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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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第72回「歯車の狂ってきた先住民」

2017年1月31日

▼ 従来あり得なかった盗み

 昨年のことである。クリスマスが近づいてきた頃のことだ。

 コンゴ共和国に棲む森の先住民も、いまや村に定住住まいで、農耕民と同様、クリスマスを楽しみたいと思っている。否、クリスマスとは何かが理解されていなくても、12月24日と25日には、子供になにか買ってあげて、飲んで楽しむという風潮を知っている。

 貨幣経済からもはや抜ける余地のない先住民も、そうした日にはできればお金を余分に持って、子供への買い物をしたい、お酒をたしなみたいと思う。お酒に関しては、かつては、貨幣がなければ森の中で自生のヤシの木から、発酵した樹液を採取し、それを「ヤシ酒」として飲んでいればよかった。しかし、いまやお金でビールやもっと強いお酒を手に入れたいと思う。

 先住民の社会では、お互い同士の間での小さな盗みはなかったわけじゃない。また、もともと持っている物品の一部を売って金銭に換えることもなかったわけではない。しかし、盗みを働いて、さらにその盗品を金銭に換えるようなことはまずなかった。

 20年以上、われわれのプロジェクトでコック補佐として常勤していた先住民の男がいる。長年働き、それなりの収入もある。子沢山にも恵まれた。ぼくとも常に冗談を言い合うような仲であった。この彼が、クリスマスも近くなった頃、プロジェクトの台所から冷凍チキンをいくつか盗んだのだ。

 お酒欲しさに、現金が欲しかったのである。冷凍チキンを村で売って、ビール何本かに相当するくらいの稼ぎをしたかったのだ。彼が村でそれを売りさばこうとしている時、事が発覚した。村ではだれも冷凍チキンを持っていないし、それを得る商店もないからだ。無論、先住民は自ら冷凍チキンなどを持ち合わせていない。なのに、なぜ、この男が売っているのかと。

 その男の窃盗罪は立証された。そして、コンゴ共和国の労働法に基づいた内規にしたがい、彼は20年来継続してきた職を失った。これから、貨幣経済のもと、多くの子供をどうやって養っていくのであろうか、気がかりではある。

 本来ならばありえなかったような、金銭目的の物資の盗み。しかし、この背景には、われわれ先進諸国民が、クリスマスと称して、毎年、クリスマス商戦の中ケーキやクリスマス・プレゼントを買い、イルミネーションを楽しみ、そして飲み会やパーティーを行なっていることにあるかもしれない。先住民もそれにならいたい。クリスマスの本来の目的とその理解もなしに。最終的にアフリカの奥地の先住民にもクリスマス・フィーバーは波及し、従来の行動を超えた悪事を助長してきているのである。

▼ 親が子を殺す
 日本では、「親が子を殺す」とか、「子が親を殺す」といった事件がときおり起こっているのだと、ぼくは何かの折に先住民に説明することがある。そのたびごとに、彼らは信じなかった。

 「え、日本って、高度経済成長して、物資の豊かな国、教育も優れ、素晴らしい国に素晴らしい人間が住んでいるはずなのに」と彼らは、行ったことも見たこともないが噂や映像でよいことばかり耳にして目にしてきた日本を想像し、そんな親子の間の殺人などがそうした国に起こるわけはないと信じて疑わない。

 ひるがえって、彼らの社会でも、そうしたことは起こってこなかった。コミュニティーの中で何か問題が生じれば、経験の豊かな長老などが解決へ向けた指南を示す。また、日常生活でも、先祖代々伝承されてきた不文律の決まりに従って、もめごとを解決してきた。小さなコミュニティーの中で共に暮らしていくための知恵を長い年月の中で培ってきたのであろう。そこには、殺人などが起こる余地はなかったのである。それもあり、親子間で起こる殺人など想像の域を超えていたと思われる。

 ところが、つい最近、先住民のある親子でそれが実際に起きた。ある中年を超えた先住民の男が、息子を山刀でメッタ斬りにして、しかも腹を切り裂き内蔵を外に出し、死体は道路上に放り出したままにしたというのである。

 その男は、実はぼくが28年前、森のなかで仕事を始めた初期の頃にガイドとして活躍してくれた人物の一人であった。当時は彼も若かったが、屈強であるばかりでなく、料理もうまく、手先も器用で、頼りになる男の一人であった。つい最近までも会えば、常に冗談を言い合うような仲であった。

 その男がこうした事件を起こしたとは、にわかに信じがたいことであったが、それは無論ぼくだけではなく、周囲の先住民も同じであった。息子との間で何かいさかいがあったことはみな知っていた。しかし、それが昂じて、殺人に至るとは誰も思いよらなかったのである。さらに、殺し方に残忍さがこめられている。

 こうした事件を、彼個人の問題であったと片付けることは簡単であろう。しかし、これまでの長い歴史の中で、心が日常的に蝕まれている先進国の人々に比べ、はるかに健全な心を持っていたはずの森の先住民に、こうしたことが起こることは深刻な問題だと捉えなければいけないであろう。

 文明社会の金銭や物資、考え方、風潮、行動様式、ライフスタイルなどがどんどん先住民社会に入ってくる。それは、彼らの中にこれまでになかった強い欲望を刺激し、彼ら同士の軋轢を生み出してきたことは確かなことであろう。そして、その影響が昂じて、先住民の中にも、先進諸国民と似たような心の病を患う人間が出てきたとも考えられる。

