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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見 「中国の夢」と中国の現実、そして日本の立場

2016年2月27日

昨年5月23日夕刻、北京・人民大会堂の「日中友好交流大会」で習近平主席の講話を聞いた。

「皆様、こんにちは。二千年前、孔子は「朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや」と述べた。・・・」

開口一番、孔子を引用。

それから日中関係の歴史的緊密性を基本的前提にして、インドにさりげなく視線を向けてから、日中間の文化交流史を大観して淡々と語った:

「日中は一衣帯水であり、二千年以上にわたり、平和友好が両国民の心の中の主旋律であり、両国民は相互に学びあい、・・・人類の文明のために重要な貢献を行った。

一週間前、インドのモディ総理が私の故郷の陝西省を訪問した。

私はモディ首相とともに西安において、中国とインドの古代の文化交流の歴史を振り返った。

隋、唐の時代、西安は日中友好往来の重要な窓口であり、当時、多くの日本からの使節や留学生、僧などがそこで学習し、・・・

代表的な人物は阿倍仲麻呂であり、彼は大詩人李白や王維と深い友情を結び、感動的美談を残した。

私は福建省で仕事をしていた時、17世紀の中国の名僧隠元大師が日本に渡った物語を知った。

2009年、私は日本を訪問した際、北九州などの地方を訪ね、両国国民の割くことのできない文化的な淵源、歴史的関係を直接に感じた。・・・

来賓の皆様及び友人の皆様!

隣人は選ぶことができるが、隣国は選ぶことができない。・・・

我々は、道を同じくして、日中の四つの政治文書の基礎の上に、両国の隣人としての友好と協力を推進していくことを願っている。・・・

今年は中国人民の抗日及び世界反ファシズム70周年である。・・・

抗日戦争が終結した後、中国の人民は徳をもって恨みに報い、百万人の日本人が帰国するのを手助けし、・・・中国人民の心の広さと大きな愛を示した。・・・

皆様、日中友好の基礎は民間にあり、日中関係の前途は、両国民の手に握られています。・・・

「青年が立てば、国家も立つ」

本日、多くの若者もここに座っています。・・・

「先人が植えた木の木陰で、後代の人々が涼む」

私が真に期待するのは、両国の青少年が友情の信念をしっかりと持って積極的に行動し、

友情の種を不断なく播き、日中友好の大樹に育て上げ、

これをうっそうと茂る森にまで成長させ、

そして、日中両国人民の友好を世々代々と継続させていくことであります。・・・」

***

習近平氏の講話に続いて、「日中友好交流大会」の企画実践者ともいうべき二階俊博氏は答辞を、原稿なしで実に簡明な日本語でのべた。

「日中関係を支えているのは、時々の政治情勢に左右されない民間レベルの深い人的関係であります。・・・

とりわけ文化交流は日中間の交流の中でも最も重要な位置を占めております。・・・

先ほど主席も述べられましたが、青少年は、次代を創る重要な世代であります。

この前、我々は大災害を受けた時に、中国から温かい御配慮を頂きました。

その際、500人の子供達を中国の海南島に御招待を頂いたわけであります・・・

子供達は打ちひしがれた中で、仙台から飛行機に乗ってお伺いしたわけでありますが、

そうした中で、中国の皆さんの温かい御配慮によって・・・

海南島のあの太陽の燦々と照り輝く地域において、2日間で子供達は、元気はつらつとした子供達に生まれ変わったのであります。・・・

これからの日中関係、先程来お述べになりました習近平国家主席の御挨拶、十分意味を理解し、そしてその実現のために、実行のために我々も努力することを誓おうではありませんか。」

(以上は、「日中友好交流大会」の翌日、一部関係者に配布された「在中国大使館で作成したとりあえずの訳」を参考に、習近平主席の講話と二階俊博氏の答辞から抜粋)

***

欧米の政治家の演説の内容の吟味には無関心で、中国のこととなると反・嫌中感情が湧いて思考が働く人は、 この講話と答辞聞いて、政治家たちの外交的「巧言令色」やおだてのメッセージの交換と受け取るかもしれない。

