会津若松市にホールボディカウンター贈呈
ひばりプロダクション
文責:梓澤和幸 尾谷恒治


左が加藤和也ひばりプロ代表、右が室井照平会津若松市長

  8月31日、(美空)ひばりプロダクションから会津若松市に内部被曝量を測定するホールボディカウンター(WBC)が贈られた。 SAFLAN会員が仲立ちした寄贈で、贈呈式に梓澤、尾谷会員が列席した。

  昨年は歌手美空ひばりさんの23回忌にあたる。震災の被災者を励まし、 美空ひばりさんを追悼するメモリアルコンサートが 「だいじょうぶ、日本!〜空から見守る 愛の歌〜」 とのタイトルで、2011年11月11日、 東京ドームで行われた。五木ひろし、平井堅、EXILE、AKB48、氷川きよしほか人気歌手が協力出演。 4万5000名の観客が参加。その収益金の中から既に双葉町にWBC1台が贈られ、今回はそれに続く2台目である。

  贈呈式では、ひばりプロダクションの代表取締役で美空ひばりさんの子息加藤和也氏から室井照平市長にWBC1台と運営資金が贈られた。 贈呈式会場の会津若松市河東保健センター2階ホール(約100名収容)の会場にWBCが設置された。 前側の3列には保育園児20名ほどが座り、その後ろの1列には小学校高学年の8名が1列に、その後ろに会津若松市民、 同市に避難している大熊町の町民と思われる人々があわせて30名ほど出席した。


WBCのデモの光景。座っているのは尾谷、説明しているのは中地教授

  感謝の挨拶に立った室井照平会津若松市長は、「WBCの運用によって市民が安心できる機会になればと思う。」 と挨拶した。 ひばりプロ加藤和也代表のスピーチが心に残った。

  「東京に居ると被災された人たちのことに心が及ばないのうのうとした生活をしてしまっている。そのことを申し訳ないと思う。 苦労した戦後の時代を生きた母、美空ひばりが今生きていて、この震災と原発被災を見たらその日のうちに行動したと思う。 贈らせていただくホールボディカウンターには母の23回忌メモリアルコンサートに出演して下さった歌手の皆さん、観客の人たちの気持ちがこもっている。 ささやかかもしれないがこの寄贈で皆さんは忘れられてはいないのだ、ということを感じ取っていただければと思う。 子どもたちのために役立てていただきたい。」

  目に涙を滲ませるような真摯な挨拶だった。日々華やかなテレビ、芸能の世界に生活している人が、 こんなにストレートで素朴な心情のこもった言葉を発するのかと思わせるようなスピーチだった。 ひばりさんの持ち歌 「一本の鉛筆」(後記注参照)を思わせる挨拶だった。幼稚園児20人が立ち上がって、 「遠くから来て下さってありがとう。」 という呼びかけをした。子どもの声には、それだけで訴求力があった。 梓澤、尾谷は、会場に据え付けられたWBCのすぐ左に座った。 すぐそばの床に腰を下ろした、目がくっきりと大きく輝いていて頬の色艶の良い、 4歳くらいの男の子とその隣の女の子がちょっと不思議そうな表情で私たちの顔をじっと見つめているのが印象的だった。


列席した子どもたち

  WBCは、ひばりプロの加藤和也代表がSAFLAN監事の小池幸造税理士に収益金の贈呈方法と贈呈先を相談し、 梓澤、尾谷がWBCを提案し、さらに疫学調査の提言研究を担当している尾谷が熊本学園大学の中地重晴教授(環境科学)と機械の選定、 WBCによる内部被曝検診の意味付けなど具体的なプロジェクトを詳細化したことから実現した。

  WBCは、要員の訓練期間を経て1か月後の10月半ばくらいから動き出す。 検診には対象者1人あたり10分の時間を必要とし、1日200人くらいを測定できる。フル稼働で1年5000人〜6000人が検診可能というところか。 会津若松市内には、警戒区域から避難してきた大熊町住民が2929名住んでいる(2012年7月31日現在)。 会津若松市民の中でも内部被曝を憂慮する住民は市外・県外に出て検診しているので、このWBCによる検診希望も少なくない。 このWBCが住民主体の健康管理とデータ収集に役立つことを願う。

:松山善三作詞の 「一本の鉛筆」 は、1974年開催の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりさんに歌唱された。

    一枚のザラ紙があれば 私は子どもが欲しいと書く
    一枚のザラ紙があれば あなたを返してと 私は書く
    一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
    一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く

という歌詞で、ネットでも聴くことができる、美空ひばりさんの表現が聴き手に浸透してくる歌である。 加藤和也代表のスピーチは、この歌のことを思い出させる心のこもったものであった。