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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ 第51回「メガトランゼクトへ〜4」

2016年2月28日

●みんな生きている<自然のシナリオ>

みんな生きている。みんな、生・き・て・い・る。

見よ!すべてのワイルドライフを!

みんな必死に何かを求めている!

植物なら伸びようとする息吹。

オザラ・コクア国立公園のロクエ・バイ(連載記事第50回を参照のこと)へ向かう川の途中で見かける水鳥やアカスイギュウ。ぼくらとボートとモーターの音に驚き、向きを変え、そしてわれわれの方をみつめ直す。彼らの頭では、自分らが今地球上のどこにいて、いつで、これから先どうなるのか、ということはわかっていない。それを知る必要もあるまいが。

 

川沿いのアカスイギュウ©西原智昭

川沿いのアカスイギュウ©西原智昭

少なくとも、積極的に死を求めているとは全くみえない。その生と生とが絡みあい、複雑な幾相にもなる関係をもち、全体のシステムのバランスがある。バランスを保っていく過程で、突然の環境異変によって、あるいは長い年月をかけての自らの変化・変貌に応じて、生き続けるものは生き続け、進化するものは進化し、死に絶えるものは絶滅してきた。それは、自然のもの、そして、自然にしかわからない“自然の”シナリオであったし、今もそのシナリオは継続中のはずである。自然はそもそもシナリオをもっていて、進化すべきものはしようし、絶滅すべきものはその運命をたどろう。

人もその一部だった。しかし、人はやがて、大規模に、自然に手を入れてきた。バランスを脅かすほど種の数を減らしてきたこと、本来のウィルドライフの生息場所を、畑、居住地、伐採などのために、開発してきたこと。大規模に変化してしまったものはもう二度ともどらない。したがって、自然も何とかバランスを保つ努力はしているものの、シナリオを軌道修正しているにちがいない。しかしそのバランスのきしみが激しくなれば、いかなることが起ころう。そのプロセスそのものに我々はいかなる方法を用いてもタッチすることはできない。

宇宙が誕生し、太陽系ができた。石のかたまり地球が、思わぬ環境条件をそろえたがために、そこに『生命』を宿らせた。単純なものからやがて複雑なものまで...。

そして、自ら、自然はシステムをつくり上げてきた。その長いプロセスの過程で、そのシステムをも脅かす『人間』をも生み出した。― ある意味では自然自身の矛盾だ。そしてその人間は、自らを生み出した自然に対して脅威であるばかりでなく、同種の人間に対してさえ、あまたの問題を作り出してきた。それはこれまでの歴史が証明するものである。繁栄と衰退、その表舞台・裏舞台でもある殺し合い、お金への渇望、肥大した性欲、それをコントロールするための人為的制度、あまたの破局を向かえる恋愛、最後は自分との戦い-ひたむきに生きていこうとするけれど、多くの場合、報われない、すべての根っこになっているひとそれぞれの勝手な欲望。

保全(Conservation)の仕事というのは、自然のもつ計画のプロセスを変更することではない(それは不可能だ)。それは人間のもつ勝手な、いきすぎた自然へのダメージを与える欲望をコントロールすることである。そして。自然のオリジナルのシナリオへの影響を最小限にすること。つまり、人間の諸活動とのバランスをとりながら野生生物や自然を守ること。

●メガトラは続く〜ガボンへ

数週間の間、ただ書類仕事をしていた。チームがオザラ・ココウア国立公園を抜け、コンゴ共和国からガボンへの国境を渡るに際して必要な書類作りだった。マイク・フェイ以外のコンゴ人チームメンバーは、だれひとりパスポートを持っていなかった。森のガイド兼ポーター役の先住狩猟採集民にあっては、身分証明書すら持っていない。ただ、ガボン政府からのメガトランゼクト施行に関しての許可証はあったのだ。問題は、いかに、メンバーを合法的にガボン国内に入ってもらうかであった。そのために、ぼくはガボンの首都の移民局へ何度も足を運んだ。

当時先住民の多くは服を着ていなかった©西原智昭

当時先住民の多くは服を着ていなかった©西原智昭

ガボンの首都にある移民局で、臨時の国境越え許可証を作ってもらうために、特に先住民の写真を見せたら、「きゃー、なにこのひとたち、裸じゃない」と女性職員は叫ぶ。まるで、人間扱いしていない。移民局上層部の判断で、なんとかその許可証発行の手前まで行ったが、結局頓挫した。ぼくは、そのことをマイク・フェイに知らせるために、コンゴ共和国最後の物資補給地点へ向かった。

マイク・フェイは、メガトランゼクトのはじめから同行してきたコンゴ人スタッフを、国境を超えてガボンでも連れて行きたかったのは確かだった。そのために、ぼくは何週間も移民局に通い続けたのだ。しかし、現実は困難であった。しかし、それでもメガトランゼクトは続けなければならない。ガボンに入ってから、新たにチーム編成をすればよいだけだ。

