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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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音楽・女性・ジェンダー ─ クラシック音楽界は超男性世界!?
第50回 津田ホールの最終回から得たもの

2015年2月20日

前回(第49回)でしつこくリマインダーを載せていただいたコンサート『平等と自由を求めた女性作曲家たち』が、1月9日、予定通り実施できた。便乗してお報せした「女の平和」レッド・アクションもなんと!7000人以上の参加で国会を2重に―場所によっては3重にも―ヒューマン・チェーンで取り囲んだ。いくらか希望もほの見えたか、と心持ちを切り替えようとしたところへ人質殺害事件、それで埋め尽くされた報道…

「イスラム国」の極悪非道については改めて触れたくもない。けれどその唾棄すべき犯罪者から「お前の責任」と名指しされこの惨劇を招いてしまった総理大臣を戴く、この国の行く末は…?「九条死守」を貫き、戦後70年、戦争で一人も殺さず、殺されもせずに来た平和国家の道を進むほかあるまい。それにしても、先立つ1月17日、件の「女の平和」レッド・アクションにて、立場を超えた広範な女性グループ―男性や子供も多数赤いアイテムをつけて混じってくれた―が心ひとつに戦争反対!女たちは殺し殺されるのは嫌です!と声をあげたのもむなしかった…その折、すでにアベは中東訪問の途上にあり、二人の日本人人質の件を把握しながら、あろうことか「イスラム国」最大の敵たるイスラエルにてその国旗と日の丸を背景に、アメリカ主導の「有志連合」に巨額の支援を公言していたのだから!その政治感覚の欠如というか、倫理観のかけらも持ち合わせない幼稚さ、低劣さには、ほとほと呆れるばかりだ。

まったく収束の糸口も見つからない原発事故に重ねて、戦争への道まっしぐらという絶望的な国情…ではあるが、3・11直後にも想ったことだが、万物のおかげで頂いた命を粗末にはできぬ以上、自分のできること、信じることを地道に続けるよりほかに生きる方策はない。

そこでコンサートのご報告だが、優に一か月以上も経過したこと、まずお詫びしたい。

ともかく無事予定通り終了し、心底ほっとしている。何しろコンサート2日前にはフランスでもあのシャルリ・エブド事件が起きていたのだ。クラシックの女性作曲家のコンサート開催に、そんなこと関係なかろう…と思われる方が大部分であろうが、そうだろうか?私は東西の女性作曲家封印の歴史は、現在の力と富の収奪者による世界支配と密接に絡まっていると捉えているので、アベの暴走が止まらないこの国の今に、何が起きても不思議はないと思えてならない。だから、プログラム曲目の演奏を全て滞りなく終わりアンコールを予告するご挨拶では、うれしさのあまり調子に乗って「これからたぶん20年くらいは生きなければならないと思いますが、死ぬまで、この活動は続けます」と宣言してしまった。チラシの「津田ホール・最終回」との記載を、女性作曲家のコンサート開催はこれにて打ち切り、と勘違いされた向きも多かったので、この機に便乗させていただいたのだ。

現実に、今回初登場の3人を加えて、私が実演でその音楽を紹介してきた女性作曲家はまだ65人。普通のコンサートで取り上げられるのは殆どが19世紀に活躍した(男性)作曲家たちだが、その19世紀生まれの女性作曲家は、コーエンの『国際女性作曲家事典』(2/1987)に拠れば、なんと1100人以上も確認されている…日本では音楽関係者でさえなおまだ女性作曲家の存在を知る意義なり重要性を認めたがらない底流が途絶えないなか、私としては全力をここに注がなければ、との覚悟を新たにするほかない。

何より気がかりだった演奏への評価も、ごく一部、私宛の個人メールにピアノのミスタッチやヴァイオリンの弓捌きへの不満、また舞台上で笑顔が足りないなど、厳しい言葉が届いたものの、当日回収されたアンケート―読み応えたっぷりの60通以上―ではおほめの言葉がほとんどだった。

繰り返しになるが、演奏者にとって初対面の作品をライヴで舞台にかけることの大変さは、およそ言葉にできないものがあろう。その難題に十分応えてくださった3人の音楽家たちに、ここで改めて謝意を表しておきたい。

