【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑
クラシック音楽の問題点(20) 「風の時代のクラシック音楽 ~音楽史を神棚から降ろして」(1)
私の担当分の第19回は「風の時代のクラシック音楽」(2022年9月掲載)だった。その執筆中も執筆後も、ではその「風の時代」にはどんな音楽が必要とされるようになるのか? どんな風に「音楽史」なるものが更新されて行かねばならないのか・・・そんな事をずっと考え続けていた。2022年は私の二度にわたる入院(鼠径ヘルニア、大腸憩室炎)があり、8月には妻の小林緑までもが慢性の虫垂炎が悪化して入院する羽目になるなど散々な年だった。そしてその秋に東京ウイメンズプラザで予定していた女性作曲家のコンサートも企画者である緑本人の入院治療により中止となってしまった。10月になり我が家も少し落ち着いた頃に夫婦で相談し、出演を依頼していた岸本雅美さんに申し訳ないので新型コロナ以降途絶えていた「知られざる作品を広める会」の私の企画コンサートで何かしようということに・・・。かくして「風の時代のクラシック音楽~音楽史を神棚から降ろして」のコンサート・プロジェクトがスタートした。
実は2023年度は私の21年間に及んだ尚美学園大学における非常勤講師が定年となる年でもあった。2020年度から新型コロナのパンデミックによって私の授業はオンラインになっており、授業のレジュメを送り鑑賞させるというスタイルに変化していた。17年間続けてきた対面授業に於いては曖昧さを残していても必要なら学生が質問してくるのでそれに答えればよい、という考えでいられた。しかしオンラインでは私の考え方に基づいて、言葉を尽くして明快に説明されなくてはいけない。それゆえに私の考え方と世間的なクラシック音楽認識のギャップをより丁寧に、一般の人々にも解り易く埋めなくてはならなくなった。そうした中での経験がコンサートの在り方を考え直す結果に。加えて新型コロナのパンデミック下という特殊な状況において、21世紀になってから変容していたクラシック音楽業界の歪みの実態が徐々に明らかになっていたことも私の考え方に大きな影響を与えた。
今回の私の主催コンサート「風の時代のクラシック音楽~音楽史を神棚から降ろして」はいつものように一人の作曲家を集中的に取り上げる、あるいは女性作曲家の作品ばかりを特集するのではなく、とても重要でありながらこれまで取り上げてこなかった様々な作品をいくつかのテーマにまとめて取り上げることにした。コンサートは2023年9月20日に杉並公会堂小ホールで、全5部構成のプログラムにより開催。出演者は二人のピアニスト、岸本雅美さん、栗田奈々子さん、チェリストの上森祥平さん、そして標題音楽に記されたト書きを朗読・演技するため俳優で私の甥の谷戸亮太さん。さらに譜めくりをお願いした弘中佑子さん、堀怜子さんにも一部演奏(冒頭のフィッシャー、アンコールの八手連弾曲「シャミナード:銀婚式」)に参加していただいた。
プログラムで最初に決めたのは、午後の部と夜の部のそれぞれコンサートの冒頭に新型コロナにより犠牲になった方々を追悼する曲を演奏すること。曲は高校生の頃から親しんでいたJ.C.F.フィッシャーの「前奏曲とフーガ第6番 フリギア調」。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」に先駆けた実験的な作品として知られる「アリアドーネ・ムジカ」(20の異なる調性の曲
から成る)に収められている。東日本大震災の後にはその犠牲者たちに向けた曲が演奏されていたもののどういうわけか新型コロナの場合には実際のコンサートでそうした犠牲者を追悼する演奏に私は遭遇したことが無かった。フィッシャーはこの短い曲で、フーガの主題にコラール「深き淵より我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」の冒頭部分を使用。わずか8小節の中に断片も含め7回も登場する。コンサートが終わって一か月ほど経ってから、「アリアドーネ・ムジカ」は1つの教会旋法と19の長短調から成っており、そして新型コロナは欧米では「Covid19」と呼ばれているという不思議な数字の符合に気づき戦慄を覚えた。
