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【NPJ通信・連載記事】心の免疫・体の免疫/佐藤 義之

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第1話 健診と養生

2017年7月2日

 健診(人間ドック等)について、いろいろな意見がある。極端なものとして、健診、特に癌検診など受けない方が良いという意見もある。
 しかし、私はそうは思わない。受けたら受けたで、その時の自分の身体状況がわかるという利点もある(受けなければわからない訳である)。
 もしその時に病気が見つかれば、早期治療が開始できる訳であり、又何も異常がなければ、それなりに安心も出来ることになる。
 ただ問題なのは後者の異常が無かった時の解釈である。
 「異常がない=病気がない」ことにはならないのである。

 まず問題として、その受けた健診内容である。いくら高額な健診であっても、体のすべてをチェックするものではない。それから五万とある病気を全てチェックするのも不可能である。その人その人によってどんな病気になりやすいかリスクが違う。遺伝的要因もあれば、その人の生活習慣で気をつけるべき病気が違うのは当然のことである。
 しかし、健診のメニューは一律である。オプションがあったとしても、そのオプションは、その人のリスクを考えて提案された検査項目ではない。
 それに異常がなかったとしても、受けた瞬間に異常がない訳で、その1ヶ月後、2ヵ月後まで保証するものではない。

 よく人間ドックで異常がなかったのに、その後すぐに大きな病気が発症したとか見つかったとはよく聞く話である。
 年に1度しか受けなければ“点”である。年に2回受けると“線”で結ぶことが出来、変化がわかる。もし年3回受けることが出来れば傾向(上昇傾向等)がわかる。所詮、年1回の人間ドックをはじめとする健診とはそういうものである。だからと言って健診を受ける必要がないとは言い過ぎで、健診を過剰に評価してはならないということを私は申し上げたいのである。
 健診はあくまでも健診であり、そういうものなのである。

 それよりは、「病気を発生させない生き方」である。これを養生という。「癌を治療させたければ自らその証の生き方を」と説いて18年経った。注目すべきは自らの免疫である。免疫力を低下させない生き方をする。それには多少の我慢も必要であろう。食べたいものを我慢することもあるかもしれない。

 科学が進んでくると、世の中は何でも科学で、文明の進化で解釈できると感じてくるのであろう。
 そうすると病気についても未然に防ぐというより、事が起きても早期なら近代医療技術で何とか治ると思うようになる。
 しかしそうはいかないのである。
 長年の不摂生の積み重ねを科学で解決しようと委任してもそんな事がかなうはずがないのである。
 健診に委任し、病気になっても薬に委任。
 委任するということは自助努力を放棄することである。

 我々の体は想像を絶するほどのすばらしい機能を持っている。自分の体を愛し、自分の体を信じ、日々少しだけでも養生という気配りが大事なのである。

 今後、お話しの回数が進む中で詳細をご説明しましょう。

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