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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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第71回「先住民の保全での役割」

2017年1月17日

<この記事は、よこはまの動物園機関誌ZooよこはまNo. 96 P. 16-17(2016年3月)に掲載された拙記事「アフリカの野生生物の利用とその行方4自然界を知る先住民はどこへ〜そして動物園の役割」より転載一部加筆修正」>

▼森の中に溶け込んでいく声

 森の遠くから、森の先住民の甲高い声が響き渡る。女性が遠く森の中で謳っているようだ。ジェンギという精霊の踊りをするときの歌の練習でもしているのか。その透き通った声は、森をこだまして、ぼくのいるベースキャンプの家の近くまで聞こえてくる。次いで、その女性の子供の声か、かわいらしい、しかし、ややつたない同じフレーズが続く。母親のまねをして、練習でもしているにちがいあるまい。

 その音は無論マイクロフォンなど人工物を通したものではなく、自然界に溶け込むような、森という自然界とまったく違和感を抱かせないものであった。実際、ぼくが熱帯林の中をひとりですべての神経を開いて静寂の中で森を「感じる」ときの心地よさと、彼ら先住民の伝統的な歌と踊りを聞いて「感じる」心地よさは、きっと偶然の一致ではないと思われる。「熱帯林」という由来が無理なく同じだからだ。

 森の先住民は、彼らが依拠するところの森林と一体化しているといっても過言ではない。
 
▼先住民-森の永続的利用に関する師

 アフリカの熱帯林における先住民は森に強く依存してきたからこそ、その自然界に存在するもの-野生動物や植物-を利用してきた「先駆者」ともいえる。しかし、その利用の方途はむやみやたらに自然界のものを搾取するというものではない。自然界に依拠するからこそ、それを熟知している。そして、自然界の産物を敬い、それは自ずと「永続的な利用」を導き出してきた。季節に応じて産物を利用し、時が経てば、移動し一箇所での利用過多を防ぐ。「利用第一」ではなく、しかも、それによる「利益優先」を前提にしているわけではない。

 われわれ現代人は、多くの場合、自然界のものを「利用する対象」としか見なしておらず、多くの場合その産物による「経済的利潤」が先行するので、自然界の動植物の生態学的意義や各種間のバランスなどに考えが及ばないことが少なくない。先住民は、自然界の産物の保全と利用との間のバランスを科学的な理屈で体得してきたわけでなく、長大な年月に渡るその生活史の中で、自然界に依拠せざるを得ないがゆえに、ごく自然に体験し実践してきたのであろう。

 先住民に、野生動物の図鑑や森を歩くためのコンパスやGPS、地図は不要である(写真273)。それらは生活の知恵として、知識や技能が代々口頭と実践で受け継がれてきたものだ。それは、食物や、居住道具、薬用植物などの生活必需品を求めて、森の中を移動する生活の中で培ってきたといえる。写真273:森のガイドである先住民©西原智昭
            写真273:森のガイドである先住民©西原智昭

 
▼先住民の伝統文化の行方

ブッシュミート利用も先住民の通常の生活で必要不可欠である。動物を殺す「獣肉利用は残酷だ」という一面的でしかも感情的な見方でブッシュミート食を批判し防止しようとする動きは妥当とはいえない。むしろ提起すべき問題は、そうした先住民の生活基盤を脅かすほど、野生生物や熱帯林が失われてきている点にある。

 過剰な商業目的のブッシュミート狩猟により、動物が消失してきている。もはや、先住民は近郊の森で、生活に必要な野生動物を得ることすらできなくなっているのが現状である。いまや自分らの食事にする小動物を狩りに行くのに、片道15㎞以上歩かないといけない。さらに、熱帯材目的の森林伐採の多くのケースが野生生物保全をも考慮した環境配慮型の林業ではないので、先住民が依存してきた生活の地である熱帯林そのものもが消失していく。結果的に、その自然環境に依拠してきた先住民の生活と文化・技能が年を追うごとに損なわれている。

 それは、森の先住民としてのアイデンティティの喪失を意味する。それは、さらに、近代教育の出現により、さらに加速化されることになった。識字率の向上を含む教育の普及は、世界のどの地域においても大きな課題であり、むしろ、それは近年大きく推奨されてきた。当然、森の先住民の子供も学校へ行くのを強制されることになった(写真275)。
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       写真275:通常の学校教育に参画する先住民の子供たち©西原智昭

