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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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第74回「森と海はつながっている〜崩れていく海洋生態系の話(2)」

2017年3月4日

▼環境配慮への模範例〜中国の石油会社による石油探索活動

 「中国の石油会社が近々石油探索に来る。しかもそれはロアンゴ国立公園内も含む」。その話を聞いた時、ぼくは耳を疑った。ロアンゴの地域は海洋だけではなく、陸地側でも石油が埋蔵されていると推定され、これまで(国立公園が設立される以前の時代)何度となく石油の有無に関する調査・探索が行われてきた。実際、国立公園の外側である南部の陸地では、大きな石油会社が石油を採掘している。そこへまた、今度は中国石油会社が来て同じ調査を行うというのだ。しかも、本来ならそうした開発業は許されない国立公園内でも実施されるのだという。

 この静かなロアンゴの海浜部とそれに隣接する森林と草原地帯が、中国企業による石油探索活動が行われるとは信じがたいことであった。

 われわれのカウンターパートである国立公園管理を担う森林省にも、その事情は通達されていなかった。ところが、それは紛れもない事実であった。すでに、中国人は国立公園の境界域に大きなキャンプ地を設営、数百人に及ぶ中国人労働者により国立公園の緩衝地域での石油探索活動を始めていた。それがなんと、ダイナマイトを用いた爆破による振動を元にして石油の有無を図るという古い手法によるものであった(写真301)。2006年のことである。

74-2  写真301:地中に埋めたダイナマイトの爆発の振動から石油の埋蔵を調べる©西原智昭

 石油会社はSINOPECと呼ばれ、中国で第二の国営石油会社だという。すでに、ガボンの鉱物省から許可証をもらい、翌2007年からはロアンゴ国立公園内での石油探索も実施するという。2002年に13の国立公園設立(連載記事第53回)を決定したその同じ大統領は、「我が国の経済発展のためには、国立公園内であろうが特に鉱物資源の可能性があるのならその探索・開発を許可する」という演説も行なったらしい。

 そして2007年国立公園内での石油探索活動が始まる前に、ガボンの環境省が立ち上がった。SINOPECの石油探索活動は大統領許可による国の決定事項ゆえ止めることはできないが、環境ガイドラインを作り、彼らの活動による環境への影響を最大限逓減することが提案された。というのも、そうしたガイドラインが全く存在しなかった2006年は、国立公園の外側であったとはいえ、石油探索という名のもと何本もの樹木が不用意に切り倒された上、ブッシュミートを食する中国人目当ての違法狩猟が地域に蔓延(写真302)し、また近隣の河川やラグーンでの魚の大量捕獲などが問題になっていたからである。
74-3   写真302:SINOPEC基地周辺で過剰に起きたブッシュミート狩猟©西原智昭

 さらには、象牙の売買もされていたようであった。2006年ぼくが始めてSINOPECの中国人キャンプを訪れたときのことであった。中国人はぼくをどこかのアジア人と間違えたのだろう。「あなたも、象牙を探しに来たのか」と対応した中国人は、挨拶代わりに、いきなりぼくにこう英語で話しかけてきたのだ。このことは、彼らがすでに象牙取引に関わっていたことを示唆するものだ。

幾度に渡る議論の末、以下のような項目を含む環境ガイドラインが作られた。
* 労働者の食料は現地調達のブッシュミートや魚に頼らない
* 象牙の売買など野生生物に関する違法行為には一切関わらない
* 土壌の環境に影響を及ぼす燃料などの取り扱いに留意する
* 自動車の運転では制限速度を守る
* 自動車のクラクションなどむやみな騒音を立てない
* むやみに新たな道路を開かない
* チェーンソーなどを使ってむやみに樹木を伐採しない
* 国立公園の中に切り開く人道は必要最小限の幅にする
* 野生動物への感染症を防ぐために労働者の健康診断と必要な予防接種を実施する
* 労働者の健康管理のために清浄な飲料水を提供すること
* 基地でのトイレを整備し人間の排出物の管理を行なうこと
* 国立公園の中での人間の排出物の処理に留意すること
* ゴミ処理のためのゴミ穴を作るなど、ゴミの管理を徹底すること
* 国立公園の中にはゴミを捨てないこと
* 国立公園の中では必要以上に騒がないこと
* 国立公園の中でダイナマイトを爆発させるときは、あらかじめ周囲に野生動物がいないことを
 確かめてから実施すること
* 国立公園近辺の地域住民との定常的なコミュニケーションを実施すること
* 中国人労働者以外にも、周辺地域の村落からも労働者を雇うこと
など。

