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日隅一雄弁護士の志

寄稿:弁護士 梓澤 和幸

2013年5月5日

市民メデイアNPJ編集長日隅一雄君は、死の前日まで入院せずに活動した。6月12日朝6時緊急入院。午後8時28分死去した。49歳だった。

日隅君は、ジャーナリストだった。京都大学法学部を卒業後5年間、産経新聞の記者として働いた。 その後司法試験に合格。1998年に弁護士となり、2001年報道被害救済弁護士ネットワーク(LAMVIC)創立に参加、 2006年NPJ創立の中心メンバーとなり編集長に就任。以降継続した。

2011年3月12日以降福島第一原発事故に関して、東京電力の記者会見に通う日々が続いた。2011年5月胆嚢癌の告知を受け、余命6か月と告げられた。
一時入院したが、短期間で退院し、自宅療養とジャーナリストとしての活動の日々を重ねた。 弁護士としての仕事は最小限に整理し、東電会見を運動の現場と見定め、110回以上通いつめた。 メルトダウン、SPEEDI の隠ぺい、放射能汚染水の海への投棄など、東電と政府が隠そうとする事実に執念をもって食らいついた。

記者会見の席上では、穏やかな言葉で、しかし鋭いポイントを突いた質問を重ねた。新聞記者の経歴と証人尋問の経験が生かされていた。 ときに厳しく東電の広報担当者や、原子力保安院の関係者に食い下がった。

癌の痛みは生易しいものではなかった。夜、横になると痛みに耐えられず、机に突っ伏して睡眠をとった。 1時間ごとに起き上がり、アイスクリームや水分を補充して、腹部の苦痛に対処した。 あばら骨が全部浮き出て、顔は蒼白になったが、それでも会見場に通った。

なぜそんなに、とNPJのインタビューで聞いてみた。なかなかこの質問には答えてくれなかった。謙虚な人だった。 動機を聞きたくて、質問を重ねた。「私一人でどうにかできたわけではないが、原発問題が勉強不十分だった。 そのために福島の人たちをこんな目に遭わせてしまった。」 「福島の人たちの苦しみに比べれば、私の癌の痛みや苦しみなど小さいものだと思う。」

記者会見の中でようやく明らかになった真実について、病をおして 『検証 福島原発事故・記者会見―東電・政府は何を隠したのか』 (岩波書店2012年1月 木野龍逸氏と共著)を書いた。ここでは、記者会見で情報を出す側の一人ひとりの人間の表情とそれを受け取り、 質問する側のマスメディアの記者たちの様子、その中で質問を続ける日隅君たちフリージャーナリストの姿が活写されている。 中でも放射能汚染水が初めて海洋投棄された際の会見場の様子が胸に迫る。 夜1時を回るところまで、この重大な環境汚染を誰が決定したのか迫る場面がある。迫る日隅君たち。マスメディアの記者たちは誰一人声を挙げない。 カタカタと鳴る記者たちのパソコンの音が聞こえてくるような場面である。

人間の善良さをみる日隅君だった。「いやぁ、彼らもその日のうちに原稿を送らなければならない環境に置かれていますから。」 という言葉が、 生前の彼から聞かれた。しかし、なぜ記者たちは一緒に立ち上がって支援の声をあげなかったのか。 この問いはこの文章を読んでいただく現場の記者、ジャーナリストに、亡き日隅君から投げかけられている。

これだけ日隅君がこだわるのは、真実を掴んだ国民こそこの国の主人公になれるのであり、ジャーナリストはそのために身を投げ打って、 献身すべき職業の徒であるとの信念に基づく。NHK番組政治家干渉改変訴訟国賠の提訴(2001年7月)、控訴審勝訴(2007年1月)、 NHK受信料訴訟提訴(2007年1月)、沖縄密約情報公開訴訟提訴(2009年3月)、一審勝訴(2010年4月)などの弁護士活動や、 前述の東電記者会見本のほか 『審議会革命』(現代書館 2009年2月)、『マスコミはなぜ 「マスゴミ」 と呼ばれるのか 補訂版』(現代人文社2012年1月)、 『「主権者」 は誰か』(岩波ブックレット2012年4月)などの、短期間に次々と積み重ねられた仕事には病が重篤だっただけに誰も驚く。 これらの成果に加えて編集長としてNPJをようやく独り立ちする市民メディアに育てた功績と志がある。 これらは次の世代の法律家・ジャーナリストたちによって引き継がれ、大きく育てられ、時を経て新しい輝きを放つであろう。

日隅君、いつまでも絶えることなき友情を捧げます。福島と子供たちの将来を見守り続けて下さい。

(JCJ 6月号掲載)

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