 いったい、われわれ文明人は、先住民に何をしているのであろうか。

▼ 逆恨みによる殺傷行為

 2016年、われわれが1993年来継続してきた研究地のキャンプ近くで、女性研究者が亡くなった。予期せず、マルミミゾウに襲われたからだ。荒々しいオスゾウがここ1-2年そのキャンプ地周辺に現れ、キャンプの建物や物品を荒らした事件は相次いでいた。

 理由はいくつか考えられた。キャンプ地が国立公園内に位置しているにも関わらず、研究者が自分たちへの食物と称して、パイナップルやパパイアなど外来種を違法に植え、それがゾウをキャンプに惹きつける原因となったのではないか、研究者の残飯などを埋めるゴミ穴がキャンプ地に近すぎた上、定期的にそれを燃やすなどの処置を怠っていたためゾウを惹きつけそれを得られないゾウは気性を荒々しくしたのではないか、あるいは昨今の象牙目的のマルミミゾウへの密猟頻度が高くなったためより安全な国立公園の中にゾウが集まり、ゾウ同士の間でこれまでにはなかった過剰な社会的ストレスが生じ、中にはそのために精神的な病を負ってしまった鼻息の荒い個体が出てきたためではないか、などであった。

 女性研究者は、キャンプ地近くを歩行中に、不意にゾウに襲われた。

 その後、キャンプ地は危険だとの判断から、当面の間研究者の常駐はなく、短期訪問のみが実施されている。その変わり、ゾウを恐れないガードマンを交代で常駐されることになった。人間が存在することで、これ以上のキャンプ地の建物などへの被害を食い止めるだけではなく、もしゾウが来襲すれば、騒音を立てその場から立ち去ってもらうなどの方策を講じるためである。

 そのチームの主任格の男S氏が、ある日、ぼくに訴えかけてきた。「あのゾウには悪霊が憑いていて、容易なことではキャンプ地周辺からは去らないであろう」と。だから、キャンプに常駐する仕事は引き受け続けるにしても、問題は継続するだろうと告げた。彼は、その悪霊を司っている先住民の男の名前も上げた。そして、根本にある問題の解決が必要だと説く。その問題とはいったい何か。

 この先住民はいま老年代に入っている。もう森に行くことも稀である。しかし、彼もぼくの初期の研究者時代にお世話になった先住民の一人だし、国立公園設立に貢献した男の一人である。ただ、もう森に行く仕事もないので、収入源がない。彼も、貨幣経済の中で、窮地に陥っている存在ではあった。

 そうした際、プロジェクトでは、彼のようなプロジェクト初期に貢献した老年世代(“第三世代”と呼んでいる)に、毎月「特別手当」を支給してきた。それは現金であったこともあるし、食料など物資であることもあった。全面的なバックアップにはならないにしても、「気持ち」としての御礼を兼ねてである。

 ところが、最近、「第三世代」への支給が滞りがちになると聞く。そこで彼は、いまでもプロジェクトで仕事をして給料をもらっている同僚の先住民に逆恨みし、悪霊で呪い殺そうと企んでいたらしい。実際、運悪く亡くなったのは女性研究者であったが、彼のもともとのターゲットはその研究者をガイドしていた熟練先住民であった。それがタイミングのずれで、悪霊付きのゾウの矛先が研究者に向かってしまったと言う。

 本当の話かと耳を疑いたくなる。しかし、S氏は最近、キャンプ地でガードマンとしての仕事に従事している時、原因不明の腰痛に襲われたのである。S氏はこれも間違いなく、先住民のあやつる悪霊のせいだとぼくに力説した。彼は、今でも体調不良で、首都の病院に通っている。

 老世代の先住民の男がS氏を窮地に追いやっている理由は、悪霊をゾウに託すことで、S氏のような人間を排除し、キャンプ地がゾウによりまた被害を受けることを、そしてそれによりプロジェクトに被害を及ぼすことを望んでいるらしい。第三世代への貢献を怠っているプロジェクトへの逆恨みのような反撃ということだ。

 さらに今度は、国立公園の基地のあるボマサ村の病院長にも、その悪霊の影響は及んでいるとのことだ。病院の前になにか「呪いの物質」を撒き、病院長がそれを踏んだために、病院長はまるで気が狂ったようになり、ボマサを頻繁に離れるようになったらしい。実際、彼はいま病院にいない。これも、病院長を排除することで、キャンプ地で仕事をしている彼の仲間が怪我や病気などをした時に、「治療を受けさせない」ためだという。

 こうした諸事件に対し、ごく最近、地元の警察も立ち上がった。回りから疑わしいと言われたこの第三世代の先住民の男は、事情聴取に対し、一連の事件への「悪霊」を使った関わりをすべて自白した。さらに、「やったのはオレひとりじゃない」とも告げ、同じく第三世代に属する先住民の仲間である二人の男の名も、共犯者として挙げた。この二人も、実はぼくが初期の研究者時代、そして国立公園立ち上げ期に活躍した男たちである。彼らも、いま功労者としての恩恵を何も受けていない。

 農耕民が「悪霊」にまつわる事件を起こしてきたのは、これまで何度か聞いてきた話である(連載記事第47回参照)。しかし、先住民にも似たようなことがあるとは、ぼくの25年以上に渡る現地滞在の中で、聞いたことがなかった。逆恨みで関わりのない人間に悪影響を及ぼすのもどうかとは思うが、貨幣経済の中で現金収入がなく苦しむ先住民のあり方を思うと、容赦なくそれを持ち込んだ文明社会がまたもや先住民の精神荒廃を招いている可能性もあるのかと考え込んでしまう。

 生きていく術を失っていく先住民は、いったいこれから、どうなっていくのであろう。

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