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戦前の北大生冤罪事件と 「秘密保護法」 の危険性

寄稿:ジャーナリスト 池田龍夫

2014年5月6日

現代版・治安維持法と言われる 「特定秘密保護法」 に対する反発は各界・各層で広がっている。
こんな折、新聞各紙は2月23日 「『宮澤弘幸追悼・顕彰の集い』 が、菩提寺の新宿・常園寺で行われた」 と報じた。 22日は、スパイ容疑で不当逮捕された北海道大学生・宮澤氏が、米人恩師とともに逮捕され、他界された日から67回目の命日。 よく知られていない事件だが、最近の 「秘密保護法」 強行可決が戦前の恐怖政治につながる悪法との危機感が高まった。 全国から同志140人が集まり、「秘密保護法廃棄への輪を広げよう」 との決意を表明した。

日米開戦の日に、米国教師とともに逮捕
宮澤氏が逮捕されたのは1941(昭和16)年12月8日、日米開戦の日。 内務省のスパイ摘発の厳命によって、米人英語教師ハロルド・レーン氏とともにスパイ容疑で検挙された事件だ。 宮澤氏は嫌疑をかけられるような学生ではなかったが、米人教師との関係が疑われたに違いない。 宮澤氏の主な容疑は、樺太に旅した時に見かけた海軍飛行場について、レーン氏に話したことという

宮澤氏の公判は1942年の夏、札幌地裁で始まり同年暮、懲役15年の判決。 上告したが、大審院は戦時特例法を盾に上告を棄却、懲役15年の重刑が確定した。網走刑務所に収監された宮澤氏は、獄中生活で衰弱。 1945年6月になって宮城刑務所へ移され、8月15日の敗戦を迎えた。すぐは釈放されず、GHQ(連合国軍)の超法規的処断によって10月10日釈放された。 ところが衰弱しきった宮澤氏は、出所後の1947年2月22日他界した。

「ガンよりも国の政治が怖い」 と、妹さんの悲痛な訴え
2月22日の追悼集会には、宮澤氏の妹、秋間美江子さん(87歳)が米国コロラドから参加。 「兄は何も罪がなかったのに、過酷な刑務所生活によって事実上殺されたのです。周囲の目も厳しく、私には青春なんてなかったのです。 5回のガン手術を受けましたが、87歳の今まで元気でおります。ガンよりも国の政治の方がよっぽど怖いのです。 機密保護法案は通ってしまいましたが、皆さん頑張って反対してくださいね」 との訴えが、参列者の胸を打った。

「宮澤氏冤罪の真相を広める会」(山野井孝有代表)は追悼会の最後に、① 秘密保護法を廃棄させるまで運動を継続する  ② 北大生・宮澤氏に対する処置を糾し、責任を追及し謝罪を求める ③ 「心からの碑」(仮称)を北大構内に建設する――との課題を提起して、 全国的な展開を誓い合った。

そもそも治安維持法は、1925年5月、共産主義運動の制限を目的に制定されたもので、資本主義と天皇主権に反対する運動を取り締まる法律。 ところが、共産主義運動だけでなく民主主義的運動・極右運動や新興宗教弾圧などの弾圧にも適用され、逮捕監禁・死刑執行の暴挙が敗戦まで続いた。 つまり、反政府組織全般への取締りに用いられた悪法だった。

現在の秘密保護法も取り締まり基準が曖昧で、拡張解釈して悪用される危険がつきまとう。言論の自由、知る権利を脅かすような悪法に待ったをかけたい。

(いけだ・たつお)
1930年生まれ、毎日新聞社整理本部長、中部本社編集局長などを歴任。
著書に 『新聞の虚報と誤報』 『崖っぷちの新聞』、共著に 『沖縄と日米安保』。

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