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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見(15)――安倍政権は “統合思考失調” となったか――

2015年4月8日

インターネット空間は人類の欲望の万国博覧会である。

人類史は、古代、中世、近世、近代と “ 進歩”をとげてきたというのは、技術的発達と社会制度上の進化については妥当するが、人間性にかかわる権力欲、闘争心、欲望、残忍性、偽善などはまったく変わっていないことが、インターネット上で認識できる。

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インターネット上では、国内外の陰謀や謀略、対立国同士の熾烈な騙しあいの現場の大量の情報が見れるから、われわれは、このような世界の状況にかかわる情報をどのように把握してよいのか途方に暮れてしまう。

膨大な情報をあたえられて、われわれの思考は、情報の荒海に漂っていて、あたかも“統合思考失調”の観を呈している。

だから、 国際政治や経済の専門家でもないわたしとしては、 自国の命運にかかわるさまざまな歴史的事件の意味の是非を判断する場合は、細部の情報は第二義的に参考にするとして、大きな単純な歴史的事実の確認と大局を見据えた見識で判断する他ない。

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「大きな単純な歴史的事実」とは、過去において日本は、現在世界の軍事大国である中国、ロシア、アメリカと無謀にも日本史上未体験の戦争を仕掛け/仕掛けられたことだ。

日本は地政学上、これらの三大国に囲まれている列島国である。

将来における「大きな単純な歴史的事実」について最重要の関心は、自国が戦争に介入する、または、させられる状況をつくる事態である。

「大局を見据えた見識」とは「大きな単純な歴史的事実」を確認しつつ、おおきな嘘を見抜く見識である。

その見識の根本基準は、第一に国益、第二も第三も国益である。

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日本の国益とは端的に、形而上的には日本の伝統と文化の永続的育成に資することであり、形而下的には、国土・領土の保全である。

形而上(こころ)と形而下(もの)とは、 縁起的に密接に連動していることは、人間と環境との関係に通じている。

人心の荒廃は環境をも荒廃させ、その逆も真なりである。

この点で、フクシマ原発事故は、形而上的にも形而下的にも、日本の将来を考えた場合は、国益毀損の最たるものである。

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形而上的には、つまり精神的領域で考えれば、原発は、福島の住民に古郷を放棄せざるをえない状況に追い込んで、日本的文化の精神的土壌である地域共同体の良質の人間関係を破壊した点で国益に離反している。

形而下的には、つまり環境的には、日本列島の貴重な土壌を放射能や化学物質で汚染させたことによる国益毀損であり、居住地であり農耕地であった土地を永続的に放棄せざるをえない状況をもたらしたことで、領土の一部の喪失である。

海洋汚染の問題も同様に深刻に考慮しなければならない。

尖閣諸島どころの話ではない。

永続的に自国の土地を不毛の土地にした責任は、国益が政治の最大優先事項であるとすれば、国家における最重大な過失である。

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形而上(こころ)と形而下(もの)とは密接に連動している「こと」であるのは当然であるが、両者を仲介する文化的機能をもっているのが 宗教祭祀である。

「国体の本義」ならざる、いわばエコロジーの精神である「神道の本義」は、森林率約67%の日本列島に特有の清水を享受している社稷の保全である(因に中国14%、インドネシア60%、イギリス10%)。

神社の神域が台風で荒らされることはあっても、自然の土地の復元力と郷土の人々の努力で復元することができ、事実、四季の変化と地震や台風に堪えて育成されてきた日本人の勤勉と工夫が日本文化の精神的背景にある。

しかし、放射能汚染は、社稷を穢し、神事の意義を崩壊させているのではないか。

「美しい日本」の永続的否定ではないのか。

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残念ながら、「神道の本義」が「国体の本義」に道具化され、歴史の当初は「武」王の性格をもった「天皇」が時代を経て「文」王としての「天皇」になっていったが、やがて「天皇・制」の牽強付会の定義を与えられて政治と軍事の最高責任として祭り上げられてきたのは、明治維新以前から漸々と時代の大きな流れのなかで起きてきたことである。

とくに「昭和初期の満州事変以来、日本の政府や軍部が天皇に情報を上げず、その権威を利用したのは事実だ。それが日中戦争や太平洋戦争の一因となった。」(週刊朝日;「昭和天皇のインテリジェンス」2015/4/10)

そして、天皇のおこなう祭祀の象徴性の意味は日本の社稷の保全であることは当然のことである。

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原発維持派には 原発を温存して“核武装のカードを持つ”などの一部の意見があるそうだが、時代錯誤の防衛感覚だろう。

“核武装のカードを持つ” ことは、原発を使用するという非情の覚悟が一国の宰相になければ威嚇の役割は果たせない。

どの国を威嚇しようというのか?

核攻撃後の敵国の戦後処理をいかに行うのか?

