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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見(14)
安倍首相とメルケル首相の歴史認識の相違はなにか

2015年3月18日

ドイツのメルケル首相が3月9日、7年ぶりに来日した。

安倍晋三首相とアンゲラ・メルケル首相は共に1954年の生まれである。

安倍氏は日本列島の総理で、政治家の家庭に生まれ経済的に恵まれた環境に育った男性であり、その日本はアジアにおいて近隣の朝鮮半島と中国との関係がしっくりいっていない。

過去に二千年来、中国が日本を侵略したことはないが、日本は、理由はどうあれ、近代において朝鮮半島と中国大陸に侵攻した。

アンゲラ・メルケル女史は、ヨーロッパ大陸の中央に位置するドイツの首相で、ポーランドの家系を持つドイツ人女性、大学では物理学を専攻し、ロシア語が得意である、父親は福音主義教会の牧師であり、母親はラテン語と英語の教師である、と「ウィキペディア」に紹介があった。

欧州諸国は過去二千年来、互いに戦争をおこなってきた国々である。

メルケル首相のドイツはEUのメンバーとしてかっての敵国の英仏と協調路線を歩んでいる。

***

個人的にも歴史的にも、まったく異なった背景をもつ日本の首相とドイツの首相が歴史認識について語る場合、どのような共通認識のもとに語るのだろうか。

各人によって部分的な見解の相違はあっても、自国の歴史が営まれてきた伝統と文化的価値観について、国民と共有された基本的理解をもつことは首相として必須である。

自国の歴史についての事実的歴史認識が、まず第一必須の教養であり、それにもとづいて自国の国益の保護と発展につとめるのが一国の命運を与る首相の責務であり、誇りであるはずだ。

さらに日本人は小学校から高校までの期間に、日中韓の文化的交流の歴史、明治維新から昭和にいたる時期での中国への侵略戦争、韓国併合、太平洋戦争などについての確実な事実関係の歴史を学ぶべきであると思う。

***

日本の歴史認識を語る場合、キーワードとして日本文化、神道、天皇、自衛隊、そして憲法のそれぞれについて、与野党の政治家はどのように考えているのだろうか。

一有権者の素人の立場でそれぞれのキーワードについての私なりの感想を簡単に述べてみたい。

まず自民党の政治家に一般的に共通している保守的な歴史観は、日本の歴史のいくつかの断面を観念的に切り取って、それらを固定化して保守しようとしているようにみえることである。

まず、文化はどうか。

日本の文化を語るならば、すぐに漫画やアニメが西欧人を魅了しているなどの皮相なレベルにとどまるのではなく、たとえば、まず東大寺を思い浮かべてほしいものである。

東大寺は四聖建立の寺といわれ、百済系の行基、聖武天皇、インド僧、良弁という四名のおおきな人物によって宇宙的スケールでアジアの精神文明の成果を象徴するものである。

いわゆる日本文化のソフトは、インドの精神文明(仏教+インド神話)と中国から将来された漢字、法制度、諸思想(儒教、道教) の融合から成り立っていることは明白な歴史的事実である。

中国僧・鑑真がいなければ日本仏教における仏教教団は確立されず、したがってその後の仏教の歴史的発展もなかった。

日本天台宗を成立させたのは最澄であるが、彼の先祖は後漢の孝献帝の末孫であり、応神天皇の時日本に渡来した。

中国の天台宗で学んだ最澄が日本天台宗を開かなければ、法然、親鸞、道元、日蓮、栄西ら、日本人の伝統的性格を形成したような人物たちはいなかっただろうし、源氏物語、能、茶道、歌舞伎、俳句などの日本文化の成果はありえなかった。

日本文化とは、中国文明の価値ある様々な素材を、仏教の知性によって選別し相対化して――後世の排他性・イデオロギー性とは異質の日本の社稷の保全を本来の使命とする――神道的感性において洗練化され縁起的に生成されてきたものである。