もう一つの心配事、集客についても、これまた予想をはるかに超えて早めに満席となった。真冬の夜の外出という条件ながら運よく晴天に恵まれたし、3000円の入場料も適当だったかも…びっしり埋まった客席が、演奏者のやる気を一層盛り立ててくれたようにも思う。だが、特筆したいのは日頃“反アベ”に発する様々な集会やデモに参加のたびに増えた顔見知りの女性たち・女性グループが、いわば勝手連風に、私が押し付けたチラシを拡散したり、MLに載せて下さったりしたこと。今まで経験のない事態だった。だがそうした場には、残念ながら私の本拠たるクラシック関係者はいない…つまり素直に反応し積極的な関心を寄せてくださったのは、クラシックとは無縁のまま過ごしてきた人々だったのだ。その方たちが来場前に抱かれていた想い…退屈して付いていけないんじゃないかしら…も、どうやら杞憂に終わったようである。

関西や仙台方面からお見えくださった方も、男女を問わずお見かけした。事後にコンサートで配布したプログラムをヨーロッパの演奏家や「女性と音楽」関係の組織・個人に手渡したり郵送したりした結果、いくつかうれしい反応が返ってきたので、以下に2点、記しておく。

まずは2月3日横浜でのリサイタルにて、終演後にプログラムを手渡しした際のフランスのピアニスト、フランク・ブラレイ。最初は気のなさそうな素振りだったのが、エレーヌ・ド・モンジェルーの写真を指しつつ、フランス人も取り上げたんですよ、の一言が効果覿面!「わぁ!モンジェルーは練習曲も変奏曲も素晴らしい。去年はコンセルヴァトワールで彼女についてのワークショップが開かれたんだ。生誕150年の記念だったからね」…

ううん、そうだったのだ、こちらで企画を始めた昨年、冒頭に紹介すべく選んであったモンジェルーが1786年生まれ、つまり150歳だったことにまったく気付かず、迂闊にも一言もそれに触れずに今日まで来てしまったとは…これは今後あちこちで捕捉しなければなるまい。ブラレイにはひたすら感謝あるのみだ。

現役ピアニストの中でも私が彼を強く意識するのは、CD録音やコンサート開催が控えめでメディアにやたら露出しないそのスタンスと、DVDで見かけた、演奏中の身振り手振りのしなやかな音楽性が素敵だからだ。当日の出で立ちも黒スーツだがノーネクタイに真っ赤な光沢のあるシャツ姿、何ともさわやかでカッコいい。シューベルトをメインに据えた演奏自体も、どうすればこんな音が出せるのかしら、と繊細極まるそのタッチに、心から驚嘆してしまった。

40歳代後半と思うブラレイが今や教授陣の一角を担うパリ音楽院は、1795年の創設当時、原則として女性教授を認めなかったなか、モンジェルーは「ラ・マルセイエーズ」を主題に華麗な即興の技を繰り広げたことが功を奏したものらしく、貴族故の断罪を逃れ、女性としてただ一人、教授に迎えられたというエピソードの主。ブラレイは従って、100余年の隔りはあるものの、モンジェルーの後輩、同僚に繋がるわけだ。「お弟子さんたちにも是非教えてください」…私が図々しくブラレイに願い出たのも、こうした世代間のつながりが、忘れられた作品・作曲家を復興するうえではとりわけ、重要な回路と思うからである。

ついでスイスはベルン在のイレーヌ・ミンダーから届いた女性作曲家キャロリーヌ・ボァシエ=ビュティーニCaroline Boissier=Butini(1786-1836)のCD。こちらが郵送したプログラム資料の返礼としてカードとともに送ってくれたものだが、これこそはまさに私好み、特筆大書したい逸品なので、やや詳し述べたい。

ボワシエ=ビュティーニ ピアノ作品集

まずその内容を。対象はピアノ曲だけだが、楽器は作曲者自身が使用していたものと同型のブロードウッド、1816年製。女性作曲家が最も得手とするピアノ作品のCDは今や枚挙の暇もないが、このようにオリジナル・ピアノを使った例はまだ数少ない。演奏は国際的に多彩な実績を上げているエドアルド・トルビアネッリEdoardoTorbianelli。出自はイタリアだが、今はバーゼルのスコラ・カントールムやベルン高等音楽院にて古楽演奏法を教えなど、本拠はスイスにある。

スイスにこだわるのはしかし、本CDの主役、キャロリーヌが私にとっても、初めて実際の音楽を聴くことができたスイス人女性作曲家だからだ。CDの送り主イレーヌ・ミンダー自身、仏、独、英、伊を自在に操るスイス女性、ベルンに「女性と音楽」のフォーラムを開設、内外の女性作曲家をテーマに目覚ましい実績を上げている。2000年1月、フランスのメル・ボニス(1858-1937)を讃えるコンサートを上記フォーラムが実施した折、当時在外研究者として1999年春からパリに滞在中の私も、メル・ボニスの曾孫にあたるクリスチーヌ・ジェリオに伴われて雪の降り積もるベルンを訪れ、イレーヌの家族全員とも知己を得て以来のお付き合い。2000年4月の帰国後も連絡を絶やさずにいるが、彼女からはいつも素早く心のこもった言葉で返事が来る。ベルンでのコンサートの三日間、自宅を丸ごと開放、終演後の会場近くには適当な飲食の場がないことを見越して、ワインとチーズ、ナッツやクッキーなどで多くの参加舎に無料のおもてなし!その人柄の素晴らしさはこの一件で十分ご想像いただけよう。

