【NPJ通信・連載記事】二重国籍 いまとこれから/殷 勇基
複数国籍第三回
1 これからの(複数)国籍論
複数国籍をより広く認めていくかどうかは、ダブル・アイデンティティを認めることに関係します。たとえば、日本とアメリカの複数国籍の人を例に取れば、そういう人に日本か、アメリカか、という二者択一を強いるのではなく、日本もアメリカも、というダブル・アイデンティティをもっと認めていっていいのではないか、ということです。北方領土が日本に返還された場合には、居住しているロシア系住民について複数国籍をみとめるのか、ということも問題になるはずだ、という指摘もあります(田中宏)。
日本国籍を持っている人が「日本国民」ですので、言うまでもないことですが、複数国籍の人は(日本以外の国の国籍も持っていても)「日本国民」です。「日本人」ということばは「日本国民」ということばと同じ意味で使われることが多いですから、複数国籍を持っている人は日本人です。
複数国籍の問題と関係はしていますが、別のことがらとして、「父母両系血統主義」ということがあります。1984年の国籍法の改正までは、日本は父系血統主義でした。父・日本人、母・外国人だと、子は日本国籍がありますが、父・外国人、母・日本人だと、子には日本国籍がありませんでした。父のみの血統を問題として、母の血統は問題としない、というのが父系血統主義だからです。それが、1984年の改正で改められ(改正法の施行は1985年1月1日から)、父・外国人、母・日本人でも、子には日本国籍が認められています。母の血統も問題とするので、父母両系主義、ということになります。
いま日本で、特にスポーツ選手などで、父・外国人、母・日本人の選手の活躍が目立っているようです。この選手たちも、1984年以前に生まれていると、「日本人」ではない、とされていたわけですから、「日本人」というのは法的にも伸び縮みしているということができます。いつ生まれたかによって、同じ人が日本人になったり、ならなかったりするからです。
他方、今回の野党党首の複数国籍を問題とした一部の人たちは、複数国籍の人は「純粋な日本人」ではないという意見だったのかもしれません。このような考え方からすると、父・外国人、母・日本人の人や、さらには、父・日本人、母・外国人という人も「純粋な日本人」ではないとして問題にするのかもしれません。
ここ10年から20年くらいで、日本での「国際結婚」は、すべての結婚のうちだいたい5パーセント前後くらいです。100組の結婚のうち、5組くらいは「国際結婚」ということです。すべての夫婦に子どもが生まれるわけではありませんが、おおざっぱにいうと、100人の赤ちゃんのうち、5人くらいは「国際結婚」の夫婦のあいだの子どもといえそうです。この5人を「純粋ではない」として排斥するのか、ということです。
2 複数国籍と父母両系主義
さきほど、「父母両系主義」は複数国籍の問題と関係はしているが、別のことがらだ、といいました。どういうことかをこんどは日本と韓国の国籍を例にとってもう少し検討してみましょう。
日本も韓国も(生地主義ではなく)血統主義なのですが、日本は1985年に父系血統主義から父母両系血統主義に変わりましたが、韓国では1998年に父系血統主義から父母両系血統主義に変わりました。そのため、1998年以降はこうなっています。
【A1】父・日本人、母・韓国人⇒子ども・日韓の複数国籍
【B1】父・韓国人、母・日本人⇒子ども・日韓の複数国籍
これが、1985年から1998年の改正前までのあいだはこうでした。
【A2】父・日本人、母・韓国人⇒子ども・日本国籍のみ(韓国国籍なし)
【B2】父・韓国人、母・日本人⇒子ども・日韓の複数国籍
1984年まではこうです。
【A3】父・日本人、母・韓国人⇒子ども・日本国籍のみ(韓国国籍なし)
【B3】父・韓国人、母・日本人⇒子ども・韓国国籍のみ(日本国籍なし)
日本と韓国の双方が父母両系血統主義になると、子どもも複数国籍になるのですが、日本だけが父母両系血統主義だと、子どもが複数国籍にならない場合(【A2】)がありえます。「国際結婚」をしているからといって、必ず子どもが複数国籍になるわけではないこと、また複数国籍は日本の国籍法だけではコントロールしがたい、ということがわかります。
このように、父母両系血統主義だからといって必ず子どもが複数国籍になるわけではないのですが、父母両系血統主義や、複数国籍は、「国際結婚」のときに問題となるということでは共通した問題です。
3 生地主義と複数国籍
もっとも、「国際結婚」でない夫婦から生まれた子どもが複数国籍になることもあります。
【C】父・日本人、母・日本人⇒子ども、アメリカで出生⇒子ども、日米の複数国籍
アメリカは(血統主義ではなく)、生地主義の国ですから、【C】のようになります。
【D】父・アメリカ人、母・アメリカ人⇒子ども、日本で出生⇒子ども、アメリカ国籍のみ(日本国籍なし)
【D】のケースは子どもに日本国籍がなく、したがって、複数国籍にもなりません。では、この(アメリカ人である)父と母もまた日本で生まれ、育っている場合はどうでしょうか。結論は変わらず、子どもには日本国籍は認められません。日本で生まれ育っている父と母、そしてその子どもであっても「日本人」ではない、というのが日本の国籍法です。他方、アメリカで生まれればその子は「アメリカ人」だというのがアメリカの法律です。「日本人」とはだれのことを指すのか、ということが国籍(法)にはあらわれています。社会における正式メンバーとはだれのことを指すのか、が国籍法にはあらわれています。
4 「帰化」
日本で生まれ育っているアメリカ人である父と母、その子どものケースでは日本に「帰化」をすればよいではないか、という意見もあるでしょう。しかし、ここでの問題は、なぜ、同じ日本に生まれ,育っているのに一部の人だけが「正式メンバー」ではない、極端に言うと「二級市民」だとされてしまうのか、ということです。いったん、正式メンバーではないとされて、そのうえで、(「帰化」を申請して)審査を受けて合格した場合に限って正式メンバーと認めますよ、というやり方自体を考察しています。そのうえ、実際問題として「帰化」にはかなりのテマと、一定の費用がかかりますから、そう簡単なことではありませんし、また、日本の国籍法は「帰化」にあたって元の国籍を放棄するように求めていますから、その意味でも簡単ではありません。元の国籍に自分のアイデンティティ(よりどころ)を感じて、放棄に抵抗を感じる人も少なくありません。
なぜ二つのうち、一つだけを選ぶように強いられなければならないのか。二つをともに選んではなぜダメなのか。一つだけを選ぶように強いる考え方は、二つ(以上)を持っている人に対する「純粋ではない」という感じ方と底のところでつながってしまっているのではないか。
5 ドイツの例
複数国籍は日本以外の国ではどう扱われているでしょうか?