大衆文化の漫画やアニメ、おもてなしの心など、すべて歴史的に縁起的につくりだされてきたものである。

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神道はどうか。

いわゆる保守の人は、神道といえば国家神道に傾き、神社といえば靖国神社がまず念頭に来てしまうのではないだろうか。

神道がそれ自身の特質をあらわしてくるのは仏教という普遍性の宗教的鏡に照らされたからである。

私見では、神道とは日本の国土の「社・稷」を守る志、つまり「土地を自然から与えられた恵みとして尊重するこころ」と「そのような土地においてえられた人間の生命維持のための作物を大切にするおもい」のことで、今日のエコロジーの原点である。

それは水源の確保、土地の汚染に対する忌諱、土地を単なる投機の対象としたりしない精神である。

日本の「社・稷」の伝統を保守するというのであれば、まず脱原発を覚悟して国政において総合的なエネルギー政策に転換すべきであろう。

この点で、原発維持/推進派には様々な理由付けがあるが、とにかく日本という社稷を守る点において、原発はまったく日本にふさわしくない施設であると思う。

地震、台風などで被災しても、これまで日本人は一所懸命に「社・稷」を守ってきた。

災害からの復旧にたいして前向きに努力してきたことが伝統的日本人の経済的発展の基礎的な精神ではないのか。

守りたい「社・稷」の修復に永続的に近づけさせない放射能汚染は、神道的感性においては祭祀上からも忌諱すべきものではないのだろうか。

神職の方々に、このことについて考えをお聞きしたいところである。

小泉元首相の脱原発論の真意をめぐって様々な意見があるが、なにはともあれ、長期的かつ総合的なエネルギー政策を組み合わせた工程表を示した脱原発化政策を、日本の国益のために望みたい。

***

保守の人が、天皇といえば、明治維新前から徐々に統治のイデオロギーに泥んできた軍事官僚たちによって国家神道としてイデオロギー化された「天皇制」として把握しているようであるが、どうなのだろうか。

「天皇」は「天皇制」ではない。

「天皇制」として認識するから天皇の元首化の考えになってしまう。

それでは「天皇」が法制度に堅く組み込まれてしまい、権力の具とされることに導かれるのではないか。

***

安全保障に関して。

保守の人が自衛隊について語れば、もちろんすべてではないにしても、軍隊化することを考えたり、原発に関連ずけて核爆弾製造能力の温存を考えたりするようである。

自衛隊の理念と日本における存続の意義とについて、日本の国益を慎重に再考したうえで、その装備と活動について再定義してあたらしい安全保障の組織として世界に示せばよいと思う。

***

野党は非保守かと思ったら、先の民主党政権の凋落を見て、意外やその保守性を一般有権者はあらためて感じたのではないだろうか。

野党の政治家に一般的に共通している“保守的” な歴史観は、自民党の保守の様々な態度に反対していて、有権者に夢を与える前向きの対案を提示してこなかったことである。

野党・民主党は神道についていかに考えているのだろうか。

神仏共存の宗教観についてはどうか。

靖国神社参拝に反対する場合、では絶対に政治家は参拝してはいけないのか。

具体的に参拝のマナーについて日中韓の三国との関係を視野に入れつつ、与野党が議論すべきであると思うか、いかがであろうか。

伊勢神宮については、どうか。

伊勢神宮の日本文化における位置づけをいかに考えているのか。

これについてもご意見をお伺いしたいところである。

***

改めて与野党の政治家のみなさんに「天皇」または「天皇制」についてお尋ねしたい。

つぎの文言をいかに受け止められるのだろうか。

「私(丸山)は天皇制が日本人の自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任を負う人間の形成にとって致命的障害をなしているという帰結に、ようやく到達したのである。」(「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」1989/『丸山眞男集第十五巻』(岩波書店)

「天皇制」なるものが「日本人の自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任を負う人間の形成にとって致命的障害をなしている」のであろうか。

「天皇制」をなくせば、「自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任を負う人間の形成」が可能なのだろうか。

この文言は、歴史のいくつかの断面を観念的に切り取って、それらを固定化して保守しようとしているのではないだろうか。

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憲法に疎い私にはわからなかったが、日本国憲法は「欽定憲法」か「民定憲法」か、という議論があったらしい。