さて肝心のCDは、ピアノ・ソナタ2つ、ソナチネ1つ、それぞれスコットランドとチェコの民謡による奇想曲(キャプリス)2つ、ラングドックの歌に基づく変奏曲1つを収めてある。特に変奏曲は華麗な技巧の披露と、どこか懐かしく土の匂いを感じさせる素朴さが見事にバランスを保っており、カルヴァン主義の影響で音楽や芸術にとっては不遇なジュネーヴに生まれ死んだ女性が、いかにしてこうした作曲法を身に着けたのか…驚くばかりだ。以下、その女性キャロリーヌの生涯をイレーヌの解説から略記しておこう。

ヨーロッパ中に知られた名医で音楽の造詣も深い父ピエール・ビュティーニが、娘に最初の音楽的感性を齎したと推測される。一族にプロの音楽家は見当たらないものの、キャロリーヌ20歳の日記には「人生の三分の一は音楽に捧げてきた…」とある。時代と社会から突出したキャロリーヌの驚くべき音楽的才能は、どうやらあくまで独学で育まれたもの、とイレーヌも結論つけている。

ジュネーヴの指導的社会層に属し、女子にも男子並みの教育を施す環境にも恵まれたキャロリーヌは1808年、農地経営者のオギュスト・ボアシエと結婚。2歳上の夫は自らヴァイオリン演奏にも熱情を傾けつつ、作曲とピアノ両面での妻の活動を支えた。1810年に授かった息子エドモンは著名な植物学者となり、3年後に生まれた娘ヴァレリーはローザンヌに初めての看護学校を開いて社会改革に貢献。母譲りの楽才にもめぐまれ、パリでリストとライヒャに師事、ピアノと作曲も磨いたという。ちなみに収録されたソナチネは母から娘への贈り物だった。

1815年、ドイツの権威ある雑誌『音楽新報』で「ボワシエ夫人のフォルテピアノの手捌きはまさに前代未聞…」とまで記された3年後、キャロリーヌは、夫とともにパリへ旅立つ。当時最先端の音楽の都パリで、自らの演奏と作品がどう評価されるか、見極めたかったためらしい。実際にカルクブレンナーやマリー・ビゴーなど名だたるピアニスト・作曲家から賛辞を浴びた模様だが、そこにヨハン・バプテスト・クラーマーも加わっていたとあるのがショックだった。クラーマーが津田ホールでの「平等と自由を求めた女性作曲家たち」の冒頭に取り上げたエレーヌ・ド・モンジェルー(1764-1836)の門弟に当たり、師に練習曲集の執筆を依頼しながら、同時に自らも練習曲集を計画、出版するもそこに師の教えに関する言及が全くない事実をすぐさま思い出したからだ。いずれにせよ、クラーマーは、現在なおピアノ学習者にとっておなじみの名前。そのクラーマーの意識に、いまでこそ無名なままに留まっているエレーヌとキャロリーヌという当時の傑出した女性二人が交差していた…と知れば、複雑な想いに駆られてしまうのは私だけではあるまい。

パリ旅行にはもう一つの大きな目的として、ピアノの購入があった。プレイエルを始め夫妻はなんと!100以上ものピアノを試したが結局期待するものは見当たらず、踵を返してロンドンへ。パリ以上にピアノ製造の本場ともいえる当地のブロードウッド社にて、幸にも理想とするタイプにほどなく出会えたとのこと。本録音で使われたピアノの何よりの特徴は、すべての音域に渡って弦が平行に張られていること。ペダル―通常優雅な曲線を持つゆえにリラと呼ばれる―は紫檀製の二本。右側のそれはダンパーを上げて音を伸ばす普通の延音ペダル。左のそれは二つに分割され、片方は弱音機能、もう片方は音高を変えるシフト機能をもつ…とジャケットには説明がある。だが写真では取り外した状態のためか、肝心のそのペダルが見えないのはなんとも残念。響板はマホガニー。蓋は要所に金箔のブロンズ細工の飾り付き。音域は写真で見る限り6オクターヴであろう。黒鍵は黒檀、白鍵は象牙。手造りの繊細な構造ゆえ、録音中は調律師と音響整備師(トーンマイスター)がそれぞれの用具を手に、最後まで待機していたという。

