ。

 しかし、舞踏は基本的に小劇場でこそ極上の味が楽しめるものとすれば、様々な舞台芸術の中で、最も贅沢なものだ。

 小劇場での観劇料金は4000円ほど。どうして採算があうのかわからない。
 小さな舞台で麿赤兒氏を中心に十数名の舞踏家が 2 時間近く演技、乱舞するのだが、大変なエネルギーを要するだろう。

 そして舞踏家たちの極上の舞踏の質を支えているのが、舞台には現れないが、有能な作曲家、映像技術者、衣装担当者たちだ。

 麿氏と他の舞踏家たちとの関係はリーダーと部下の上下関係とは全く異なり、麿氏は、むしろ水平的な平等性の中に、時に中心となり時に他の舞踏家たちの周辺に位置して、しかも、空間的中心ではなく、常に意味的中心にいる。

 時には乱舞があり舞台を跳ねる行動もあるが、その所作は、直線的時間に貫かれているかのような西欧のバレー的というより、やはり本質的には円環的時間に遊ぶ能に近いように思う。

 そして、舞踏全体には、上質なエンタテインメント性が常に漂っていて、特に楽しみなのは大団円。

 全員が一列になって客席に向かって挨拶する場面になると、サービス精神満点で、待ってました、もう満足という気になる。

 大団円の挨拶は大体、数回おこなわれるが、今回の作品と舞踏家たちの演技は特に磨きがかかっていたようで、客席は何度もアンコールの熱烈な拍手の催促があり、涙が出そうになった。
(YouTubeで鑑賞すれば一目瞭然だから、たとえば「東京芸術祭特別公演 ファンタスティック・サイト 大駱駝艦・天賦典式「Crazy Camel Garden」 (ロングバージョン) 2021/10/01」を観ていただきたい。)

* * *

 麿赤兒氏の舞台を初めて観たのは何十年前だったろうか。
 土方巽氏 (1928年―1986年) 、唐十郎氏 (1940年― ) らの姿も思い出されてきた。

 東京の豊玉伽藍とやらの稽古場を閉める時、そこで麿氏の仲間との飲み会に参加したことがなつかしく思い出される。

 「さび」の超克を目ざした芭蕉は晩年に「軽み」の美意識の境地を目指したと言われるが、以前から感じていたが、特に今回は極上の「軽み」のヒューモアが麿赤兒の全身に常に漂っているようだった。

 人類を苛んでいる無機質で我欲剥き出しの数と量と暴力の情念が世界を支配している現況下、ここ数年 “ 崩れゆく日々” を感じていた私は、久方ぶりに大駱駝艦の舞台を観て、ある種の人間の信頼に改めて気付かされた思いである。

麿赤兒 時空を超えて 今日も舞う 虚無の彼岸の夢の舞台を

 
 (2022年 8 月 5 日・記)

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