しかし、かなりの数の中国通を含む3000人余の日本人の前で語り、中国でも公表された講話の内容は、訂正できない一定の事実である。

隣国同士の平和を願い、日中間の戦争状況を招く思考と行動にでてはならないと達観する日本の政治家がいれば、この講話の文言を外交的話し合いの共通の土台にできるはずである。

***

つい最近、『中国の夢とはどんな夢か?』(李君如原著; 中国梦什么梦;2014年12月)を読んだ。

著者の李君如氏は、同著の著者紹介によれば、元中国共産党中央党学校副校長、長年マルクス主義の中国化の思想史研究に従事、云々とある。

そこで、本書は、中国政府に認可されている中国の未来構想の詳述だろう。

道教に深い理解をもっていた岡倉天心はマルクスも共産主義も知らなかったと思われる。

が、有名な“Asai is one.” で始まる彼の The Ideals of the East (東洋の理想;1903年) には、インドのヴェーダ聖典の個人主義と対照された中国の思想の核心に言及して “ the Chinese with its communism of Confucius” といっている。

“ 孔子(儒教)のコミュニズムをもつ中国人”とは、大胆に過ぎる断定といわれるかもしれないが、英語の原義をよく心得た言い得て妙な定義であるという見方もできる。

本書の目次の一つに「「中国の夢」はマルクス主義の中国化の生きた具現である」とうたっているから、きっとそうなのだろう。

ともかく中華文明を誇る伝統的に儒教の国が西欧のマルクス主義を導入したのである。

本書を読むと、知徳ある天子と士大夫の下に修身・斉家・治国・平天下を維持する伝統的な中華帝国を理想とする中国と共産主義体制とに、理念的な親和性を感じる箇所が所々にみられる。

***

「第一章:「中国の夢」は民族復興の夢である」 からはじまる200頁余の本書の日本語訳を通読した。

「1840年のアヘン戦争で中国は立ち後れていたために屈辱を受け、西洋列強の砲艦政策のもとで主権を失い、しだいに半植民地・半封建国家に零落していった。

その時から、民族の独立と人民の解放を勝ち取り、国家の富強と人民の幸せを実現することが、中国人が一代また一代と終始変わらず追求し続ける民族復興の夢となった。」(p. 2)。

「中国の近代史をひもとくと、1857年から1861年の第二次アヘン戦争に破れ、1884年から1885年の中日甲午戦争(日本では日清戦争という)に敗れ、1900年の8カ国連合軍の北京侵攻に敗れている。

しかも、中国政府は列強の銃砲の脅しのもとに700余りの不平等条約を結ばされ、領土割譲、賠償金支払いなどの恥辱を嘗め尽くした。」(p.13)。

アヘン戦争の記憶は「中国の夢」の中の過去の悪夢としてしっかりと記憶されているようだ。

「中国の夢」を深く支えているのは自国の領土内でのやられっぱなしの屈辱の戦争体験である。

これは、明治維新後から外国領土で戦争を続けてきて、1945年8月6日広島に、9日長崎に原爆を投下され、やむなく14日ポツダム宣言の無条件降伏の受諾を御前会議で決定し、8月15日、昭和天皇の玉音放送をもって終戦した日本の歴史とは、両国民の戦争体験においてまったく対称的である。

沖縄を措いて、日本本土の東京や大阪に異教・異言語・異文化の外国軍隊が侵攻してきて日本人と銃火を交える様な地上戦の体験を日本人は過去2000年来経験していない。

二発の原爆投下も東京大空襲も、敵兵が空中から一方的に攻撃してきただけである。

***

「中国の夢」は民族復興の夢であるから、非中華文明圏の人々を魅了する要素が希薄であることは当然である。

が、現在、西欧先進諸国が、放縦なる自由の下に金融至上資本主義を目的化して「経世済民」の基本的理念を見失い、自国の夢を語れない精神的不安の状況を考えると、発展途上国としての中国には大衆へ「小康社会」を普及させるという大義があり、この点では健全である。