 こうしたガイドラインに従い、毎日彼らの活動の監督と評価が実施されることになった。その環境保全監査チームは、現地で保全活動に従事していたWCSガボンとWWFガボンに委託された。そして、ロアンゴ現地での経験が長く現地の地理や野生生物にも詳しいぼくが、そのチーム・リーダーに任命されたのだ(写真303)。
74-4      写真303:SINOPEC環境監査チーム;筆者は向かって左側©西原智昭

 こうして2007年は、ぼくはチーム・メンバーとともに、SINOPEC基地に出入りし、また多くの日々をその基地で寝泊まりした。そこで、毎日のように監査を続けた。SINOPEC側もなにかガイドラインに抵触するような事態が起これば、勝手な判断をせずに、事前にチーム・リーダーであるぼくに相談するという手続きが取られた。逆に、ガイドラインを守らない事態が起これば、ただちにその活動を中止させ適切なアドバイスを提供した。

 ぼくは、SINOPEC現地滞在の幹部・上層部と常に対話を続けた。彼らとは英語での会話が可能であったからである。ときには、ぼくの片言の中国語で会話するときもあったし、漢字を使って表記で対話をするときもあった。SINOPEC側も、予期していた以上に、ガイドラインを守り、またそれを遵守する最善の努力を重ねていった。

 毎朝、彼らは朝礼を行ない、幹部は労働者に対してガイドラインに関する説明を繰り返し行なった(写真304)。それに賛同する証として、労働者一人一人に署名を求めた。もしそうしたルールに従わない場合は、労働者にはかなり厳しい罰則が与えられたようだ。徹底した統制ぶりであると感じた。ときには、中国人通訳の助力で、ぼく自身が英語で労働者に注意点を説明することもあった(写真305)。
74-5     写真304:毎朝の朝礼でガイドラインを復唱するSINOPEC労働者©西原智昭

74-6     写真305:SINOPEC労働者の前でガイドラインを説明する筆者©西原智昭

 中国人と一緒の生活は約半年も続いた。朝は4時起き。お粥のような朝食を皆と食べ、夜明けとともに、労働者は各配置の場所へ移動。ぼくやチーム・メンバーも必要に応じて、各労働者のチームに森の中まで同行し、監査を実施した(写真306)。基地への帰りは日が暮れたあとになることも度々あった。各人に仕事の任務が与えられていて、任務が終わるまで基地には帰れないのだ。彼らには土日も休日も祭日もなかった。来る日も来る日も仕事であった。当然、監査のわれわれにも週末や休みは許されなかった。
74-7         写真306:森の中を行くSINOPECの労働者©西原智昭

 基地での料理には、もちろんもはやブッシュミートはなく、タンパク質としては缶詰のものか、町で購入されてきた牛肉や鶏肉が中心であった。コックも中国人であり、毎回、ぼくは、限定された料理の素材ながら中華料理を楽しむことができた(写真307)。その一方、隣同士の仕切りはあっても、ドアのないトイレで用をたすことは、慣れていないぼくにとっては愉快なものではなかった。
74-8      写真307:毎日のようにSINOPEC基地で食べた中華料理©西原智昭

 月日が経つにつれ、ガイドラインに基づいた彼らの環境配慮はまさに完璧に近い感じになった。指揮系統がしっかりしており、こちらの適宜のアドバイスがあっという間に労働者全員に伝わる。また幹部や上層部はその改善に取り組む。指示に従わなかった労働者への罰則履行も容赦ない。ぼくは、そのとき、中国という国の国民の「国力」を思わないではいられなかった。ここまで、徹底して物事に取り組むさまは、昨今、日本はもちろんどこでも見られなくなっていたからである。

