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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ
第44回「熱帯林養成ギプス-コンゴ人研修プログラム その1」

2015年11月28日

▼アベルに始まる

指導教官であった黒田さんは常にコンゴ人との共同研究の必要性、コンゴ人若手研究者の研修の必要性について説いていた。1990年黒田さんは実際森に若いコンゴ人をひとり連れてきた。それはコンゴの大学出の若いコンゴ人、ムパシ・アベルという名の青年であった。

アベルの研修が始まった。森での調査・研究にひじょうに興味を抱いている。でもこれまでそうした経験のないシティ・ボーイであった。キャンプに机がないと文句を言い出す。おいおい、ここは町じゃなく、森の中だぜ。また町の生活でしていたのと同じように、朝起きた後、体を洗わないと気がすまないらしい。しかしわれわれの起床時間に合わせて起きて、それから水浴びをするとなると、調査のためにキャンプを出発する時間が遅れる。そしてついに、彼は毎日4時の真っ暗闇の中に起きて、懐中電灯を使いながら川で水浴びを始めた。そのように、彼は、従来からの町の生活のスタイルと、森での生活とに折り合いをつけ始めたのである。

彼にとって慣れぬ森での生活。しかし、意欲と熱意にあふれていた。町での生活習慣はなかなか放棄できないようであったが、懸命に調査に励む姿。それを無為にしてはいけないと思う。彼らコンゴ人にはそうしたくても、その機会や資金・装備にも恵まれていない。黒田さんのいう「研修プログラム」の重要性を垣間見る。アベルはなかなか森の中の植物の名前を覚えていくことができなかった。研究ガイドである森の先住民が何度でも教える。しかしそのたび忘れていた。笑い飛ばすガイドたち。でもアベルは笑顔でくじけなかった。その必死さがとても印象的だった。

黒田さんとぼくが森を出る日が近付いてきた。アベルにとって頼るべき指導者が不在となる。でもアベルは自分で調査を継続したいと。ぼくはそうした彼自身の意向をもっとも尊重すべきだと思った。研修ののちいずれ彼はひとり立ちするときが来る。森での調査生活は厳しい。食糧はかつかつで満足に食べられないときもある。しかし彼の選択にゆだねるべきだとぼくは黒田さんにいう。

ゴリラの糞を分析する研修中のコンゴ人若手研究者@西原智昭

ゴリラの糞を分析する研修中のコンゴ人若手研究者@西原智昭

▼調査領域の拡大と研修プログラム

あしかけ4年にわたる調査を終え、ぼくは、当時ほとんど解明されていなかった「原生熱帯林に生息するニシローランドゴリラの食性とその熱帯林で生産されるゴリラの採食物の生産量との関係」というテーマで、論文をまとめた。1994年の春であった。しかしその後も現地での長期調査を継続することに決めた。熱帯林にはさまざまな生物が生きている。それらは決して独立した存在ではなく、互いにひしめき合いなんらかの関係を保持しつつ、熱帯林全体の「生態系システム」を構成しているのだ。ならば、これからはゴリラだけでなく、他の動物、昆虫、植物などにも目を向けていきたい、調査地も拡大していきたいと考えたのである。

樹上のサルを観察する研修中の若手コンゴ人研究者@西原智昭

樹上のサルを観察する研修中の若手コンゴ人研究者@西原智昭

こうした拡大された調査はとても一人でできるものではない。1993年のコンゴ共和国での内戦のあおりで、1994年以降文部省(現・文部科学省)からの研究資金難により、奨励金で何とか研究の継続が可能であったぼくを除いて、他の日本人研究者は事実上コンゴ共和国に来ることができなくなった。ぼくは一人になったのである。そこで、コンゴ人の若手研究者と共同で研究するプログラム、アベル以来、細々ではあったが開始されたコンゴ人若手研修プログラムを拡張して始めることにした。首都の大学で森林学を学び卒業したコンゴ人やコンゴ政府の森林省に勤める若手スタッフには、資金難で実際森に入り調査・研究を実施する機会はほとんどない。こうした研修プログラムは、そうした意欲ある若手人材への機会提供の場でもあり、彼らが現場で基本的な調査方法を習得する場でもあるのだ。

実際、将来の研究活動を担っていくコンゴ人若手研究者の人材がきわめて不足しているのが現状であった。また自然保護の観点からいえば、コンゴ共和国の熱帯林についてなら、コンゴ人自身による活動が必要となってくる。彼らの国の森だからである。森林の保護には、森林のあり方を理解するための動物や森林の生態学的基礎研究は不可欠である。具体的な保護プランを作成していく上にもとても重要な情報となるからだ。研修プログラムの意義はまさにここにあったといってよい。なにより、こうした過程でコンゴ人によるコンゴ共和国の科学的発展に寄与することが可能になる。科学的知見は先進国の研究者に独占されるべきものではないのはいうまでもない。

たとえば、ンドキはほとんど無垢の森とはいったが、現実的には密猟は断続的に行われていた。当地の森を国立公園に指定するのに一躍かったWCSとコンゴ共和国・森林省は、密猟者を国立公園から締め出すパトロールを定期的に実施していたにもかかわらず、森とそこに住む生物は緩やかではあったが人の手によって脅かされつつあったのである。自国の森で起こっているこうした現実こそ、コンゴ人自身が認識し、コンゴ共和国の持つ熱帯林の将来を考えていかなければならない。

