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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見(16)
――世界における日本人の立ち位置――

2015年4月30日

「東は東、西は西というけれど、日本はいずこに安住するのだろうか?」

( If East is East and West is West / Where will Japan come to rest?)

***

これはアーサー・ケストラーの文句で、キップリング (1965-1936) の 「ああ、東は東、西は西、両者は決してまじわることはないだろう」( ‘Oh, East is East, West is West, and never the twain shall meet.’) のもじりである。

ちなみに、キップリングのこの文句は、アメリカ映画の日本語タイトル「東は東、西は西」に使われた。原題は “Never the Twain Shall Meet (1925)”。

ケストラーは、東洋が西欧の諸問題に対してなんらかの解決策を提供できるかどうかを発見するために、1958年12月から1959年初めにかけてインドと日本に滞在した。

そして東洋の旅でえた体験と知見にもとづいて日本の文明的所属について、いぶかしく思ったようだ。

その結果は「The Lotus and the Robot (1960)」である。日本語訳は刊行されていないようだ。

西欧の知性と情念の深部をみつめていたケストラーによるインドと日本についての文明批評である。

***

アーサー・ ケストラー(1905ー1983)は、代表作『真昼の暗黒 (Darkness at Noon)』で有名なハンガリー生まれのユダヤ人作家だが、世界中を旅し様々な国に居住し、ついに安住の地をイギリスに求めたかに見えた。

しかし、「1940 年以降、私は英語で書き、英語で考え、読むものもほとんど英語である。・・・ 何年間か、一方では英語で考えながら、私は寝言では、フランス語やドイツ語やハンガリー語を話していた」ケストラーが本当にイギリスを安住の地として満足していたのかどうかはわからない。

男性として安心の異性の伴侶を求めて、欧米の知識人らしく(?)多彩な女性遍歴の持ち主でもあった。

***

ちなみに、形而上の活動において著名な西欧知識人の死亡年齢と、形而下についての活動について、以下、ごく概略的に記す。

・B. バートランド――98歳、ノーベル文学賞、生涯4度結婚、最後の結婚は80歳。

・J.M.ケインズ――63歳、42歳でロシアのプリマドンナ、リディア・ロポコバと結婚、それ以前の20年間はイギリスのエリート知識人のサロンで男色者であったといわれる。

・H.G. ウェルズ――80歳、少なくとも愛人が二人いた。

・J.P.サルトル――75歳、妻ボーボアールと生涯契約結婚。その間、関係した愛人らしき女性は多数。サルトルとA. シュバイツァー(90歳、ノーベル平和賞)とは親戚関係にある。

日本のサルトル・フアンは実存的に気を悪くするかもしれないが、ケストラーと親交のあったオーウェルのサルトル評は「大ぼら吹き(a bag of wind)」である。

もちろんオーウェルとて、上記の知識人ほどではないが、一応のレベルの性行動はしている。

***

ではドイツに飛んで、一部の日本の進歩的知識人に鑽仰されているらしい、M.ウェーバーは、どうか。

ウェーバーは、 D.H.ロレンスの愛人フリーダ(当時既婚、『チャタレー夫人の恋人』のモデル)の姉エルゼ(ウェーバーの友人の妻)と不倫関係。56歳没。

『存在と時間』の “ カトリック教徒の実存哲学者、M.ハイデガーは反ユダヤ主義者”でありつつ――これには議論はあるものの――ユダヤ人学生のハンナ・アーレントと愛人関係をもった。87歳没。

ケストラーを一例として、欧州の知識人と日本の知識人とは、形而上と形而下の活動において、行動力にいおいて、言語体験について大変な格差である。

しかし問題は、知識人の形而下の行動ではない。ケストラーが西欧との比較において日本滞在中に指摘していた、日本の知識人たちの閉鎖的な思考活動についての批判だ。

***

明治以来、海外に向かって外国語で自分の人物と思想を披歴した日本人は、仏教、特に禅の思想家鈴木大拙、新渡戸稲造、岡倉天心、南方熊楠などいたって少数である。

現代においても国境を超えて、外国語を使用して活躍する日本人の知識人――主として日本の政治・社会・歴史・文化に ついて論じる立場の作家と評論家――は極めて少ない。

***

日本の知識人が、日本に居住して日本語で日本国内の読者目当てに論文などを発表すること自体は別に批難されるべきことではない。

ただ、いぶかしく思われるのは――自然科学の研究者はともかく――いまだに日本のおおくの知識人たちが西欧の思想に瞳景し追従し、その紹介と解説をすることに終始している一般的に閉ざされた日本人だけの知的空気である。

彼らは、いわゆる“進歩的文化人”とよばれているが、戦後日本の代表的存在が近代主義者・丸山真男 (1914-1996) であるらしい。

丸山に心酔しているらしい大勢の人々の文章をインターネットでいくつかとり上げれば、「平和主義者のイメージが強いが,実際には冷徹な現実主義者であり,いわゆる平和主義者ではなく,自衛隊についても憲法前文による合憲化や積極的な海外派兵を説いていた」として評価し、「警察や軍隊が国家統治の暴力装置」といった表現に感歎し、「フーコーさえ「マルヤマさんはすばらしい」と言い、今なおアメリカで日本思想史、政治史をやる人の「不磨の大典」であり、簡単に批判できない」などなど。

