【NPJ通信・連載記事】読切記事
連載「沖縄ナウ」②辺野古ナウ Part 2 ゲート前編
前回、砂川裁判のことについて触れたんですが、少し前の情報で、「砂川事件の元被告人、土屋源太郎氏(80歳)の最高裁判決が憲法37条の「公平な裁判所」に違反しているとして、現在、砂川事件の再審請求訴訟を行っている。」とネットのニュース(6/18)で見つけた。
判決当時、マッカーサー在日米国大使と田中耕太郎最高裁判所長官が密会して話した会談内容が、アメリカが公開した公文書に書かれているのが既に見つかっているのである。
要は、アメリカとの密約の証拠があるのに、その裁判は有効なのか?って事だ。
存知かもしれないが、例えば八王子に住むあなたが、お家の屋根の上で雲を見ていて自由な気分になったとしても、その空には行けないし、その空は日本ですらない。(実はJALもANAもその空は迂回しているんです。パイロットは建造物って呼んでいるらしいが)1959年の砂川裁判以降、日本人の意思としてそうなっている。
辺野古の抗議活動を遠目で見ている人には理解出来ないと思うが、単に環境破壊や基地建設だけに抗議しているわけではない。
本気で人と人が擦れ合い、涙をながして、怒りを顕にして抗議する意味は、日本人の権利を代弁してゲート前で抗議活動をしているのである。
現場に立ってやっと理解出来た。 このまま放置して見過ごすと、後々大変な事になって自分達の身に降りかかってくる事を沖縄に住む人は身をもって知っているのだ。
もしかすると、法曹界も政府をも動かす事が出来るのは民意しか残っていないのかも知れない。
安倍首相が沖縄県民を前に「沖縄慰霊の日」のスピーチをしているところを見た。
70年間苦しめ続けた沖縄県民を目の前にして、やはり、辺野古への移設は続行らしい。
彼の数年前の演説では、「日本人の若者も血を流さないと、アメリカと対等の関係が成り立たない」って言った。
彼の言う”美しい国家”とは、主権は無いが兵隊を派遣して、土地と命を捧げるって国家の事か?
今日も、「この地に存在する意味」すら曖昧になったアメリカのための米軍基地の前で、日本人同士の暴力になってしまう抗議活動を続けなくてはならない。
文・撮影 谷内俊文
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