敵国といえども無辜の民を核爆弾で殺傷した後、彼らに戦後いかに免罪を乞うのか?

核爆弾のボタンをおす独裁者がいるとすれば、全人類に対する罪を犯すことになる。

日本の都市に二発の原爆を落とした米国がおこなってきたように、被害国の国民に“あたかも恨まれていない”かのような長期的、国策的情報操作をおこなう文明的資質が日本人には伝統的にない。

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アメリカは、日本の核利用に関しては実に巧妙な指導方針を維持しているようだ。

「原発ゼロ方針 「米高官が懸念」前原氏明かす」(朝日新聞夕刊;2012/9/13)

かと思えば、日本の核兵器の保有については、絶対に許さない態度をとっている。

「1969年、日本の外務省は「わが国の外交政策大綱」でNPTに参画するかどうかとは関係無く、当面は核兵器を保有しない政策を取るが、核兵器製造のための経済的・技術的な潜在能力は常に保持するとともに、これに対する掣肘は受けないようにするとして、「核を持てる能力」を外交カードとしてきた。

米国が、それを知らないわけがなく、それでも、日本と合意したのが、日米原子力協定である。

米国は、その協定の中には「安全保障条項」を入れ、米国が、安全保障上問題ありと見做した場合、関連施設そしてプルトニウムを、米国の判断で接収できるようにしている。

つまり、日本の「核を持てるカード」は、米国の手中にある。」( 鈴木荘治「日米原子力協定更新と電力」、 一橋総合研究所、2013/07/2)

さらに最近では、「安保法制 米提言に沿う 知日派作成、首相答弁にも反映」(朝日新聞朝刊;2015/3/30)している国で、一説に首相が側近に内密に語ったことがただちに米国に筒抜けになるような政府が原発を開発できるわけもなく、それが漏れたらとんでもない制裁が加えられることは必定である。

つまり、 原子力をめぐる米国の日本に対する態度は、原爆の加害者が原子力の平和利用と称して原発を日本に導入し、さらに原発を廃止しないように指導すると同時に、原爆は造らせないという、きわめて戦略的な米国中心の国策である。

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地震、台風、テロなどの発生の危険度と頻度は年々に増している。

原発は、もっとも脆弱なる格好の利敵施設である。

もし原発事故が西日本で発生していたら、または、発生するとしたら、神道の本義と、その本義の中枢にある伊勢神宮における祭祀はどうなるのか。

無いことを願うが、一国の宰相たる者が、総合的エネルギー政策の工程表をもって脱原発の厳然とした覚悟を示せば、 万が一の事態になっても国民を説得できる一部の望みがあるだろう。

万が一の事態になったら、禍根は末代までつづくだろう。

憲法も国益を守ることが最優先されるべきことであるのに、なんのための改憲なのか。

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現在、日本が抱えている政治・経済・安全保障・人口問題・文化等にかかわる問題の核心にあるのが原発問題であり、日中関係と沖縄基地問題にも連なる、今後の日本の国運と国益を左右する一大事である。

すべては縁起的に連動していることである。

それをないがしろにして、集団的自衛権、セキュリティダイアモンド構想、憲法改正、AIIBの内容が不透明だとして自主的に参加の決断できないで、これまた不透明なTPPに参加するとかどうかを考えている政府の思考は、まさに “統合思考失調”と言わざるをえない。

原発という大問題の責任をきっちりと整理しないで、国民に道徳教育を実施したり、権利が勝ちすぎていて義務がおろそかになっているなどというのは本末転倒であり、これも、仏教でいう縁起的思考の無視、今日的言い方をすれば “ 統合思考の失調”である。

僥倖の安定与党であるとしたら、現政権が、後世に永続的禍根を残さないように脱原発の一大決意を願う者である。

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かって孫文は次のような趣旨のことをいった:

「日本民族はすでに欧州覇道の文化を得た。またアジアの王道の文化の本質を有している。これ以後、世界の前途の文化に対して、西方覇道の手先となるか、東方王道の干城となるか、あなた方日本人が慎重に選ばれればよいことだ。」(「民国日報」1924・12・8)

中国は、孫文が想像もしなかった経済的な発展をなしとげて巧妙なる「欧州覇道の文化」に呼応して、不器用にも「中華覇道」の道を歩んでいるように見える。

それは中国の本意ではないが、大国への通過儀礼かもしれない。「欧州覇道の文化」の下に、特に西欧によるアフリカ、アジアの植民地化の過程において殺害された人々の数と、閉じた中華帝国の国内で殺害された犠牲者の数はいずれが多いだろうか。

中国は、古代から引継いだような多くの問題群を抱えているが、日本が、是々非々の態度をもって「積極的平和主義」で交流すべきなのが中国である。

日本は「アジアの王道の文化」の世界史的意義に改めて目ざめるべきである。

(2015/4/5記)

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