コンサート本編は午後の部は3部、夜の部は2部の、全5部構成とした。第1部では19世紀の古楽復興運動の中でJ.S.バッハが果たした役割を考え直す必然性を問題提起した。18世紀前半のドイツ音楽においてJ.S.バッハは特異な存在であったという現実を示すとともに、当時のドイツで人気を博していたテレマンとグラウプナーの作品をJ.S.バッハの作品で誰もがしているように現代のピアノで演奏していただいた。冒頭に置いたJ.C.F.フィッシャーあるいはパッヒェルベルなど17世紀半ばに生まれた作曲家たちと同様に、彼らから2世代後のJ.S.バッハはプログレッシヴ(先進的)な17世紀音楽に志向していた。それに対して同世代のテレマンやグラウプナーはイタリアのヴィヴァルディ、D.スカルラッティやフランスのラモーがそうであったように和声法に根差した18世紀的な新しい時代の音楽をもっぱら実践していた。19世紀のいわゆるロマン派音楽はある意味で18世紀に宮廷で実践されていた音楽の歴史を市民社会における産業発展という19世紀のプロセスの中で繰り返して行ったと考えるのが現実的ではないのか。そう考えると19世紀の音楽関係者が尊敬すべき過去の作曲家としてプログレッシヴ17世紀の作曲家であったJ.S.バッハを祭り上げておく方が好ましかった(都合が良かった)と言えるのではないか・・・。そこで第1部ではバッハよりも人気のあったテレマンとグラウプナーのポップな小品をピアノ演奏で紹介するとともに、同時代者たちと比較した場合のJ.S.バッハという作曲家の特異性について実例を交えて説明していった。さらにバッハが最も影響を受けた作曲家ブクステフーデの代表作「前奏曲とフーガ嬰ヘ短調」(ニコラーエフ編曲版)も演奏。今日の「J.S.バッハ原理主義」ではなく18世紀前半のドイツ音楽史を本来あった姿に戻すこと、正常化することはクラシック音楽界、とりわけ古楽界において「風の時代」が深まる中で喫緊の課題と言えるかもしれない。
第2部と第5部ではバロックとロマン派の標題音楽を集中的に取り上げてみた。その特徴は世間の事象に強い関係があるため、ある種の人々にとっては「差し障りのある音楽」と言えるのではないか。バロック時代以降「標題音楽」は音楽におけるひとつの重要なジャンルとして存在していた。そして「非標題音楽」とは一線を画しつつ必要に応じて作曲家たちはこれを取り上げていたのである。ロマン派時代まで(近代以前)の歴史に限定してもそこではありとあらゆるものが描写されていた。鳥や動物の鳴き声や行動の描写は勿論のこと、戦争、政治的対立、病気、殺人・・・
ショパンのアパルトマンの隣人であったアルカンの「波打ち際の狂女の歌」、「小悪魔たち」、「隣村の火事」、「地獄」、フランス王妃マリー・アントワネットの収監からギロチンでの処刑までを描いたドゥシークの「フランス王妃の受難」、鉄道事故を装った遺産目当ての列車脱線転覆事故を告発したロッシーニの「楽しい汽車旅行」、そのタイトルからして恐ろしいマラン・マレの「膀胱結石手術図」を取り上げたが、いずれも私の尚美学園大学での授業において学生たちがヴィヴィッドに反応した作品ばかりだ。
ある意味で20世紀に産業発展した映画音楽は「標題音楽」が高度に発展した音楽と考えることも出来るのではないだろうか・・・しかもそこは古今東西のあらゆる手法を使って作品を書いても許される治外法権領域となり、前衛音楽原理主義ではない人々の活躍の場にもなったのである。
*「風の時代のクラシック音楽~音楽史を神棚から降ろして」(2)へつづく
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