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トランプ・安倍流とメディア

寄稿:飯室 勝彦

2017年1月20日

 世界中から注目されている米国の新しい大統領、ドナルド・トランプ氏は極めて異色に見えるが、実は安倍晋三首相との同質性が目立つ。説明抜きのレッテル貼り、メディア敵視、反知性的傾向など共通点が多いのだ。 
 とりわけ恫喝、無視、罵倒、選別などを駆使するトランプ流のメディア戦略は安倍政権のそれに酷似しているのに、新聞、テレビといった日本の既存大手メディアは自らが安倍戦略に屈していることを自覚せず、“トランプ騒動”をよそ事として報じるばかりである。

 トランプ氏は国際社会に重大な責任を負う超大国のリーダーでありながら「アメリカ第一」を唱え、自分の殻に閉じこもろうとしている。
 自分本位の情報は短い言葉で一方的に発信するが、具体的根拠を欠くものも多い。体系的な政策を示さず、個別の主張についてもそれを実現するための具体的な手段、方法はあまり語らない。
 気に入らない相手を脅し、罵倒し、個別企業の経営判断にまで介入して圧力をかけ、独裁国家の権力者のように振る舞っている。

 批判に対する激しい反発も、下品な言葉も、説明抜きのレッテル貼り言論も、一市民、あるいは権力を持たない企業家の口から発せられるのならいちいち目くじらを立てる人は少ないかもしれない。
 しかしいまや唯一となった超大国のリーダーであるトランプ氏は、冷静な知的思考とバランスのとれた慎重な態度決定を求められる。核爆弾の発射ボタンも彼の支配下にある。国際社会が不安と懐疑で一言一句に耳を澄ませ、一挙手一投足をはらはらしながら見守っているのは当然だろう。

 なかでも常軌を逸しているとの評さえあるのはメディアへの対応だ。気にくわない報道をしたメディアを「崩れかけたごみの山」「偽ニュース」などとののしり、「偏っている」「不正直だ」「汚い」などと決めつける。他方で特定のメディアを公開の場で「素晴らしい」と持ち上げるなど、メディア敵視、選別が顕著だ。

 メディアと権力者の間にはしばしば摩擦が生じる。権力にとって都合の悪い情報でも公開して「知る権利」に応えることが報道の使命だからだ。
 そんな時、批判に対して真摯に耳を傾け、必要なら丁寧に反論や説明をするのが、民主主義国家における権力者のなすべき対応だが、トランプ氏の姿勢は対極に位置する。

 日本の新聞、テレビなどは「民主的」とはほど遠いトランプ氏の言動を対岸の火事のように報じているが、“敵”とみなせば耳を貸さないで激しく反撃するトランプ流には既視感がある。安倍首相、安倍政権のメディア対応を想起させるのだ。
 大統領選の直後、いち早くトランプ氏と会談した首相が「信頼できる」と高く評価したのは、体質の類似性を感じ取ったからだろう。
 
 安倍首相は、従軍慰安婦に関する朝日新聞の報道について「日本の名誉が傷つけられた」(2014年9月12日産経新聞)などと批判を繰り返した。国会で「朝日新聞は社是で安倍政権打倒をうたっている」(2014年2月5日参議院予算委員会での安倍首相答弁)と虚偽の事実を指摘して攻撃したこともある。

 首相、政権与党の自民党がテレビの報道に対して注文をつけたり攻撃したりすることもしばしばで、総務相が行政指導と称して介入したりもする。
 政権の意向にそった報道をするメディアには単独インタビューに応じたり、番組に出演したりするなど選別も激しい。

 経済的利害に敏感な経済界では、帝王のように振る舞い、圧力をかけるトランプ氏に早くも屈したかのような企業もある。賃金の安いメキシコでの工場建設を断念し、あるいは米国内での雇用を増やすなどの動きが出てきた。
 今後メディアがどのような対応をするのか、アメリカ民主主義が試される。

 反面教師は日本のメディア状況だ。安倍政権の戦略は脅し、圧力の段階を過ぎ、いまや懐柔の新段階に入っている。新聞の「首相動静」欄を見ると、大手新聞、テレビキー局の報道担当幹部やベテラン記者など、特定のマスコミ関係者と頻繁に会食、懇談している。
 出席者は、社説、解説の責任者、署名入り大型コラムを担当している編集委員、コメンテーターとしてテレビに連日登場する通信社編集委員などだ。

 そこで出た話題がニュースとして報道されることはない。報道する側とされる側が秘密を共有しているのである。
 読売新聞、日本経済新聞、日本テレビなど与党色の濃いメディアとは経営の最高幹部とも会食している。

 公正であるためにも、公正であると読者、視聴者に信頼されるためにも、報道機関は権力と距離を保たなければならないのがジャーナリズムの原則だ。しかし、懇談に参加するマスコミ関係者の念頭にはそんな原則などないかのようだ。

 その結果だろう、政権側の主張や見解は長々と報じられるが、批判の言論、運動などについては素っ気ない報道が多い。一応報じても、鋭さ、深みのない通り一遍の報道が目立つ。

 日本の大手メディアは安倍政権の強権的態度に抵抗することなく萎縮し、権力側の意向を忖度して過度に自己規制する段階に入っている。「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍政治にブレーキをかけるどころか、政権の暴走をなすがままにしている。

 自由な報道は民主社会の健全な発展に不可欠だが、日本の大手メディアは権力と徹底的に対決した経験を有しない。戦前、戦中は軍と政府の宣伝機関と化したばかりか先棒担ぎの役目さえ果たした。
 戦後も大事な決定的場面では権力側の意向にそってきた。大衆運動が爆発的に盛り上がった1960年の反安保闘争では、大手新聞社が“談合”して「暴力反対」を口実に大衆を裏切った。

 これに対してアメリカのメディアには、ペンタゴンペーパーズ事件、ウオーターゲート事件など輝かしい歴史がある。
 前者では、ベトナム戦争に関する政府の嘘を暴く秘密文書を報じようとした新聞に対し報道禁止の司法命令が出るたび、別の新聞がリレー式に文書を報道して政府を追い込んでいった。
 近年はこうした華々しい活躍はあまり見られないが、米国メディア関係者のジャーナリズムスピリット、粘り腰に期待したい。

 繰り返す。権力者、支配者を厳しくチェックし、支配する側にとり不利なことでも臆せず伝えるのが報道の使命であり、それを真摯に受け止めるのが民主主義の下における支配者の責務である。
 トランプ氏は世界で最も影響力の大きい地位にいる。その地位にふさわしい謙虚さ、寛容さを維持することが求められている。
 同じように安倍首相も、寛容であること、謙虚であることを求められる。

 トランプ流は日本のメディアにとっても決してよそ事ではない。トランプ流と安倍流との同質性を見極め、安倍政権の戦略に屈している報道の現状を自省、自戒すれば、トランプ政治、安倍政治に関する報道のあるべき姿が見えてくるはずだ。

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