たしかに本人には迷惑だろうが、「丸山教」とされる由縁である。

***

しかし丸山は「『ソヴィエ ト神話」を擁護し続けてきたからこそ、朝鮮戦争に関してもベトナム戦争に関しても何らシャープな発言を残すことなく学者としての生命を終えた」(城島了「歪曲される「オーウェル」」)ようである。

“進歩的文化人”の伝統を (無意識的にせよ)受け継ぐ日本の知識人はまず、マックス・ウェーバーやマルクスやハイデッガーやデリダなどを輸入し 翻訳し、それを解釈し、印象的なフレーズを記憶し、そこそこの知識を蓄えてから、それらの所論の権威を借りつつ日本社会や与党政権を批判的に論じつつ、論壇という言説の舞台に登場するようである。

なぜか。

それは「なにしろ明治の文 明開化以来、西欧的なものへの劣等感は、少なくとも私の学生時代頃までは日本人の深層心理の奥深くに潜んでいた」からである (脇本平也(2007)「全仏 No.535」;1911年生れ、東京大学名誉教授、宗教学)。

「西欧的なものへの劣等感」でなにが悪い、洋の東西を問わず、是々非々でいいものはいいのだ、と居直られれば言い返す言葉がないが、「相手方の価値観を基準に置いて自己批判を試みていると思われる点に問題がある」(前掲、 脇本)のではないか。

1960年代でも、この 劣等感は知識人・研究者らに影響をもっていたようだ。

「東洋には、哲学がないとか、美学がないとかいう人が、かなり多い。それだけならどうでもよいが、それが何か東洋人の頭の、西洋人のほどに発達しなかったかのように考えて、何か卑下する感じを持ちたがる若い学者がいる。この下劣感はいらぬ話だ」(鈴木大拙 (1961)「東洋「哲学」について」)。

批判の鏡は西欧であり、批判の対象は日本であり、自分は鏡を掲げて様々な日本の暇疵を指摘するのがで“進歩的”である伝統から未だに抜け切れていない状況に、現在も日本は置かれているようだ。

思索・批判・批評 の精神は国籍を超えて普遍的なことであるはずだから、そこに勝手な西欧文化に対する劣等意識を研究者が持ち込むことが不毛なことであるのは当たり前のことである。

***

当然のことながら西欧の近代は、それ以前の、奴隷貿易、魔女裁判、陰惨きわまりない異端審問、政府・企業・教会一体の植民地政策を歴史の前段階としているのであり、今日のパレスチナ、アフリカ、ミャンマー(ビルマ)、 アフガニスタン、イラクに起こっている諸問題は、すべてかつての西欧植民地の負の遺産が清算されていないためである。

しかし、概して西欧の知識人による歴史解釈は、自分たちの負の遺産を巧みに上書きしてゆくから、コロニアリズム(植民地主義)は、現状の解決の困難な部分はそのままにして西欧の知識人がポスト・コロニアリズムを論壇・メディアで  “論じることによって” 言説操作が行われ、歴史的にコロニアリズムが克服されているように言説上錯覚させられる。

しかし、ケストラーという、西欧の情念と思想の複雑な暗部を象徴的に一身に体現した知識人を思うとき、日本は東西のいずれに所属してその文明的地位を確定するのであろうか?、 というケストラーの問いには、やはり西欧の知識人であると納得せざるを得ない。

けだし西欧の情念において魔女裁判、陰惨きわまりない異端審問は、背教に対して潜在的な恐怖心を西欧人の心の深部に植え付けたことだろうし、それは退屈を嫌い、生への強い刺激である悲劇を希求する屈折した情念を西欧人に植え付けたように思えるからである。

***

ケストラーの問いに、日本の知識人はどう応えるのか。

日本人は、どのような文明的、国家的枠組みに安住して生きるのか。

ケストラーの問いは、応えるに価しないのか。

ケストラーはインドと日本でえた体験と知見から、ギリシャ・ローマ文明とユダヤ・キリスト教文明から構成されている西欧という空間における多様性のなかの統合性と、時間的変化をつらぬく持続性を内包したヨーロッパ文明に自信を深めて東洋の旅を終えたようである。

日本の知識人たちは、これからも次々に現われる欧米の思想家の研究をして閉鎖的な日本的知性に籠りつつけるのか。

西欧の近代の流行作家的思想家の研究から離れて、サンスクリット語を学んでインド哲学と仏教を、儒教と老荘の思想を学んで日本の文化的淵源への理解を深めるのが、日本の知識人の未来に向けた世界の知性に貢献する道ではないのか。

***

1983年、ケストラーはパーキンソン病などを理由に、三番目の最後の、健康であった妻シンシア(55歳)を道連れにして薬物により自宅で自死した。

両人の遺体は3月3日、死後36時間を経過して発見された。

そして、彼らの ”double suicide” は少なからぬ論争を引き起こした。

***

ケストラー夫妻の死に様は、東洋人の目からみれば、いかにも非ユダヤ・キリスト教的である。

ケストラーは、日本の文明的帰属を問うのではなく、東西の文明論を超えた、自分のいのちの帰属を問うていたように思われる。

激しく生きた、戦った、書いた、愛し合ったケストラー夫妻の末期は、心中ではなかったのか。

合掌。

(*2015/04/20 記)

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