ボワシエ=ビュティーニ(3)

聴きながら改めて感じたのは、古い楽器の得も言われぬ音の美しさ。ただ滑らかというのではない。どこかごつごつと芯がありながら、いかにも懐かしく温かみのある響きだなのだ。作曲者がスイスの田園生活をこよなく愛した女性であることに、私の耳が過剰反応しているからかもしれないが…けれども本CD紹介のマクラに”逸品”と書いたわけは、これがいわば「地産池消」の精神に即して造り上げられたもの、という点である。

なにを突拍子もない、と違和感を持たれる方も多かろう。本連載でもすでにお断りしたと思うが、私は色々なところで「地域単位で行動し、地球規模で考える」がモットーと言いふらしてきた人間。エコロジーやフェミニズムも、結局はこの“Think globally, act locally”に帰結するとの想いがある。クラシック音楽という西洋白人男性中心文化の世界に身を置く立場からは、しかしこの理想を実現することはなんとも難しい。日本の女性作曲家や音楽界の問題に焦点を当てるのは一番現実的な解決策となろう。

だがクラシックの器楽、つまり声楽と異なり外国語のハンディから一応免れている言葉のない音楽は、この国ではすでに自国音楽を超えるほどに愛好され、受容されている、といえるのではないか。内外日本人演奏家の活躍は、その傍証でもあろう。ともかく欧米作曲家/作品に比べ、まだ日本人作品は余りに選択肢が少ないし、そもそも西洋崇拝にどっぷり浸かって育てられた後期高齢者予備軍としては、今更の方向転換はまず無理である。

それゆえ、せめて死ぬまで、一般的音楽ファンの愛好対象である19世紀を中心に欧米女性作曲家の紹介を続け、彼女たちのライフ・ストーリーとも合わせ、古来東西、女性に共通の困難や課題を再認識し、この国への情報提供に励むほかない…かく観念した私には、このイレーヌのCDこそ、まさに理想の結実、羨ましくてならない。なにしろ自国の女性作曲家の作品が、当の作曲家自身が使用したと思われるのと同じピアノで再現されたのだから。演奏しているのもスイスで活躍中の名手である。加えて録音された曲が近隣の地域で歌い継がれた民謡に基づく変奏曲や奇想曲が多く、まさに音による風物詩の趣まで感じさせる。実に音楽の自給自足、地産池消といいたい。娘に捧げられたソナチネが収められたのも、この文脈でさらなる意味を持つ。実はイレーヌはすでに2009年、この自国女性のCDを別にもうむ一枚出していた。これもいち早く贈って戴いてあったのに、普通のモダンピアノが使われていてさして目新しくもない…と放置していたのだったが、今回あわてて引っ張り出して聴き、驚いた。冒頭のピアノ協奏曲は、なんとずばり『スイス』と題されているではないか!羊飼いの笛を思わせるのどかなフルートのメロディ、それを何とも朴訥なファゴットが支える上に、主役のピアノがいとも饒舌かつ軽やかに名人芸を繰り広げる…キャロリーヌのピアニズムはかくや、と想像が膨らんで楽しい。

二枚両方の制作責任者イレーヌの思い入れは、しかし新しい盤ではさらに周到さを増している。全40ページのブックレットには、仏・独・英3か国で作曲者の詳しい生涯、演演奏曲の解説、楽器探訪の顛末、使用楽器の特性、参考文献、演奏者やスタッフの紹介、録音データなども、もれなく記載。何より感心したのは、外箱の全6ページにも、関連する図版が付され、ブックレットと併せて合計46ペーにもなる内容目次が、最後にしっかり明示してあることだ。いうまでもなく本録音で使われたピアノが外箱の表紙、キャロリーヌの1808年当時―つまり結婚の年―の肖像画に、本人が生まれ育った家の風景画を合わせてある。さらに、同時代ジュネーヴ市民のピアノのある居間の団欒を描いた彩色銅版画、録音曲の自筆譜の一部、ピアノの鍵盤細部など、目から得る興味も尽きない。CD本体のほかは一切プラスチックを使わず紙製なのも、エコに徹する私にはこの上なく貴い。百聞は一見に如かず…ぜひ、[Gallo CD 1418]の品番でお求め戴き、現物をご覧いただきたい。

思わず長々と書いてしまった。しかし振り返ればこれが本連載のちょうど50回目。いつまで寄稿をお許しいただけるかわからないが、個人的鵜願望として、女性の作曲家への認識がせめてもうすこしこの国で共有されるようなるまで、更新を続けさせていただきたい。なにとぞよろしくお願いいたします。なお、次回は久しぶりに谷戸基岩が担当いたします。

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