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【NPJ通信・連載記事】メディア傍見/前澤 猛

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読売新聞は死んだ

2015年7月19日

(1)ジャーナリズムの喪失

安保法制衆院通過前後の同紙の紙面を見て、そのあまりの異常さに言葉を失いました。

私は、かつて記者として読売新聞を愛し、その発展に努めました。また現在も読売の社友であり、そのために日々の紙面についての思いが深いのでしょうが、現役記者や編集幹部の中に、昨今の紙面に異を唱える人はいないのでしょうか。そうだとしたら、私は敢えて、「読売新聞は死んだ」と受け止めざるを得ません。

各紙の世論調査では、大多数の国民が安保法制の成立に反対しているのに、読売新聞はそうした国民の声を紙面にほとんど反映させていません。反対の声を大きく扱っている各紙の紙面を、読売の社員や編集幹部は冷笑しているのでしょうか。

例えば、各紙は国会周辺でのデモの動きを一面、社会面で大きく扱っていましたが、読売では、15日夕刊が社会面で見出し1段、本文14行、16日朝刊では同2段、18行という、ともに目につかないほどの豆記事です。16日夕刊では完全無視です。

60年安保のときには、同紙の論調は安保賛成でしたが、それでも社会面では、国会デモを本田靖春氏らが丹念に取材し、大きく報道しました。そうした庶民とともにあることを標榜してきた読売新聞には、いまやデモを取材し、市民の声を聞き、紙面に反映させる社会部記者や社会部デスクは、実質的にいないのでしょう。

読売新聞は30年来、読売グループ・オーナーの渡邉恒雄氏が主筆を専有し、社説や提言報道を自説で統制してきました。2007年に日本新聞協会の新聞文化賞を受賞したとき、渡邉氏はそうした「社論確立」を受賞理由に挙げていました。

ジャーナリズムは、社内言論の自由がないメディアでは生きていけません。その証左が、昨今のデモや市民の声をほぼ完全に無視した同紙の紙面です。

(2)歴史は繰り返す

1960年6月の「60年安保騒動」を知る読者も少なくなりました。その時に、ジャーナリズムを大きく逸脱でした、以下のエピソードを知る人も、多くはないでしょう。

60年安保のときも、国会はデモの群集に囲まれました。首相は、安倍首相の祖父、岸信介でした。その際に出された政府声明は、デモを「国際共産主義の企図に踊らされた行動」と断じました。その政府声明を書いたのは、当時、読売新聞の現役の政治部記者だった渡邉恒雄氏です。

一方その時、日刊7社は共同社説を掲載して「暴力否定」と「国会正常化」を訴えました。ところが渡邉氏は、その共同社説を「実にいい加減なもの」と侮辱しています(同氏著「天運天職」)。

60年安保から半世紀経った今、読売新聞をほしいままに操縦している渡邉氏は、やはり世論を無視し、安倍首相と安保法制を強く擁護しています。

7月16日の社説はこう言っています―「法案の内容は専門的で複雑だが、日本と世界の平和と安全を守るうえで極めて重要な意味を持つ」。

専門的で複雑だから、「『戦後最大の政治記者』(政治評論家・中村慶一郎氏の評価)たる私に任せておけ」と渡邉氏はいうのでしょう。

(2015.07.16記)

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