【NPJ通信・連載記事】練馬自衛隊基地ウオッチング~ダイコンと基地の街~/坂本 茂
練馬駐屯地 第1師団 師団長 コペルニクス的転回か!?
練馬駐屯地(東京都練馬区北町)には第1師団司令部と第1普通科連隊が所属する、第1と言うナンバーワン=頭号というエリート集団とも言われるというようだが・・・
練馬駐屯地は昨年2014年6月20日、創立記念行事である「駐屯地祭」などに関する下々・庶民の嘆願を、一方的に避け続けてきた。
我々は防衛省まで出向き、練馬駐屯地で一日も早く交渉できる事をお願いしてきた。「駐屯地祭」が迫ってきたある日、我々は防衛省に交渉日程を尋ねると、突然「駐屯祭の当日(2015年4月12日)午前9時に練馬駐屯地に来てください、交渉に応じます」と返事が返ってきた。
1年もの間待たされた挙句(それまでしびれを切らしていた)「突然9時に来い」と言われても我々も対応に困り、結局交渉は駐屯地祭りが終了した5月8日に決まった。
第1師団長に対し、昨年から提出していた我々下々の願い=要請は以下の通り
① 創立記念行事という形式で、多額の費用をかけ毎年開催する必要がない、中止を。
② 広報資料室は、まず最初に、玄関正面に東条英機元首相の遺品が置かれ、その他、展示室内では、旧陸軍の資料から自衛隊の資料へと続きますが、先の大戦に対する反省が欠如し、旧陸軍を肯定するもので、憲法9条の精神に明確に反するもの。従って広報資料室の展示の中止を。
③ 広報資料館前に展示された戦車2台の上に、子どもなどが乗っていた。戦車の上に乗ったりすれば転落する危険がある、戦車に触れることの中止を。
④ ちびっ子自衛隊体験に関しての件は。子どもと軍隊との関係については,子どもの権利条約やジュネーブ諸条約において、強い規制がされている以上、条約に抵触するものなので中止を。
⑤ 火薬庫と、民間人の住宅地は隣り合わせている、火薬庫の脇に積み上げられている、古タイヤは発火事故の危険性もある等、環境汚染にも影響するので撤去を。 以上
2015年4月12日の午後、我々は第1師団創立53周年及び、練馬駐屯地創立64周年記念行事(以下「駐屯地祭」)を見学した。
すると「我々の要請を受け止めてくれた Yes! ナンバーワン カッコイイ」という声がかすかに聞こえてきた。
それが練馬駐屯地の状態を見た市民からの感想なのだ。
交渉はその後だったが、第1師団長は市民の要請をおおよそ、受け入れた様子だった。
我々は目を見張った 行くところで要求が実現、色々なものが、様子が”消えた”
要請により、改善された点
イ 広報資料館入口の東條英機元首相の遺品が撤去された。
ロ 戦車の上に乗り、遊ぶ子どもたちの姿、子どもに戦車に触れさせていた事。
ハ ちびっこ自衛隊体験(かつてのレンジャー体験)修了後、手渡される修了証のレンジャー徽章の絵柄が外された。
ニ 火薬庫脇に山積みされている古タイヤが撤去された。
以上全て“消えた”(=改善した)
全て我々下々・庶民のささやかな要請に過ぎない。しかし、あきらめないことだとあらためて実感する。
以下は些細なことではなく重大な事件だ
※ 今だに“消えた” 5.56ミリ機関銃の実弾は発見できずにいる。2013年8月6日、朝霞駐屯地実弾射撃場で第1普通科連隊第4中隊(練馬駐屯地)が起こした実弾紛失事件だ、今だに誰も処分者なしという、異例な事態は続いている。
駐屯地交渉が再開したのは今年の5月8日だ。1年以上も回答を待ったことになる。
偶然ではあるが70年前、ナチス・ドイツが無条件降伏した日でもある。
別に、第1師団長が住民に無条件降伏したわけではないけど・・・
過去にも、防衛省及び練馬駐屯地は迷彩服に小銃を所持しての”レンジャー市街地行軍の中止“や、「駐屯祭」において子どもに銃を触れさせた事の中止(銃刀法違反に当たる)の要請を受け入れている。
そして、練馬駐屯地との交渉や情報公開された文書から様々なことが浮き彫りになった
防衛省は以下説明する(駐屯祭命令書:目的より)
【第1師団創立記念行事などは、頭号第1師団及び練馬駐屯地の歴史と伝統を顕示し、自衛隊に対する理解と信頼を深めるとともに、隊員家族の理解を促進して士気の高揚を図る】
市民不在の、自衛隊の自衛隊による自衛隊のための「駐屯祭」ということが理解できる
市民不在な「駐屯祭」で執行された経費(区民などからの税金)は過去3年間で2080万円だ。
2012年度 1030万円
2013年度 490万円
2014年度 560万円
その内訳は
50周年(2012年度)記念碑費など 230万円
記念品印鑑ケース代など 130万円
招待者などの祝宴代 134万円
パレードにかかった諸経費 170万円
戦車試乗 22万円
戦車など展示130万円・・・等費用がかかっていた!
