【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―
ビーバーテール通信 第18回 反戦キャンプが閉じられた後に平和を求める声はどこへ向かうのか
小笠原みどり(ジャーナリスト、社会学者)
イスラエルによるガザ攻撃を止めるために、北米の大学で広がった学生たちの反戦キャンプは9月の新学期を前に次々と収束している。「野営」(encampment)と呼ばれるキャンパスの一部占拠が、春学期が終わる4月頃からアメリカやカナダの大学で始まったことや若者たちの主張、大学側の反応を前回ルポした。筆者はその後、夏の学会でカナダ東部やヨーロッパを訪れ、こうした動きがグローバルな潮流として人々の考え方を深く変え始めていることを実感した。キャンプの撤去(decampment)に、警察が導入された大学もあれば、学生たちと大学側の合意によって撤去に至った大学もあるが、その過程で露わになったことは何か。パレスチナで続く戦争犯罪に若い世代が黙っていられないと立ち上がった事実は、キャンプが閉鎖されても変わらず、むしろ今後の政治を変えていくだろう。私自身がこの夏見たことを点描しながら、平和を求める力がどこへ向かうのか考えてみたい。
反戦キャンプ内のテントを畳む参加者たち。
大学側との交渉が決裂し、退去通告を受けて撤収を決めた
= 7月22日、ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア大学で
(撮影溝越賢、人物を特定できないように顔にモザイクをかけています)
ビクトリア大学で反戦キャンプが立ち上がった翌週の5月中旬、私はカナダ・オンタリオ州のクイーンズ大学を訪れていた。クイーンズは私が合計8年間の大学院生活を送った大学で、カナダ最大の都市トロントから東へ300キロほどの街、キングストンにある。トロント大学などカナダの主要都市にある大規模大学には、すでに反戦キャンプが設営されて警察の介入まで始まっていたが、キングストンは静まり返っていた。クイーンズ大学は学生数約3万人で、規模はビクトリア大学とあまり変わらないが、裕福な家庭の子どもたちが通っている割合が高い。そのせいで目立った反戦行動がないのかもと思いながら、私は監視研究のワークショップに2日間参加し、翌日会合のためにキャンパスを訪れてギョッとした。待ち合わせ場所だった建物の壁に、赤い手の跡が点在し、「リチャードソン・ホール」という建物の名称は「リームズ・ホール」という手書きの紙で覆われていた。ホールの裏に回ってみると、中庭の芝生に忽然と反戦キャンプが立ち現れていたのだ。
階段や壁に赤い手の跡が点々と広がるクイーンズ大学の建物。
イスラエルの虐殺に手を貸さないことを訴えるパフォーマンスだった
= 5月13日、オンタリオ州キングストンで(撮影筆者)
小さなテントが所狭しと並んだ中庭でおしゃべりしていた若者に話しかけると、一人は昨日まで私が参加していたワークショップに来ていた博士課程の大学院生だった。赤いペンキでつけた手の跡は、ガザの流血を象徴するだけでなく、その流血をカナダも助けている、つまりカナダで暮らす人々の手も血に塗られている、というパフォーマンスだった。「リームズ」はイスラエルによってガザで殺された子どもの名前だと、大学院生は教えてくれた。キャンプ入り口には、「カナダの共謀を終わらせて、パレスチナを解放しよう」、地面には「クイーンズはイスラエルの爆弾に金を払っている。今日は何人の子どもを殺したのか?」と書き付けられていた。
ビクトリア大学の反戦キャンプと比べると小さくても、大胆で想像力を喚起するパフォーマンスにはパンチ力があった。私は自分が大学院生だったときに、パレスチナ出身の学生たちがクイーンズで主催した映画『ナクバ』の連続上映会に参加したが、参加者は私を含めて10人以下という少なさだった。ガザで人々が行き場なく閉じ込められ、イスラエルの圧倒的な軍事力によって一方的に殺害されていることへの関心は、中東出身者を超えて学生全体に広がっているのだ。
