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映画「バナナの逆襲」をみて考えたこと
-これは私たちの民主主義の基礎を問い直す映画だ-

寄稿:海渡雄一

2016年3月15日

表現の自由は民主主義の存立の基礎を作っている

市民がその国で何が起きているのか、正確な事実を知ることができず、また正確な事実の報道と意見表明の自由がないところでは、民主主義政治は成り立たない。

日本は、戦前に表現の自由を完全に奪われた社会のもとで、破滅に向かう戦争を選択し、国土を廃墟とした。

その反省に立って、日本国民は、すべての基本的人権の中で、表現の自由は生命に対する権利にも匹敵する最重要のものであると考えてきた。

しかし、その表現の自由の前途には黄信号どころか赤信号が点滅をはじめている。

ニカラグアのバナナ園労働者対ドール社

いま、渋谷で一人の監督による二本の映画が上映されている。スウェーデンの映画監督フレドリック・ゲルテンによる「バナナの逆襲 第1話ゲルテン監督訴えられる」と「同 第2話敏腕?弁護士ドミンゲス、現る」がそれである。

http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000067

この映画は福島原発事故の被害者たちが将来健康を害して、それを裁判に訴えたときにどのような扱いを受けるのか、そのような事実を発掘して報道しようとするジャーナリストたちにどのような苦難が待ち受けているのかを考える上で、格好の材料を提供している。

まず、第2話から説明した方がわかりやすいだろう。

中米ニカラグアの12人のバナナ農園労働者が、使用禁止農薬DBCPによって健康被害(訴訟では因果関係の証明が容易な不妊症がクローズアップされている)を発症したとしてアメリカの巨大企業であるドール社などに対する訴訟を起こした。この訴訟を手がけた弁護士はロサンゼルスで個人の事故に関する弁護を手がけているキューバ出身のホアン・アクシデンテス・ドミンゲス弁護士である。ドミンゲス弁護士は「事故はアクシデンテス弁護士にお任せ」というバスやテレビ広告で顧客を集めるやり手弁護士である。彼は、ニカラグアのバナナ農園に出向き、スペイン語でアジ演説し、労働者を組織していく。そして、サンフランシスコを拠点とする環境・損害賠償訴訟の専門弁護士であるデュアン・ミラー弁護士を誘い込み、バナナ園を経営するドール等を訴える。この二人のコンビネーションが絶妙である。原告の組織化と経過報告はドミンゲス弁護士、尋問と弁論という法廷活動はミラー弁護士が担当する。

映画は裁判の提訴に至る経過、裁判の準備、証人尋問、最終弁論、陪審の評決という裁判のリアルタイム映像で構成されている。アメリカでは法廷の映像をそのまま映画に使用することができると言うことに驚く。ドール社代理人の尋問は被害農民の人格攻撃に終始する。対するミラー弁護士の尋問と弁論はあくまで理詰めである。

この裁判の最大の争点はアメリカ国内では1977年にDBCPが環境保護庁によって使用停止されたにもかかわらず、それ以降もかなりの期間にわたってニカラグア(コスタリカでも同様の訴えが提起されているようである)ではこの農薬を使用していたことである。

このことを根拠として、2007年11月には6名の労働者に対して250万ドルの懲罰的損害賠償が言い渡された。第2話は、この輝かしい勝訴とその労働者への報告によって幕を下ろす。

映画の公開差し止めを求めるドール社

しかし、この2009年5月のロサンゼルス映画祭における公開の差し止め、名誉毀損裁判をめぐるリアルドキュメンタリーが第1話である。

実は、ドール社はこの裁判の証言はねつ造されたものだったと主張し、2009年4月には訴えを却下する決定を得ていたのである。バナナ農園労働者のロドリゲス一家が取り上げられ、アルベルトは腎臓病若くして亡くなる。その葬儀が映画で取り上げられる。家族はその死が農薬による者と信じている。しかし、訴訟ではこの死亡が被害として取り上げられているわけではないと言うことも、映画では正確に描かれている。

これから、福島で白血病や肺ガンなどで人が亡くなり、その家族が、放射性物質が原因ではないかと、テレビカメラの前で話したら、それは報道にとりあげることができるだろうかと考えてしまった。科学的に証明されていないが、家族がそのように信じていると言うことは一つの社会的事実のはずで、そのことをありのままに取り上げることは許されるべきである。

この映画では、監督自らが大企業に提起された名誉毀損訴訟そのものを記録し、これが映画化した。悩み、動揺する自分自身を被写体にした監督魂に深く敬意を表する。ここでは、映画祭関係者がドール社の脅しに屈していく姿が生々しく記録され、ゲルテン監督とスタッフたちの困惑や経済的な破滅への恐怖など、スラップ訴訟が表現の自由を破壊していくさまが余すところなく描かれている。

そして、この映画の描いたニカラグアの労働者の闘いは今も続いており、最終的な決着を見ていない。日本における原爆症や水俣病等の裁判が今も続いている。有害物質による健康被害問題の因果関係の証明は難しく、その司法的解決には気が遠くなるような時間と労力を要するのである。

そして、この映画はスウェーデンではメディアによって好意的に取り上げられ、国会議員たちの手によって国会内で上映された。このようなキャンペーンによって、ドール社は訴えを取り下げ、スラップ訴訟は終わる。そして、多くの国々でこの映画は公開されるようになったのである。

まさに、ゲルテン監督が、裁判を描く映画を作り、その映画公表の自由を脅かす動きを記録してもう一つの映画を作り、これらを上映していく活動の総体が表現の自由の権利の行使ということになる。