 しかし、そうした画一的なあり方の近代教育は、とりもなおさず彼らが森に行く時間を削減する、否、なくすことを意味する。従来なら、子供の時期は、曜日を問わず、どの時間帯であれ、子供は親について森へ行くことができた。そのときに、動物の種類やその追跡や狩猟の仕方、注意すべき種類のヘビ、食用植物(写真276)・昆虫や薬用植物(写真277)、家屋に必要な植物(写真278)さらにはキノコなどについての知識、自ずと学んだ。親の背についていきながら、迷わず森を歩く能力も無理なく身に付けたのだ。
写真276:森の食用の葉を調理のために刻む先住民©西原智昭
        写真276:森の食用の葉を調理のために刻む先住民©西原智昭

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        写真277:薬用植物について筆者に教授する先住民©永石文明

写真278:森での簡易家屋に必要な葉を採集した先住民©西原智昭
       写真278:森での簡易家屋に必要な葉を採集した先住民©西原智昭

 当然の帰結として、現在の森の先住民の若い世代には、「森のことを知らない」人物が多くなっている。植物の名前や森の中でゾウと出会った時の対処の仕方など、先住民と25年以上も時を過ごしてきた日本人のぼくの方が彼らより森のことを知っているのではないかと疑うことも少なくない。一方で、森を熟知した年老いた世代は次々と亡くなっている。

 これは、憂慮すべき時代になったと言わざるを得ない。彼らが何世代にも渡り築いてきた文化や伝統、知識・技能が失われるということだけではない。先住民の助けやガイドがなくては、われわれは基本的には森の中では保全の仕事ができなくなるという意味でもある。野生動物の研究・調査もできなくなる。野生動物を追ってのツーリズムも困難になる。なにより、森の中をくまなく歩きながら、密猟者をパトロールすることすら十全にできなくなる。

 結果的に、熱帯林をもはや保全され得なくなるという事態になりかねないのだ。

 
▼動物園への伝言~先住民に学ぶ

 動物園も動物を飼育し「見せ物」として「利用」しているといえば、そうといえる。しかしながら、元来は野生由来である動物を来園者に「展示」し、そこを契機に動物に関する何かを教え得る貴重な教育機関として存続する価値は十分にあるはずである。これまで多くの議論は重ねられてはいても、動物園での保全教育はいまだ十全に機能していないのが現状だと思われる。

 動物園で家畜や小動物との「触れあい」の機会を提供するのか、動物園で飼育されている名前の付いた特定の動物個体のみを紹介しその身体特徴や行動パターンだけを教えるのか、その「行動展示」をアトラクションとして供与するのか、または「動物福祉」に基づいての展示をすることを目標とするのか、まだ試行錯誤の途上であるようだ。

 さらに進展して、展示動物の由来である野生動物の生態や状況に言及するのか、その動物の棲む生息地とその危機も示すのか、あるいは、そうした野生環境を取り巻く世界各地の先住民なども含めたその地域全体の保全問題まで扱うのか、どうもこの段階に十全に辿り着いていない動物園が多いように思われる。否、野生での情報を提供することが重要であるのにもかかわらず、一部その情報が隠蔽されることもある。

 一例を挙げれば、野生ではある動物は常に複数個体による社会生活を営んでいるのに、動物園ではそうではない事実も適切に知らせしなければならないはずである。しかし、それは来園者の関心の妨げになるとの理由で取り上げられない事例もあるようだ。または、単に来園者を引きつけるための「ショー」の対象としてか動物園動物を扱っているケースも少なくない。動物園もいまだ、「利潤優先」の傾向が強いと言えるのかもしれない。

 まだ現在進行中で辛うじて森に依拠して生活しているアフリカの森の先住民も、やがては文明化の影響を受けた他の先住民族と同じ道を辿るのであろうか。熱帯林の消失、野生生物の生存危機、そして近代教育の影響などにより、ひょっとしたらむしろ、彼らの伝統文化が喪失するのは、熱帯林の野生動物の絶滅よりも早いかもしれない。しかし先住民が先住民として存在しなくなれば、いずれにせよ、遅かれ早かれ熱帯林も野生動物も残ってはいないであろう。なぜなら、すでに述べたように、野生生物の保全活動はできない状態になるからである。

 動物園は「なんのために動物を飼育しているのか」という原点としての疑問に答えるためにも、単に対象飼育動物のことだけに関心を寄せ教えていればよいという時代は終焉させなければなるまい。また野生生物の情報も、一部を隠蔽するなどということなく適切に伝えていくべきだ。そしてさらにその上に、われわれは先住民からもっと真摯に自然のことを、野生生物のことを、自然界の永続的な利用についての知恵を学ぶべきことを、動物園も知らせしていく必要がある。野生生物の絶滅や先住民文化の消失など手遅れにならないうちに、危機感と緊迫感を持って取り組むべき課題であるはずである。

 動物園のあり方については、また別途、連載記事で議論したい。

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