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ジャーナリズムにおける公平性

寄稿:飯室勝彦

2016年3月14日

画面に大映しされた首相・安倍晋三の“独演”を長々と伝えるNHK、たわいないバラエティー番組で時間を潰し、ニュースは通り一遍の情報垂れ流しで終わることの多い民放……「テレビは死んだ」の感が強い。

「報道ステーション」の古舘伊知郎、「クローズアップ現代」の国谷裕子、「NEWS23」の岸井成格など権力に辛口で臨んできたキャスター、アンカーらが安倍政権の攻撃を受けて次々と降板してゆく。昨春、大越健介が「ニュースウォッチ9」のキャスターをやめた裏にも政治的圧力があったと伝えられている。

「そして誰もいなくなった」である。

テレビと同じように新聞などの活字メディアも権力からあの手この手の攻撃、懐柔を受け萎縮している。新聞記者が日頃見下している週刊誌の一部がけなげに奮戦しているものの、権力の懐をえぐるような特ダネが報じられることはない。

「国境なき記者団」が発表した最新の世界報道自由度ランキングによれば日本は61位、先進国として最下位だ。

女性の下着を盗んだ嫌疑のかかる復興相・高木毅も、口利き謝礼疑惑が浮上して辞職した前経済再生相の甘利明も、メディアはきちんと追及できないでいる。二人も、そして米大統領を「奴隷」という差別表現で論評した参院議員・丸山和也も逃げおおせそうだ。

追い討ちをかけるように、総務相の高市早苗は、放送に政治的公平を求めている放送法第4条を根拠に電波停止もあり得る、と言い出した。放送局に対する脅迫めいたこの見解に安倍も同調した。

第4条は放送局に自主、自律による公平、公正の確保を求めた倫理規定というのが一般的理解だが、高市らは処罰の根拠となる法規範と言い募った。

「倫理規定か法規範か」というこの論争のなかで奇妙だったのは放送業界の対応だ。研究者らに尻を叩かれるようにして終盤近くにやっと関係者の反応が出たが、苦言、要望レベルの発言ばかり。「反論した」というアリバイづくりの底意がまる見えで、報道の自由のために闘う姿勢は見えなかった。

「ジャーナリズムにおける公平性とはなにか」という根本に踏み込んだ議論も生まれなかった。それは放送関係者だけではない。ジャーナリズムの使命とは何かという基本にかかわる命題なのに、研究者や新聞関係者などからもその点の議論が聞かれなかった。

大辞林の「公平」の項には「かたよることなく、全てを同等に扱うこと、主観を交えないこと」とある。広辞苑では「かたよらず、えこひいきのないこと」だ。

メディアの活動にこれをそのまま当てはめるとメディアは単なるスピーカーになってしまう。

高市や安倍がメディアに求めるのはこの役割であり、政権や自民党の主張、立場を対立する側のそれと少なくとも同等、等量で伝える辞書通りの公平を維持すべきだという。本音は権力側の情報を優先すべきだと考えており、NHKはニュース番組に関してはそれに従っているように見える。

しかし、テレビ、新聞などが担うジャーナリズムとしての使命は、権力を批判的に監視し、多様な情報を収集して国民に伝え、知る権利に応えることである。錯綜する情報を整理分析して国民に考え判断すべき課題を提示することも大事だ。

そこで求められるのは「ジャーナリズムとしての公平性」である。

ジャーナリズムとして公平、公正とは、権力に媚びることでないのはもちろん、どっちつかずの姿勢をとることでもない。目指すべきは実質的な公平である。

ジャーナリズムが、少数者、弱い立場の人や、権力に批判的な勢力の側に軸足を置いてこそ実質的な公平や平等は実現する。

権力を握る側は、自分の意見を広める手段や経済力、ときには強制する力も有している。自力での自己実現が容易だ。

これに対し、多くの場合に対立者の力は権力側より格段に劣る。報道によって幅広い国民に知られることで一定の力を得て、主権者・国民の選択肢となり得るのである。民主主義社会で少数意見を尊重すべきだとされるのは、少数意見に含まれるかもしれない正義、真実を発見する道を閉ざさないためだ。同じように、算術的な公平には必ずしもこだわらず実質的公平の実現を目指すのは、ジャーナリズムとしての使命でもある。

客観性、合理性をまったく欠いた恣意的な判断、報道はジャーナリズムの名に値しないが、客観的とは主観を排除することではない。

どんな情報も伝え手の問題意識があってこそ命を吹き込まれる。あふれる情報の中から自分の問題意識に基づいて情報を取捨選択し、掘り下げて伝えるのが優れたジャーナリストだ。

その主観、問題意識を独断、偏見ではなく普遍的なものにするのが、ジャーナリストとしての資質、経験と、「客観的であろうとする自覚」に支えられた多面的、多角的な取材による豊富な情報である。

ニュースキャスター、コメンテーターなどはそのためのキーマンであり、放送法が求めるのは決して機械的な公平ではない。

民主主義の健全な維持発展には、権力の抑制と、少数派に対する多数派の謙虚な姿勢が必要だ。安倍政権、安倍に引きずられている自民党には二つともまったく欠けている。

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