補給地点でもあったガボンの国境に近いコンゴ共和国の最後の村で、コンゴ人スタッフを陸路・河川で元の村に送り届けることに決定する。ただ、偶然その時、コンゴ人先住民の一人が病に倒れた。彼を遠路送り返すことはよい案ではない。そこで、彼とその兄、そして先住民のリーダー格の3人だけは、マイクといっしょに国境を一緒に超え、「緊急事態」ということでガボンへの入国を許可してもらい、その上でガボンの近くの病院に連れて行くという算段にした。

こうして、メガトランゼクトは国境を超え、続くことになった。国境なんて人為的なもの。森はある。どちらの国にも森はある。そしてその森は国境を超えてつながっている。だから、メガトランゼクトは継続する。それはメンバーによらない。だからこそ、マイクのこうした判断は正しいのだろう。

ガボンに入った最初の村で、マイクはガボン人のメンバーを確定した。多くの応募者の中から、口頭質問などを通して、選抜したのだ。その中には、ガボンの先住狩猟採集民だけでなく、屈強そうなバンツー系農耕民も入った。そして、マイクとその新しいチームは、ガボン国内でのメガトランゼクトを開始したのだ。

●ガボンに入った3人のコンゴ人先住民

彼らの世話はぼくが面倒を見ることになった。国境を超え、ボートにてぼくは彼らを大きな町へ連れて行った。そこには、研究施設の大きな敷地があり、当時はEU関係の保全プロジェクトが使用していた。敷地の周囲は森であり、ぼくは彼らのためにその森の入口にテントを立て、当面住むよう手配した。

予定では病気であったその男をその町の病院へ連れて行くことになっていたが、それは彼らからかたくなに拒否された。近代医療にはかかりたくないという当時の先住民の基本的なスタンスのためだった。ぼくは、彼らのいる場所の研究所にある家のひとつに寝泊まりし、毎日、彼らの食料や飲み水を提供し、病気の男の様子を見た。快方に向かっている様子はなかったが、悪くもなっていない。小康状態のようであった。

空中からの物資補給に使っていたセスナが、その町の空港に来る日が近づいてきた。当初の計画で、その飛行機に乗せて、彼ら3人を彼らの村近くの空港まで送り届ける手配にしていたのだ。村に帰れるとあって、病気の男も含めて彼らは急に元気になる。見たことも聞いたこともない隣国に入り、周りにはぼく以外知り合いがいないという世界で、寂しさは隠せなかったのだろう。

出発の日、ぼくは彼らを車に載せ、町中の空港へ行った。村に帰れるとはいえ、彼ら先住狩猟採集民にとっては、これがはじめての飛行機への搭乗である。緊張の顔つきを見せる。「なに、寝ていれば、数時間で目的地に着くさ」と怖がる彼らを、ぼくは説得する。4人乗りのセスナ、3人は乗り込む。「トイレはいいのか?飛行機の中にはトイレはないし、小便を漏らすこともできないぞ!」というと、彼らは機体から降りて、一目散に近くの森の中に入っていった。

用を足して帰った彼らは、再度セスナに乗り込む。もちろんシートベルトなど知らない。ぼくが、手取り足取りそれを教える。そして、ドアを閉め、飛行機は離陸した。ぼくは地上からそれを見送った。もちろん、彼らは無事目的地に着き、その日のうちに自分の村にたどり着くことができたのだ。

●自然の本質

マイク・フェイの新チームは、国境地点からガボンの森を歩き続ける。いくつかの物資補給地点も通り過ぎた。もちろんぼくも、寸分違わず、しっかりと物資補給をこなし、ニックらナショナルジオグラフィックのメンバーが合流することも、しっかりコーディネートした。

チームは、ガボン中央部にあるこの地域で最大のコングウ滝へ差し掛かった。その手前で物資補給が行われた。そこは幾つもの滝から成り立っているが、最大のものはおそらく100mくらいの高さから、凄まじい勢いで水を落としている。

マイク・フェイのチームは、次の地点を目指して、この滝の下流域を渡って行った。下流とはいえ、滝の勢いで川の流れは早い。岩がありそうやすやすとは渡れない。深いところもあれば、岩で滑るところもある。何箇所も困難な川は、ロープや、空気で膨らます小型ボートを使って、なんとか渡りきった。

コングウ滝©西原智昭

コングウ滝©西原智昭

そのあと、ぼくは滝が流れ落ちるのが見える岩の上に座って、飽きることなく、そのすさまじい流れを見ていた。滝の流れは止まることがない。決して終わることがない。一秒たりとも休まない。自然が作り出し、それが自然に続くだけだ。ほぼ、永遠に。水が枯れないかぎり、地殻変動でもおこらぬ限り、地球が太陽にのみこまれない限りつづくのだろう。人間の存在の有無とは全く無関係に継続する。

これこそ、自然の本質だ。われわれはたちうちできない。それを目のあたりにすることができた。そうした単純なことに気づいただけでも、来た甲斐があったというものである。知らない場所を訪れることができる、それこそ、メガトランゼクトの醍醐味であった。そして、それぞれの場所で、学ぶことは多い。

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