▼研修プログラムの序幕

研修プログラムを開始した当初は、日本の民間財団から支援を受けた。当時はWCSからも研修プログラムの意図や趣旨がなかなか受け入れられなかった。そのころは、現地の若手研究者の研修あるいは共同研究の重要性と必要性について、彼らには考えが浸透していなかったのかもしれない。しかしその後世界銀行のGEF(地球環境保護基金)から大規模な援助が出るようになった。これはもともと、研修プログラム実施のために京都大学を中心とした日本人研究者チームに支給されるものであり、当時京都大学の研修員であったぼくがそれを担当することとなった。しかしながら現実的に現場で一人であったためにすべてをまかなうことは到底不可能だったので、ぼくはWCSに資金管理・インフラ利用等を含めて、共同作業を申し入れた。当時のWCSコンゴ共和国の責任者マイク・フェイは快く迎え受けてくれた。

こうした経緯もあったためか、のちにはWCSの研究者も、コンゴ人の研修および彼らとの共同研究という体制を作っていくようになった。実際、ぼくの研修プログラムを受けた若手コンゴ人の何人かは、その後WCSのもとで研究・保護の仕事に携わるようになった。ぼくは笑いながら「マイク、ぼくの研修生をいつも途中から盗んでいるよな」とマイクにいったことがあるが、こうして意欲のある若手コンゴ人が次々と現場に携わることができるようになったのはぼくにとっては望外の喜びであった。

現実的には、若手コンゴ人をリクルートするといっても容易なことではない。通常は野外研究の重要性に理解をもつコンゴ共和国政府の関係者やコンゴ人研究者に、若手コンゴ人を紹介してもらうように依頼し、そののち、首都ブラザビルにあるマリエン・ングアビ大学の卒業生や森林省の若手局員などと直接面会する。この中の多くはすでに森林の一般的な知識を学んできてはいても、野外調査の実地経験はほとんどない。重要なポイントは彼らの意欲である。またそれまでの便利で快適な街での生活を離れて、森での不自由な生活を送ることへの覚悟である。

電気のないキャンプで夜データ整理をする研修中のコンゴ人若手研究者@西原智昭

電気のないキャンプで夜データ整理をする研修中のコンゴ人若手研究者@西原智昭

世界銀行による資金のもとでの研修は通常次のような段取りで進めた。研修者が初心者の場合、一回の研修期間はおよそ3ケ月とする。まず最初の1ケ月目は彼らは自由に森を歩き、自分の目で森を観察する。また調査に必要な基本的技術-地図の読み方、コンパスの使い方、森を歩くとき注意すること、キャンプの運営・維持など-を学ぶ。2ケ月目に何に興味をもち、何を研究の対象としたいか話し合い、それまでの研究の進行状況や実現性を考慮に入れて調査計画を立てながら、同時に基本的調査方法の実地トレーニングを受け、システマティックなデータ収集を開始する。最後の3ケ月目には指導者なしで自分の力による調査の実施を試みる。

研修後ブラザビルに戻ってからは、彼らは彼ら自身の収集したデータをもとにレポートを作成することになる。必要に応じて、データの整理の仕方や分析法、レポートの書き方の指導を受ける。さらに機会をみて首都ブラザビルにてセミナーを開催する。これはコンゴ人研修者が自分の野外研究の成果を発表する場であり、またセミナー参加者であるコンゴ人がコンゴ人同士で自国の森のあり様について議論する場でもある。コンゴ人の集いの場であり、自由討論の場でもあった。われわれはこうしたセミナーをこれまで何度か実施した。そこでは活発な討論がおこなわれただけでなく、コンゴ共和国のテレビ局やラジオ局によって他の多くの大衆にも報道され、好評を得てきたようである。

野外研修、レポート作成、セミナーでの発表などを滞りなく終了したのち、若手コンゴ人は希望に応じて再度森を訪れることができる。ところで、コンゴ共和国の公用語はフランス語で、一般にコンゴ人には学校教育で英語の学習をする機会は限られているが、研究活動を続けるには英語の習得は不可欠であり、若手コンゴ人にもそれは必須の課題の一つだ。そこで、次の野外研修に参加しない場合はブラザビルのアメリカン・カルチャー・センターなどで実施されている英語学校に通う機会を選択することができるようした。

また、他の研究者と交流し学術的な関心を高めるためにも、国内外の学会に参加することも重要なことである。しかしコンゴ共和国内で何か学会が開かれることはほとんどないために、国外でのそうした機会を探さざるを得なかった。われわれは1997年3月にイギリス・ダーラムにて開催されたイギリス霊長類学会春季大会に、これまで研修を受けてきた若手コンゴ人の一人を派遣することに成功した。

1997年前半に至るまでぼく自身は、合計9人の若手コンゴ人の研修に関わり、彼らとともに主に霊長類を対象とした共同研究を進めた。彼らが研究に携わった対象は、ゴリラ、チンパンジーに限らず、他の昼光性のサルも含まれた。なかでもホオジロマンガベイの1グループは、この研修過程の中で「人付け」が成功した。さらに、熱帯林の生態系できわめて重要な位置を占めるアリの研究も着手した。さらに、ンドキという原生熱帯林にはどのような植物種がそれぞれどのくらいの密度で生育し、またその分布はどうなっているのか、花や果実はいつはじまり、どの時期に生産のピークをむかえるのか等、植物の構成・分布、フェノロジーといった基礎的な調査も研修テーマの一つであった。

植物の調査に取り組む研修中の若手コンゴ人研修者@西原智昭

植物の調査に取り組む研修中の若手コンゴ人研修者@西原智昭

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