広報資料館入口の悪名高い(?)東條英機元首相の遺品等について記して置こう
「駐屯祭」直前まで、練馬駐屯地広報資料館に入ると目の前に見上げるようなガラスケースが長年展示されていた。
東條英機元首相の妻かつ子氏提供の「東條英機が着用していた国民服」を着せた等身大のマネキンとその背後にある縦1mの4点の写真の内容
① 第24代 歩兵第1連隊長、左胸に勲章いっぱいの東條英機
② ドイツの鉤十字と日の丸が大きく映し出される日独伊三国同盟発表(1940年9月)後、東條英機・外務大臣松岡洋右ドイツ・イタリアの外交官
③ 東條内閣組閣(1941年10月)の記念写真
④ 太平洋戦争の開戦日1941年12月8日、国民に決意を表明する東條英機元首相の写真が陳列されていた。
これを見た私は靖国神社の「遊就館」に似ていると思った! 気のせいだろうか?
「総合的な学習の時間」は2000年より始まった。全国の公立中学生の一部は自衛隊駐屯地などで年間2日~3日、職場体験=体験入隊が教育課程となった。
中学生は練馬駐屯地などで迷彩服の着用や行軍など教練、自衛隊の高校である高等工科学校の説明、「広報資料館」が見学コースに含まれている
全国の自衛隊駐屯地や基地の「広報資料館」も旧陸軍をたたえているという・・・同様な展示だ!
中学歴史の教育は軍国主義の敗北を教え教科書には「この大戦の死者は日本人が310万人、アジアでは2000万人以上」とあるが、一方において、全国の教育委員会や教員などは「広報資料館」の実態をまったく知らないでいる。
安倍首相が自衛隊を「軍隊」と呼び、集団的自衛権を行使し、「殺し殺される」自衛官に育てる昨今だが、教育委員会は粛々と「総合的な学習の時間」と称し、中学生、高校生を駐屯地に差し向けようとしている!!
繰り返すが広報資料館玄関入口の東條英機元首相の遺品などが消えた なぜだろう?色々と思案してみた
東京都、神奈川、埼玉、静岡、山梨、千葉、茨城県等の防衛任務につく隊員たちへ 「自衛官たるもの 愚直たれ!」と説法を説く 第1師団長 陸将 永井昌弘氏は下々・庶民の声を真摯に受け止めたのだろうか?
〽 “父よあなたは強かった” ♪♪ そんな時代になんてしねーぞ!
アベよ 安倍首相よ、原点に戻れ!
俺は隊員部下の命は守るぜ 御身大切に
ワシのところは 軍隊じゃねえぞ 勘違いするな! アベ
閣議決定でなんでもできると思ったら大間違いだ
アベ暴走ストップ!
腹の中で考えているのかもしれない・・・
だとすれば
第1師団長は 憲法を貫き 格好いいじゃないか
アベシンゾウ ハ ヒーロー キドリ デ ベイコク ニ イッテ
ウチナンチュウ モ ヤマトンチュウ モ サシアゲマシタ
※戦前戦中、小学校の修身教科書に掲載された木口小平のネタより
米国に 福祉を元手に 買わされて シンデモ オスプレイ ヲ ハナシマセンデシタ
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