訴えの主軸は他大学の学生たちと共通している。イスラエル軍や政府の支援につながる投資をやめるよう大学に要求しているのだ。「Divestment」と呼ばれる投資の撤回や中止が、「B D S運動」の中心に位置づけられていることは前回書いた。イスラエルは確かに、アメリカを始めとする欧米政府からの軍事支援だけでなく、銀行や技術会社など民間企業を通じた資金にも支えられている。大学は民間企業ではないが、新自由主義的な経営によって企業との連携や投資が増えている。大学財政からイスラエルとの資金的なつながりを洗い出し、断ち切ることは、学生が各々の大学にすぐ要求できて、戦争を支える仕組みを具体的に切り崩していくという意味で効果的なアプローチだといえよう。加えて、多くの人々はガザの惨状に自分は無関係と思っているかもしれないが、実は大学や企業や政府を通じて、知らないうちにイスラエルの軍事行動に加担しているのだ、ということを照らし出してもいる。
どこの大学であれ、学生がキャンパスに昼夜座り込んで即時停戦を訴えることは、生やさしい覚悟ではない。ビクトリア大学と同じく、クイーンズのキャンプ周辺に掲げられた訴えは、植民地主義を批判する視点から書かれたものが目立った。昨秋以降のガザ攻撃だけでなく、イスラエルの不法占拠やアパルトヘイト政策を、カナダの先住民族政策と軌を一にするセトラー・コロニアリズムの問題としてとらえる視点だ(セトラー・コロニアリズムが何かについては第3回を参照)。現在でも植民地主義が続いている、あるいは新しい形態の植民地主義が出現していることを見抜き、その不正義に怒り、変えていこうとする意志が、学生たちに覚悟を決めさせている、と私の目には映った。脱植民地主義という深いうねりが北米の若い世代に育っているのだ。
「クイーンズはイスラエルのアパルトヘイトに1億5千万ドルを投資している」
「3万9千人のパレスチナ人がイスラエルに殺された」
「私たちの手に血がついている」
= 5月13日、オンタリオ州キングストン、クイーンズ大学で(撮影筆者)
それから1週間後、私はスロベニアの首都リュブリャナである監視研究学会で発表するため、トロント空港から飛び立った(その前夜に、トロントのスタジアムで開催されたロック歌手ニール・ヤングのコンサートでボランティアをするという面白い体験もしたが、話が逸れるので別の機会に)。降り立ったのはイタリアのフィレンツェで、そこから電車でヴェネツィアへ移動し、さらにバスに乗ってリュブリャナに到着した。フィレンツェは以前からルネッサンス芸術を見るために訪れたかったので、3日間の休暇を取り、美術館巡りをした。
観光客でごった返す中世の街並みを歩き回っていると、広場にパレスチナの旗が翻っているのを見た。北米のキャンパスで見たのとよく似た反戦キャンプが、テラコッタ色の観光地のど真ん中に出現していた。若い人たちが水や食料などを運び込んでいる。ミケランジェロの「ダビデ像」を所蔵することで有名なアカデミア美術館のすぐ近くだ。
フィレンツェ中心部の広場に設営された反戦キャンプ
= 5月23日、イタリア・フィレンツェで(撮影筆者)
街の中心部での停戦アピールは、イタリアの別の都市でも見た。考えてみれば、欧州はパレスチナからそう遠くない。イギリスやフランスがイスラエルの国家建設に協力したという点で、パレスチナ問題に深く関わってもいる。欧米の大手メディアは反戦キャンプを「親パレスチナ」(Pro-Palestine)の動きと呼んで、イスラエル対ハマスという視点からしか見ないことが多い。そうした記事はハマスとイスラエルの軍事行動を伝えることはあっても、イスラエルの不法占拠やセトラー・コロニアリズムについて触れることはない。そして決まって、昨年10月7日のハマスによる攻撃がストーリー全体の起点になっている。つまり、イスラエル建国に伴う大量追放や難民化、不法占拠やアパルトヘイトが、いかに深くハマスの攻撃に関わっているかを読者が知ることはない。歴史が消し去られているのだ。
かつての私自身のように大手メディアで書いている記者たちは、どこまで植民地主義を理解しているのだろうか。字数の限られた新聞記事に歴史を書き込むことの難しさはよく知っている。だが植民地主義の歴史を理解して最新状況を書くのと、理解せずに書くのでは、記事の内容はまるで変わってくるはずだ。反戦キャンプに掲げられた学生たちの短いメッセージに読み取れる植民地主義への理解が、手だれの記者たちの記事には欠落している。こうした記者たちが、反戦キャンプに立ち上がった若者たちの世界観、平和を求める声の底流で起きている変化に気づくことはないだろう。
リュブリャナでは、250人あまりの監視研究学会に参加した。学会では多くの場合、テーマごとにセッションが組まれるが、イスラエル・パレスチナ問題のパネル・ディスカッションは最も多くの出席者を集めた。
