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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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第76回「森と海はつながっている〜崩れていく海洋生態系の話(4)」

2017年3月9日

▼捕鯨の今後

 まず、率直な疑問を、われわれ日本人がどう考えるのか、国民一人ひとりが判断していかなくてはいけない。

 すでに述べたように、日本全国ではないにしても、いくつかの地域では長い歴史の中で、沿岸部で捕鯨を行なってきた。これは否定すべきものではないであろう。もし今でもそれぞれの地元で、イルカ肉を含めた鯨肉への需要があり、対象鯨類種の生息数に問題がないのであれば、従来の伝統的捕鯨方法で、たとえば需要に見合った、年間決まった頭数を捕獲すればいい。遠洋に大船団を組んで赴くわけでもないので、経費もかさまないはずである。

 2011年の東日本大震災時に、世界の各国から救済と復興のための義援金が送られてきたことは記憶に新しいであろう。また、その使途について、関係各省庁の間で紛糾があったことも覚えている。ぼくが現在常駐しているコンゴ共和国からも、日本円で5,000万円ほどの出資があったと聞く。現地の貨幣価値から換算すると、これは実質的に2億円以上の価値があると考えられる。国家経済が豊かでない国であることを考えると、コンゴ共和国からの義援金は相当の金額であったと察する。

 それだけ、あの災害は甚大なものであったと、コンゴ共和国政府にも映ったのであろう。そうした多くの義援金の中、約20億円が捕鯨船修繕のための費用に当てられたという報道があったことを思い出す。「被災地へのタンパク源供給のために、捕鯨による鯨肉が必要だから」というのがその理由であったらしい。

 しかし、修繕された捕鯨船で、長期間の日数をかけてはるばる南氷洋まで出かけ、捕鯨をする意義が、被災地救済といったいどうつながるのか、理解に苦しむ。それだけの予算を使うのなら、もっと効率的で安価な手法で、しかも迅速に、タンパク源の供給ができるであろうと考えるのはむずかしくない。

 義援金の一部が捕鯨船修繕に使用されたなど、コンゴ共和国政府には恥ずかしくてとても報告ができない。どうみても、理不尽な使途だからである。否、日本政府が捕鯨継続の主張をするのは、衰退していく捕鯨船とその技術を維持していくためらしい。維持するには、継続的使用が不可欠である。そして、その背後には、捕鯨と鯨食は「日本の伝統文化」であり、「国民の声を反映した国益」であるという根拠のない政府からの言動がある。

 また、近年の南氷洋での調査捕鯨時に、シー・シェパードによる過激な反捕鯨団体から攻撃を受け、捕鯨船乗組員の安全性に関わる問題であると、日本政府は重要視している。果ては、次の南氷洋での調査捕鯨には、安全確保のために自衛隊から護衛線をも出動させるとの考えも出ている。国民の誰が、その費用の算出に同意するのであろうか。

 第二次世界大戦後の食糧難に端緒を持った日本の捕鯨は、一時期、大産業となった。鯨肉への需要がほとんどない現在においても、誰か、その大産業復活への夢を抱いているのであろうか。それに、「国益」といっても幻想であり、とても国民の声を反映しているとは思えない。また伝統文化でないものをレトリックでそう称し続ける。しかも、鯨類を海洋生物としての価値を議論せず、食資源としかみなさない傾向に対して、また水銀問題など食の安全問題を明確にしない風潮に対して、われわれ国民一人ひとりが、あらためて、一考すべき問題である。

 いまのグローバルな社会で、国際的なスタンダードやコンセンサスを無視してまで、南氷洋で起こっている捕鯨など、日本から遠い海でのお話、と片付けてはいけないのである。

 
▼イルカについて

 ガボン沖には、ザトウクジラだけでなく、イルカも生息している(写真313)。
写真1       写真313:ガボンの沖合を行くイルカの群れ©西原恵美子

 だいぶ前のことである。ぼくの出身である神奈川県藤沢市の飲み屋で知り合った年配の方が言うには、最近、スーパーでは「クジラ」と称してイルカ肉が売られているという。この人は、海産物の卸売関係の仕事でその流通に詳しい。これは、IWCなどの規制でクジラ肉が入手しにくくなった状況で、その流通をなんとか維持させたいという思いから、イルカ肉の表示を偽装してまで、「クジラの肉」を販売したいという裏があったのかもしれない。

 一方、この事実はイルカ肉も流通しているということを示唆している。イルカ猟とイルカ肉の需要と消費も、捕鯨と鯨肉のそれと同様、国内の地域によっては長い歴史をもつ場所がある。しかし、それをもって、「日本全体」の「伝統文化」と称することはできない。それはクジラの場合と同じ論理である。