 ぼく自身も日常的な対話の相手である幹部や上層部と親しくなったばかりでなく、言葉の通じない通常の労働者とも、片言の中国語で会話を始めるようになった。仕事の最中には、遠くマルミミゾウなどが観察されることがあった。中国人だからその象牙に興味があるはずだというのは、ある意味先入観であった。むしろ、現場で働いていた彼らは、その野生動物を観察しながらすばらしいものだと賛辞し、マルミミゾウを背景に写真を撮ってくれとぼくにせがむ中国人が後を絶たなかった(写真308)。
74-9       写真308:マルミミゾウを背景に立つSINOPEC労働者©西原智昭

 環境保全や野生生物保全に関しては、一般に中国の評判は悪い。しかし、中国人は状況次第では、環境への考え方が一昼夜にして180度変わるものかもしれない、ぼくはこのときそういう強い印象を持った。「ぼくらは許可証が出たからここで仕事をしているだけ。まさか、ここが国立公園とは知らなかった。」とある幹部がいみじくも語ったように、彼らは国立公園境界も環境ガイドラインもなにも知らずに仕事を始めたに過ぎなかった。本国でブッシュミートを属する習慣があったから、それをアフリカにも持ち込んだだけであった。しかし、一度「基準」が設定されると、それが滞りなく、遵守されたのだ。そうした理解への高い柔軟性と潜在性にぼくは驚いたのである。

 6ヶ月の期間を終えて、彼らの石油探索事業は終了した。基地もきれいに清掃され、労働者全員が国立公園を出た。町に出た幹部らにぼくは誘われ、盛大な夕食会があった。お互いの労をねぎらい、そして、ぼくは是非SINOPECで環境アドバイザーとして働いてほしいとまで言われた。それだけ、知らないうちに、良好な信頼関係ができていたのかと思うと、その半年の容易でなかった仕事も報われたような気がしたのである。

 結局、SINOPECは、ロアンゴ国立公園とその周辺部で石油の存在を確認できなかった。そして、また彼らは別の地へ移動したのである。無論、ぼくはSINOPECでの仕事継続は丁重にお断りし、彼らには帯同しなかった。

 
▼日本もアフリカ大西洋岸と無関係ではない

 日本もこのアフリカ大西洋岸で起きているグローバル化の問題に無関係ではない。資源獲得のための日本の石油企業の進出、日本製品のゴミの漂着、余暇を求めるがゆえの海外のリゾート地への進出による海浜部の開発促進、安価な魚を求める流通業者と消費者が拍車をかける違法漁船による海産物の大量捕獲などである。

 日本の場合、海洋生物に対して、生物としての価値よりも食資源としかみなさないような風潮が背後にある。ガボンの海浜部で捕獲され得る海洋生物には、日本にとって需要のあるものが多い。サメ、マグロ、イワシ、イルカ、タイマイ(べっ甲として)などである。無論、ガボン沖で違法漁船により捕獲された海産物が、日本の市場に来ているのかどうかは不明である。というより、むしろ、日本の市場で出回っている海産物の起源についての透明性があるのかどうかきわめて疑わしいところではある。

 日本は、世界で最大のマグロ消費国と言われるほど、海産物に依存してきた国民である。だからこそ、その永続的利用を目指した方途がこれから求められる。
MSCなどの認証制度やその生産物・消費への移行はその一例である。残念ながら、そうした認証制度への認識はまだ国内では極めて薄く、その商品の流通や消費もまだ稀である。

 中国は確かに沿岸部の違法トロール漁業で、海産物をねこそぎさらっていく。しかしその一方で、SINOPECのように、ガイダンス次第では環境配慮型にただちに移行する潜在性を秘めている。日本は、こうした点からも、海産物を海洋生態系の生物として考慮しながら、MSCなど海産物の永続的利用への配慮が求められるのである。

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