最初のパネリスト、国際法と人権の専門家ネーヴ・ゴードン氏(イギリス、ロンドン・クイーンズ・マリー大学)は、イスラエル政府がいかに監視を駆使してガザで暮らす人たちを飢餓に陥れてきたのかを語った。水や食糧、燃料といった人間生活に不可欠な物資の流通を、イスラエル政府はガザ地区を包囲することで管理してきた。1970年に1人当たり2900カロリー分あった食糧は、イスラエル政府の手によって近年2000カロリーにまで落とされ、さらに昨秋以降の戦争下で人道支援物資の搬入が頻繁に拒まれている。2008年には70%のパレスチナ人が食料不足に苦しみ、70%の水が汚染されているという。安全保障の名の下につくり出された飢餓状態は、特に子どもたちに「緩慢な毒」を与えているとの同じだ、とゴードン氏は語った。
監視研究学会でのイスラエル・パレスチナ問題パネル・ディスカッション。
左からデイヴィッド・ライアン(司会)、ネーヴ・ゴードン、アハメド・サーディ、
メイス・カンディールの各氏
= 5月30日、スロベニア・リュブリャナ大学で(撮影筆者)
続いて、国際法と技術の専門家メイス・カンディール氏(スウェーデン、オレブロ大学)は、パレスチナには安定的なインターネット基盤がなく、人々が外部とつながることをイスラエル政府が度重なる回線の遮断や通信内容の検閲によって阻んでいることを指摘した。また、顔認識システムや人工知能(A I)がパレスチナ人の識別に使われていて「アパルトヘイトを自動化している」と語り、政府だけでなく、インターネット企業や技術会社がパレスチナ人の抑圧に手を貸していることを明らかにした。
最後に、政治学者で早稲田大学客員教授として日本に滞在したこともあるアハメド・サーディ氏(イスラエル、ネゲヴ・ベン・グリオン大学)が、イスラエルが監視カメラやドローンなどのセキュリティ技術をパレスチナを実験場にして開発し、世界市場に売り出していること、こうした技術に頼ることによって人間よりも機械が権限を持つようになっていることに、警鐘を鳴らした。政府や企業だけでなく、監視技術の開発にデータを提供し、黙認している研究者たちも「不道徳な共犯者」だと、聴衆に鋭い問いを突きつけた。セッションは、政治的な圧力を受けながらも真実を探究するパネリストたちへのスタンディング・オーベーションで幕を閉じた。
反戦キャンプで掲げていた看板を運び出す参加者。
「ビクトリア大学の非倫理的な運営」と読める
= 7月22日、ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア大学で
(撮影溝越賢、人物を特定できないように顔にモザイクをかけています)
ヨーロッパの旅を終えて6月上旬、私はビクトリアに戻ってきた。キャンパスの反戦キャンプはじわりと拡大していて、大学側とB D S運動に沿った交渉が続いていると聞いた。だが残念なことに、7月中旬に交渉は決裂し、大学は学生側に退去を通告。学生たちはキャンプの撤収を決めた。
退去期限の朝は静かだった。警察の介入を警戒して、私も立ち会ったが、支援者たち数十人が集まったほかは、大学警備員の姿もなかった。90日近く座り込んだ学生たちや、きめ細かに支援してきた教員たちの目には涙もあったが、テントやプラカードを黙々と片付ける人々が戦争を止めるための努力を今後も続けることは疑いがなかった。若者たちの行動は、キャンプで生まれたつながりをもとに次のステージへと進み、ガザでの虐殺が続く限り、今後のあらゆる政治の局面で表出するだろう。残酷な戦争を一刻も早く止めたいという人間的な感情が、背景の異なる人々を結集させていることはもちろんだが、その底流には植民地主義への気づきと批判が育っている。反戦キャンプ一つひとつの規模は小さくても、世界的な広がりで文明を問い直す思考の変化が起きている。そこに希望がある。
敗戦を振り返り、平和について多くが語られる8月の日本。この変化の波は日本にも打ち寄せているだろうか。植民地主義を過去の罪としてだけでなく、現在の問題として考えるとき、平和を求める運動は新たな原動力を獲得するだろう。
〈了〉
【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年 5 月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
オタワ大学特別研究員を経て、2021年からヴィクトリア大学教員。
著書に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版) など。
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