 クジラの場合と同様、同じ鯨類としてIWCという国際機関の合意のもと、先住民あるいは特定の地域の沿岸におけるイルカ猟の継続は不可能ではない。しかし、これもクジラの場合と同様、イルカの捕獲と殺傷方法が残忍だということで、近年、愛護団体からの情動的なパッシングが激しくなってきた。「賢く、かわいいイルカを、血だらけにして殺すとは許しがたい」という理屈である。

 アフリカの熱帯林地域に在住する地域住民や先住民が、従来のタンパク源補給として野生動物を食べることを否定するのは単純なことではないことはすでに何度か述べた(連載記事第54回)。そうした獣肉食は残忍で、だからアフリカ人は残酷だというのは甚だ受け入れがたい論理である。ただ、そうした感情論とは別に、イルカも鯨類である以上、水銀などに関する食の安全を確認すべきことはクジラ肉の場合と同様、重要なことである。さらに、食資源としてのみイルカを捉えるのではなく、海洋生態系の中の野生生物としてのイルカのあり方への理解も同時に進めなければならない。

 そうした影響のもと、一部地域では従来の伝統的猟法によるイルカ猟が困難になり、昨今では殺傷なしによるイルカの生存捕獲が広まっていると聞く。イルカ猟とイルカ肉の売買による生計が成り立たなくなった今、イルカを生きたまま捕獲しその売買で補完しようというわけだ。

 
▼水族館でのイルカ・ショー

 水族館関係者からの話だと、そのイルカの行き先は水族館であるという。日本国内だけでなく、アジア各地の水族館でイルカ入手の高い需要がある。一頭100万円前後で取引されると聞く。周知の通り、水族館の多くでは「イルカ・ショー」を演じている写真314)。人気のあるこのショーは水族館のアトラクションで最も人気のあるものの一つで、いわば水族館の収入のドル箱なのである。
写真2        写真314:水族館のドル箱であるイルカ・ショー©西原恵美子

 知能の高いイルカは飼育員に訓練された芸を巧みに演じることができる。それを、ショーを見る観客は楽しみ感嘆する。しかし、ほとんどの来館者はその背後にある事実を知らない。イルカはヨウム(別稿で紹介する)と同様、賢い生き物である。それがゆえに、人間と同じく、ストレスを持ちやすい動物である。一見、ショーの訓練を受け、またショーに関わるイルカはあたかも「楽しんでいる」かのように見えるが、そのストレスの高さを想像するのは困難なことではない。さらに、日本の水族館の多くは、イルカを飼育するプールのスペースが狭い。これまた、イルカへのストレスを高める原因になっているのは間違いないであろう。

 ある水族館の情報では、こうした状況下でイルカの個体は1-2年で死んでしまうという。ましてや、狭いプールでの飼育では人工繁殖も進んでいないところが大多数である。しかし、この「イルカ・ショー」という「ドル箱」事業を継続するには、新たにイルカを「仕入れる」しかない。したがって、野生のイルカへの需要が高まるのである。「イルカ・ショー」が広く蔓延している今、ここに、昨今のイルカ生存捕獲の高まりの理由が見られる。

 こうした事情の中、世界動物園水族館協会は、日本動物園水族館協会に対し、イルカ・ショーの逓減・廃止を推奨した。しかし、日本の水族館の多くがこの意見に反対に回った。最終的に、ある水族館は日本動物園水族館協会を脱退する事態にまでなったのだ。

 動物園や水族館で、生き物を飼育し展示することの意義やその妥当性は、また別途検討したいが、来園者へのアトラクションがメインであってはいけない。生物としての展示動物をまずは配慮しなくてはいけないであろう。たとえば、ストレスで死んでいくイルカを考慮しなくてはいけないということである。

 ここでカバの話に戻ろう。ある動物園では、「行動展示」という名の下、大きな水槽の中で飼育しているカバを、その水面下からも見えるという工夫をした。これにより、確かにカバがどのように水の中で浮遊し泳いでいるかを観察できるようになった点、画期的な展示方法であるといえる。

 ぼくのそばで、偶然その展示を見ていたある子供が、「お母さん、あの白いもの、何?」と母親に問いかけていた。明らかに、カバは下痢を垂れ流していたのである。カバを下から見えるが故に、それは露骨に見えた。考えてみるに、野生のカバが下からなにか他の生物にじっくりと見つめられることなどない。ただでさえ、神経質なカバが、そうした事態で下痢便を頻発しているのは当然なことかもしれない。過度なストレスに陥っている可能性もある。

 ここで行き着くのは、動物園・水族館での動物の展示やショーはいったいなんなのかという問題である。ただ理解しなければならないのは、工夫次第では、動物へのストレスを逓減しながらの行動展示やショーなどのアトラクションを実施しながら、野生生物の保全へ向けた教育活動の可能性も残されているという点である。これは、また別途論じたい。

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