以下は、矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』からの引用である。(正確に読みたい方は、同書 p.167以下を参照下さい)

「日本の法学における民定憲法論と欽定憲法論の論争は、東大の民定憲法論が勝利をおさめます。理由は宮澤(俊義)が、この「憲法研究委員会」での議論のなかから、「降伏という出来事は、法学的には革命的性格を有する」という「八月革命説」をあみだし・・・民定憲法論における矛盾を一気に解消したからだそうです。

八月革命説とは、日本ではポツダム宣言を受諾した昭和二十年八月一四日に法学上の革命が起き、そのとき主権の所在が天皇から国民に移行したという「学説」だそうです……。

・・・

宮澤は、もともとは、「大日本帝国憲法は民主主義を否定していない。ポツダム宣言を受諾しても、基本的に齟齬はしない。部分的に改めるだけで十分である」(一九四五年九月二八日/於外務省)という主張のもち主でした。

・・・

*――「八月革命説」のアイデアそのものを思いついて、それを宮澤に教えたのは、東大の「憲法研究委員会」で書記役をつとめた政治学者の丸山眞男でした。(『丸山眞男集/別巻』岩波書店)

・・・戦後日本の社会科学における「最高権威たち」というのは、「あらかじめ決まっている結論」をウラからあたえられ、それを正当化するためには自説を一八○度変えても平気でいられる人物、「インテグリティ」の喪失にほとんど痛みを感じない人物ということが大きな条件になっているのです。」

***

さらに矢部宏治は同書で、日本の安全保障研究の「第一人者」という評価のもと民主党政権で防衛大臣に抜擢された森本敏氏の原発にたいする姿勢について述べる。

「森本氏は二○一三年四月一一日の民放の番組のなかで、「[日本海側にたくさん建っている]日本の原発に、北朝鮮が核ミサイルを打ちこんできた場合、防ぐことができるんですか」とキャスターの人から聞かれて、

「日本の現在の原発は、そうした通常兵器以外の攻撃[=核攻撃]に対して、耐えうるような強度をもつよう設計されているので、そこは問題ありません」

と、平然と答えていました(!)。・・・それが日本の元防衛大臣、・・・そうしたことを平気で言える人が、現在の日本社会(安保村)のなかでは偉くなる。・・・」

このような防衛大臣が民主党にいたということが、日本の与野党は、それぞれの陣営の “ 保守派”が見かけ上の対立の構図をつくっているように、私にはみえるのである。

***

原発事故もそうだが、日本における大規模事故に見られる無責任体制も、「天皇制が日本人の自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任を負う人間の形成にとって致命的障害をなしている」のであるのなら、「天皇制」の責任なのだろうか。

歴史はデジタルではなくアナログ的に連続しているから、現在の「天皇制」においての天皇はどのような位置を占めているのだろうか。

***

以上は素人の政治談義であるが、日本の国益にかなう様々な見解を学ぶために、私は、脱原発、村山談話を守る会、市民連帯の会、護憲の会、ヘイトスピーチに反対の趣旨の会など、様々な会合やシンポジウムに基本的にそれぞれ集まりの趣旨に賛同して出席してきたが、それらの会合おいて主催者側の一部の人がもちだしてくるのは「丸山眞男」であり、彼の天皇制論であったりするのをみて、やりきれない思いをしてきた。

これでは今上天皇に親しみをもって、かつ与野党の政治に健全な批判精神をもっているかなりの一般庶民が、脱/反原発や、市民連帯や村山談話の運動から身を引いてしまうだろうと感じたことである。

私の思い過ごしでなければよいが、と思う。

***

さて、安倍首相とメルケル首相の歴史認識の違いについてであるが、両者にどのような意見の交換があった知らない。

ただ、自民・民主を問わず、世界の覇権史の中で、歴史認識一般と日本の歴史についての基本的認識について改めて問い直して、われわれ有権者にその見解を簡潔な文章で公表してほしいと願うことである。

(2015/03/17 記)

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