ドイツは2014年、国籍法を改正して、一定の条件の下、成人後の複数国籍を認めました。ドイツは大きな論争の末、1999年にも国籍法を改正していますが、その続きでしだ。ドイツの国籍法は日本や韓国と同様、血統主義を現在でも基調としています。これを緩和しようという意見は1980年代から出始め、1990年のドイツ統一以降、一般世論も巻き込んで大きな論争に発展しました。 生地主義(自国生まれなら自国籍を認める)的要素の導入と、複数国籍の容認が論争されました。
ただ、反対派(当時野党。保守派)ももはや「ドイツ国は血統共同体だ」という見地から反対したのではなかったといいます。「ドイツ生まれ、というだけで外国人父母の子にドイツ国籍を認めるのは、ドイツ国家に参加する意思がないものにもドイツ国籍を認めることになる(のでよくない)」と主張したにすぎませんでした。結局、賛成派(与党)が譲歩し、1999年の改正では、生地主義的要素が採用されましたが、(成人後の)複数国籍は認められませんでした。それが、2014年になって、その(成人後の)複数国籍も認めることとされたものです。
ドイツでは、戦後、トルコなどからたくさんの労働者が移り住みました。たとえば父・トルコ人、母・トルコ人のあいだにドイツで生まれた子どもにドイツ国籍を認めるかが問題となりました。また、トルコ人(のおとな)がドイツに「帰化」する際に、元のトルコ国籍も放棄せず、持ち続けるようにするべきではないかが問題となりました。1999年と、2014年にこれらが認められる方向で、法律が改正された、ということです。「帰化」については、トルコ人たちは、ドイツ国籍を取るには、トルコ国籍を放棄しないといけない、ということに躊躇していたといいます。トルコ国籍の放棄に躊躇を感じたのは、在独トルコ人たちが、トルコに今後また住むかもしれないと考えたとか、トルコに財産が残っていたりしていた、などということもあるでしょう。ただ、自分のアイデンティティとして、トルコとドイツの両方を大事にしたいというようなこともあったのではないかと思います。
6 国際法
国際法の世界でも、一昔前(1960年ころ)には、無国籍も(本人の保護に欠けるので)よくないが、複数国籍もよくない、という考え方(国籍単一の原則)が有力だったといわれています。
しかし、とくにヨーロッパを中心に複数国籍に積極的な意義を認めていこう、という傾向が強まっていることが指摘されています。これは、母国と、ヨーロッパとのダブルアイデンティティということも影響しているのではないかと思います。たとえば、フランス人の若者なら、フランス人でもあるが、ヨーロッパ人でもある、ということです(もっとも、他方で、ヨーロッパの統合が深まるにつれて、複数国籍の重要性が小さくなっていくこともあるでしょうが。EU加盟国の国民が他のEU加盟国に住んでいる場合に、そのEU加盟国でも権利を手厚く保護されるのならそのことは、その国の国籍をあえて新たに取ろうという意欲を減じる方向に働くだろうから)。
スコットランドの人なら、スコットランド人で、イギリス人で、ヨーロッパ人で、ということもあるかもしれません。
7 国籍法と、ナショナル・アイデンティティ
国籍や、国籍法は、その国の正式メンバーとはだれか、とか、その国のアイデンティティ(ナショナル・アイデンティティ)は何なのか、などと密接に関わっています。日本や、韓国、ドイツの場合は、「血統を継いでいること」が重要視されているといえます。ただ、たとえばドイツは、ドイツに生まれた赤ちゃんはドイツ人、という考え方もかなり取り入れたのでした。複数国籍の問題もこのことの延長上で考える必要があるでしょう。ダブル・アイデンティティを持つ人も日本人、という考え方が強くなっていけば日本の国籍法も改正されることもあるでしょう。逆に、日本の国籍法をそのような方向に改正することで、多様性をもう少し緩やかに認めていく考え方が広がっていくことが期待されます。
国籍法の具体的な改正検討点は、ドイツと同様です。(1)血統主義がキツい日本の現行・国籍法に、もう少し生地主義的要素を入れられないか(⇒外国人父母のあいだの子どもでも日本生まれの赤ちゃんなら、日本国籍を認めていく方向)、(2)複数国籍を、もっと広く認め、一つに絞ることを強制しない、(3)「帰化」時についても元の国籍の放棄を求めない、日本人が他国に「帰化」するときにも日本国籍の保持を認める、(4)「権利帰化」(一定期間以上日本に住んだ外国人には日本国籍の申請権を認める)、などです。他方、(5)在日外国人のままでいる人の権利も、もっと強く認めていくべきでしょう。
(1)~(5)は、結局、国籍の有無で権利の内容に差が出ることを、もっと少なくしていこう、ということで共通する問題です。
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