公正な報道とは何か

日本においても、大企業による報道統制は大きな問題であった。福島原発事故以前に原発推進を批判するテレビ報道はほとんど不可能であった。

最近の杭偽装事件では企業名が明らかにされたが、欠陥住宅を建てても、個別企業名の報道は、やはりほとんど不可能であった。

しかし、いま、日本の表現の自由を脅かしている最大の元凶は、政府である。2015年11月14・15日の産経新聞と読売新聞に、すぎやまこういち、渡部昇一、ケント・ギルバート、小川榮太郎(事務局長)氏らが呼びかけ人となり「放送法遵守を求める視聴者の会」が発足し、全面広告が掲載された。この広告ではTBSニュース23のメインキャスター岸井成格氏が放送法違反である疑いが濃厚な発言であると指摘した。

この広告では、テレビ事業者は放送法の規制下にあり、放送法第4条の「一 公安及び善良な風俗を害しないこと。二 政治的に公平であること。三 報道は事実をまげないですること。四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」の規定を遵守し、政府の施策に反対する報道を牽制したのである。

しかし、放送法の4条は法的な拘束力がなく、倫理的な規範であると解するのが、憲法学における通説である。そうでなければ、放送法自体が憲法違反だ。この広告の放送法理解には根本的疑問がある。この点は、『クローズアップ現代』出家詐欺報道についてのBPO見解において、詳細に説明されている。

このような異常な広告に意を強くしたのか、高市早苗総務相は、今年の2月以降、国会答弁で政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局の電波停止に幾度となく言及し、政府批判報道に対して権力をかさに威嚇している。このような発言によって、日本の表現の自由はまさに風前の灯火となっている。

2016年3月の番組改編期にはNHK国谷キャスター、テレビ朝日古舘キャスター、TBS岸井キャスターなど、政府に対して批判的なキャスターが一掃されようとしている。

いまこそ一致して政府による不当な規制に抵抗しなければならないときに、メディア側は、総体として、このような圧力に対して「萎縮」とも言える状況が起きている。

しかし、何が公平かは権力者ではなく、市民が判断すればよい。ひとつの表現に異論のある者にも表現の自由が与えられているのだから、多くの角度から報道がなされればよい。ゲルテン監督の映画には、ドール社の広報担当者へのインタビューはない。しかし、裁判での同社の弁論を克明に記録している。監督の視点はニカラグアの労働者の目線に据えられている。しかし、ドール社の主張ややりかたは、この映画を通じて観客にも肌身に感ずることができる。実に公平に作られていると思う。

キャスターたちの反撃

反撃も始まっている。キャスターたちが一堂に会して、批判の声明を公表する動きが現れた。これは画期的なことである。高市早苗総務相が政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局の電波停止に言及したことについて、青木理、大谷昭宏、田原総一朗、鳥越俊太郎、TBSキャスターの金平茂紀、岸井成格・毎日新聞特別編集委員が2月29日、東京都内で記者会見を開き、「発言は、憲法や放送法の精神に反している」「私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている」とする声明を発表した。

アピール文は、総務相発言は「放送による表現の自由を確保し、放送が健全な民主主義の発達に資することをうたった放送法第1条の精神に著しく反する」と指摘。一方で、「自主規制やそんたく、萎縮が放送現場の内部から広がることになっては危機は一層深刻だ」とし、現場の萎縮に警鐘を鳴らした。
憲法学者らによる高市総務大臣の見解が憲法違反であるとの声明も公表された。

4月には、秘密保護法に反対する市民たちが要請していた、国連人権理事会表現の自由特別報告者デビッド・ケイ氏の公式訪問調査の実施が決まった。日本政府の要請で延期されていた調査が、予定を前倒しして実現したのである。

がんばっているメディア・ジャーナリストを支えよう

時の権力が戦争への道を歩み始めたときにまず手掛けるのが「言論・表現の自由の規制」であることは、歴史を紐解けば容易に分かることであり、また現在でも、独裁国家や紛争および戦争下にある社会では現実のできごとである。

今、安倍政権下で繰り広げられている「メディア規制」は、戦争への道を歩み始めるための第一歩と言っても過言ではない。

危機に立つ日本の表現の自由と知る権利、私たちの力で守ることができるのか、私たちの国の民主主義の真価が問われている。我々の表現の自由の危機はかなり深刻だ。しかし、あきらめるのはまだ早い。マスコミはだめだと決めてかかるのはやめよう。マスメディアの中で頑張っているジャーナリストたちを励まそう。とりわけ、声を上げたキャスターたちが不利益を受けることがないように、市民自らが声を上げなければならない。また、自主的なフリーのメディアで頑張っているジャーナリストを物心両面で支えていこう。

自らの表現を持とう

そして、私たち市民も、ひとりひとりが自らの表現手段を持とう。ネット空間の自由は、まだ維持されているようだ。本を出したり、映画を作ることもできる。たくさんの人に共有したい情報を簡単に拡散する力において、ネットは既存メディアを凌駕する力を持ち始めている。

また、国境の壁は第二次大戦時に比べて、格段に低くなっている。日本政府の報道管制は海外にまでは及ばない。

こんなときに、この映画が日本で上映できたことは、とても意義深いことだ。映画バナナの逆襲をぜひ多くの方々に見て欲しい。そして、日本の国の表現の自由、そして民主主義について語り合おう。

国際社会、とりわけ国際人権機関による監視、モニタリングも強められている。日本の表現の自由の危機的状況を、あきらめることなく、正確に発信を続け、安部政権の交代を実現できれば、危機の根源は近い将来に克服できると信じたい。

 弁護士 海渡雄一

                          (映画「日本と原発」構成・監修担当)

 

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