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政治家の知性欠如と政権暴走

寄稿:飯室勝彦

2015年5月3日

「国会議員は教養や知性という参入壁がない。」「誰にでもなれそうなわりには職業威信が高い。『お得な』職業ということになる。」

論文にこう書いたのは社会学者の竹内洋である(日本政治を覆う「反知性主義」=中央公論新社刊・「大衆の幻像」所収)。「なんで、あなたが国会議員に!?」とでもいいたくなるような職業イメージ、とも書いている。

首相の安倍晋三、安倍親衛隊とでも言うべき自民党議員たちの政治行動や日常の振る舞いを見ていると、竹内の指摘には説得力がある。昨今、報じられた問題の事柄だけとってみても、政治信条などのレベル以前、当事者の知性欠如の問題であることは明らかだ。

まず安倍や内閣官房長官の菅義偉ら政権首脳、自民党側がテレビの放送内容に関して局に圧力をかけたとされること、圧力行使の根拠として放送法第4条を挙げたことである。

この条文は放送に、政治的公平、事実を曲げない報道、多様な論点の提示などを求めているが、基本的には放送局に自律を求めたもので、公権力、とりわけ政治の口出しを許す趣旨ではない。放送法はむしろ表現の自由を重視し、第3条で「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」と外部からの不当な介入を禁じている。

首相にも、官房長官にも、国会議員にも放送局幹部を呼びつけて威嚇する権限はない。

そもそも表現、報道の自由は最大限尊重されなければならないし、権力者は権力行使に自制的でなければならないのが民主制の根幹、基本原理である。こんな常識さえわきまえない政治家に権力を委ねてしまったことの深刻さを有権者は自覚すべきだろう。

自民党参院議員の三原じゅん子は参院予算委で「八紘一宇」を今後の日本が守るべき行動指針として持ち出した。

この言葉は第二次世界大戦中に日本の中国、東南アジア侵略を正当化するスローガンとして使われた。三原は「世界を一つにする」という語義だけに飛びついたのだろうが、この言葉がどんな役割を果たしたのか知っていれば国会における公式発言に出てくるはずがない。現代史のイロハも学んでおらず、国会議員に求められる最低限の知的レベルにも達していないのではないかと疑われる人物を、有権者は国会に送り込んだのである。

社民党参院議員、福島瑞穂の「戦争法案」発言に関しても自民党側は無知、無教養ぶりをさらけ出した。参院予算委で安全保障関連法案を戦争法案と批判した福島質問の用語を修正するよう要求し、安倍も「レッテルを貼って議論を矮小化するのは断じて甘受できない」といきり立った。

福島や野党の抗議で自民党側の要求は通らなかったが、自由な討論、多様な言論があってこそ権力の暴走を防ぎ社会を民主的に運営できる。まして議会では完全に自由な言論が保障されなければならない。憲法第51条にも「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」と規定している。

数の力で憲政の基本を押しつぶしたり、マスコミの言論・表現を統制しようとする安倍政治はかつての“戦時下”を想起させる。

ひところ安倍政権が「反知性主義」と評されることが多かった。これには、「主義と言うからには彼らが確たる政治思想、信条に基づき政治を進めているというのか」という違和感、反問があった。

しかし「反知性主義」を「総合的な教養、つまり知性の欠如による抑制力の欠如」と理解すれば納得できる。安倍政権の現状は教養、知性が足りない故にとどまろうとしない暴走である。彼らには「実るほど頭を垂れる」稲穂の謙虚さも、「権力者は謙抑的でなければならない」という戒めも無縁だ。

かつて大平正芳が総理大臣だった時、新聞の「首相の動静」欄では、大平が書店に寄り大量に本を買い込んだことがしばしば伝えられた。通産大臣、衆議院議長を務めた故前尾繁三郎は3万5千冊の蔵書を残した。

安倍の図書購入や読書について伝える記事は読んだことがない。副総理、麻生太郎は必殺のスナイパーが主人公の劇画の愛読者であると公言している。読書万能とは言えないが、多くの人の知的営為を吸収することは正しい政治を行うために欠かせないはずだ。

2014年4月に発表された竹内の論文の結びはこうである。

「最近の保守の変質についての評価は多々あるにしても、保守政治家に教養や知性という『自省』をもたらす機能が働かなくなったことと無縁ではないはずである。」

一強多弱の国会を制し、マスメディアも制圧した安倍政権は、戦後レジームからの脱却、「戦争のできる国」を目指してノーブレーキで突っ走っている。自衛隊の将来像として浮かんできたのは、米軍の一翼に組み込まれ、一朝ことあらば事実上の先鋒を務めさせられるかも知れない「日本軍」、安倍の言う「我が軍」である。

背景に国民意識の“ねじれ”がある。某民放の調査では、安倍政権が構築しつつある新たな日米安保体制については賛成、反対が30%前後で拮抗しているのに内閣支持率は50%を超えている。この数値では、政治家の知性を問う前に有権者自身が知性を問われていると言えないだろうか。

 

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