問題は「中国の現実」について、様々な見方があるという事実だ。

朝鮮半島と東南アジア等を措いて、以下、4か国(地域)の中国観を単純化して整理する。

1) 中国人民共和国自身の見る中国の現実・・・香港、台湾、新疆ウイグル自治区、チベットなどを抱えて、しかも党の内部に積年の腐敗の問題を抱えている。根底に、中国独自の歴史観・領土観の問題がある。

2) 台湾人の自覚をもつ中国人の見る中国大陸の現実・・・ 台湾住民は、外省人、本省人、客家、原住民などの複雑な社会構成である。 現在の台湾の若い人々は、中華史観的な情報と台湾史観的な情報の両方から状況を見るバランス感覚をもっている、という意見もある。

3) 日本人の見る中国の現実・・・時々の対中関係によって評論家と国民に、親・嫌・反などの様々な感情と見方が生まれる。特に最近の “膨張する中国による海上行動” に、一般国民は反感や懸念を示している。

反/嫌中共派の日本人は概して親台派であるが、思考自体が 極度に “単一民族的” である点で、総じて台湾人よりも政治的に未成熟かもしれない。

日本人には、日本人自身を相対化して見る視点が必要である。

いずれにせよ、どの国民にも適応されることだが、嫌悪の感情は思考停止であり、相手を嫌うことで問題が解決することはない。

4) “不沈空母” 日本列島に在日米軍をおいているアメリカ政治の中枢が見る中国の現実・・・日本はポツダム宣言受諾以来、 中米関係のはざまで、日本がアメリカに従属させられているのか、アメリカが日本の従属を放棄できないのかわからないような奇妙な対米関係を維 持している。

***

昨年5月の「日中友好交流大会」参加に次いで、10月には台湾・台北のホテルで李登輝氏92歳の熱弁を聞いた。

その翌日から、日本が台湾を統治していた頃の様子を伝える場所をいくつか訪れて、様々な意味で、日本人は改めて台湾の歴史を事実に即して学ばなければならないと思った。

そして、複雑な心境になった。

両岸の中国人と友好関係を持ちたいとする場合、日本人はどのような立場をとればよいのだろうか。

「日中友好の基礎は民間にあり、日中関係の前途は、両国民の手に握られている」ことを信じ、「日中関係を支えているのは、時々の政治情勢に左右されない民間レベルの深い人的関係」を信じている一日本人として、長期にわたるだろう「中国の夢」の実現を期待したいが、一水四見の観点から様々な顔を見せる“中国の現実”にいかに対処すべきなのか。

しかし対処の基本は、日本人が日本の基本的立場の確認と表明から始める他はない。

1)日本は、非覇権国であることに国民的自覚をもち、これを対外的に表明する。

2)日中は、互いに内政干渉せず、特に領土問題については武力行使に発展しないように政治家は智慧を深めつつ、永続的な対話を維持する。

3)日本は、東アジアの平和構築の媒介的地位を含めた「日本の夢」を掲げて、「中国の夢」と協調的互恵的な発展に努力する。

4)無理のない様々な文化交流の促進に両国首脳は同意し、民間人の自然な相互学習に信頼して両国の国民レベルの理解を深める。

5)“積極的平和外交”の具体的な作業として、中国の水資源確保や公害対策などを日中共同でおこなう。二階氏の「世界津波の日・11月5日」の提案は、軍事的意図とは無縁の具体的平和外交だ。

いかなる国の軍隊も、自国の防衛を主任務としながらも、攻撃性の否定や軍備の縮小を生理的に嫌う組織である。

しかし、“平和外交”に軍事的意図と目的を絶対に介入させてはならない。

***

東アジアの平和と繁栄を願う一日本人として、日中の政治家は、従来の西欧的権謀術数の政治戦略に泥んではならないと思う。

中華人民共和国は、「中国の夢」の実現には、特に近隣諸国の共感をえなければならない。

中国は、中華文明圏という大きな理念を中国人の志として抱きながら、鄧小平氏の深い智慧を適宜に援用して、「中国の夢」が東アジア文明圏の多元的文化制度の弁証法的な創造・発展に寄与することを、一日本人として願う者である。

(2016/02/24 記)

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